第十一話:あの頃の匂い
どこか近くの通りで、車のクラクションが短く聞こえた。
反射的に音のした方向をチラリと見るも、建物が邪魔をして様子を窺い知ることはできなかった。
「季節外れの蛍ですか。不思議だけれど、確かに恐くはない怪談でした。幽霊も元が生きた人間なら、十人十色なのかもしれませんね。攻撃的な霊も優しい霊も、どちらもいておかしくない」
事実、そういう話は俺もいくつか知っている。
「そうですね。やはり、霊魂と呼ばれるものは、人の想いがその人の名残りとなって漂っている状態を指すものなのでしょうか。人を恨み亡くなった人は、ひたすらに他人を恨む。家族を心配し亡くなった人は、見守るように伴侶や子の側に付き添う。生きた人間も、悪さをする人の方が目立つ場合が多いですから、霊の場合も同じなのかもしれませんね」
言い得て妙かなと、見越の推測に内心で同意する。
ニュースを観ても、大抵は良いことをした人より、犯罪や不倫等をした人間の話題が関心を集めている。
感動するものやほっこりするニュースももちろんあるが、それでも長く取り上げられるのは悪いイメージを伴う内容の報道という印象が強い。
そしてこれは、心霊スポットも同じように当て嵌めることができる。
事件事故が起きた場所、悪い霊障が起きる場所ばかりが多々取り上げられれば、幽霊イコール恐い、呪われるといったイメージだけが刷り込まれる。
パワースポットといったプラスになる場所もあるにも関わらず、どうしても知名度があるのは心霊スポットの方なのも、そういう理由なのかもしれない。
「ひょっとしたら、心霊スポットに出る幽霊っていうのも、単に迷惑行為をされて怒っているだけなのかもしれませんね。生きた俺たちだって、何の前触れもなく知らない奴が家に土足で上がり込んで騒ぎだしたら、普通にキレるし。その姿を見て恐いとかヤバい奴だとか好き勝手言われて広められたら、溜まったもんじゃないな」
「…………ひょっとして、気が変わりましたか?」
このまま進むのをやめて引き返したくなったか。
そう訊いたのだろう見越へ、俺はフフッと鼻で笑い
「まさか。俺はそんなに物わかりの良い男じゃありませんよ」
と言葉を返した。
「それより、次の話を聞かせてくれませんか。どんなエグイ内容でも、全然オッケーですから」
そして、会話の流れを怪談へと戻して新たな話を催促すると、見越は若干困ったなという風に笑い、仕方がないですねと僅かに尻の位置を直すように身体を揺らした。
「わかりました。では次のお話は、営業回りをしている男性を乗せた際に聞かせていただいた、ちょっと不思議なお話をしましょう」
◇◆◇◆◇◆◇
適当に町の中を走らせていた時に出会った方なんですがね、三十代前半くらいに見えましたかねぇ、好青年といったイメージの男性でした。
これはその方がですね、目的地に着くまでの間に、つい最近こんな体験をしたんですよと言って、教えてくれた話なんです。
その方、二ヶ月くらい前に子供の頃の夢を見て目を覚ました日があったそうなんです。
両親は既に他界しており、子供の頃――小学校の低学年の頃と仰っていましたか、その頃に住んでいた家も既に取り壊してなくなっているそうなのですが、そこで暮らしていた頃の夢を見たと。
両親が健在で、三つ年の離れた妹も幼い頃の姿で側にいる。
朝の風景だったそうです。
母親は台所で朝食の用意をしており、食器の擦れる音やまな板で包丁を使う音が茶の間に聞こえてきていて、父親はその茶の間でテレビを観ながらお茶を飲んでいる。
妹は父親の側でゲームに夢中になっていて、本当に当時の自分がいた空間がそのまま再現されている、リアルな夢だったと。
ただ、どういうわけか自分だけは大人になっていて、何だかすごく不思議な感覚に陥ったのだそうです。
懐かしいなぁ。でも何で自分はここにいるんだろう。両親はもういないはずだし、この家だってとっくに引っ越してなくなってるはずじゃ……。
夢の中とは言え、違和感を覚えながら茶の間の、いつも自分が座っていた位置に腰を下ろすと、それを待っていたかのようにテレビを観ていた父親が男性へ顔を向け、徐に
「お前、最近大丈夫なのか?」
と、声をかけてきた。
記憶にある父親の声と変わらない懐かしい声音に、内心込み上げるものを感じながらも、いきなり何だろうと首を傾げて父親を見返すと、
「かなり参っているだろう。あまり無理をしなくていいから、肩の力を少しは抜け」
それだけ告げて、またテレビへ視線を戻してしまった。
久しぶりに会ったのに、そんな唐突なことを言われても困るんだけどな。
そんなことを思いながら返答に困って座っていると、今度は台所から出てきた母親が、できた料理をテーブルへ置きつつ
「そうよ、そんな思いつめたような顔されてたらね、親としては安心できないんだから。無理してまで自分を追い詰めるのはやめなさい。頑張るのなんて、そこそこやってるならそれで良いんだから、もっと気楽にやりなさい。じゃないと、あなた本当に近いうちに身体壊すわよ」
そう諭すように声をかけてくると、ジッと心配そうに見つめてきた。
そこまで聞いてその方は、やっと両親が何を言いたいのか気がついたそうで、ちょうどその頃、営業がうまくいかず精神的に追い詰められ、若干鬱になりかけていたらしいんですね。
それで両親は心配して、そんなことを言ってきているんだなと、そう思ったそうです。
ああ、心配かけてるなぁ。そんなに自分は疲れたような顔してるのかな。
そんなことを考えながら、両親へ「ありがとう、大丈夫だよ」と告げようとした瞬間、そこでフッと目が覚めたそうで、薄明るくなり始めている見慣れた部屋の天井を見ながら、やっぱりただの夢だったかと、ため息をついてそのまままた目を閉じたというのですが、そこで気がついたんだそうです。
部屋の中に、薄っすらとですが、当時自分が住んでいた実家の匂いが漂っていることに。
酷く懐かしい匂いで、子供の頃いつも起きてくると台所から香ってきていた母が料理をする匂いまで、本当に微かにですが、感じ取れたのだそうです。
それに気づいた途端、一気に涙が出そうになって、でも、そこで泣いたらこの匂いが嗅げなくなるような気がして、必死に堪えていたんだそうです。
身体を起こしたり、再び目を開けたりしても、この不思議な現象が消えてしまうような気持ちにも襲われ、ただひたすらジッとしながら呼吸だけをしていたそうですが、やがて、体感としては三分前後くらいに思えたと言っていましたが、部屋に漂っていた匂いは徐々に薄れ、最後は嗅ぎ慣れた自分の部屋の匂いに戻ってしまい、それ以降はもう、同じ現象は起きなくなったということです。
それから暫くして、やっと身体を起こし布団から出たその方は、真っ直ぐ洗面所へ向かい鏡で自分の顔を見てみたら、思っていた以上にやつれきった自分の顔が映っていたと。
……ああそうか、これを伝えたくてわざわざ来てくれたのか。
自身の顔を見つめながらそう思えてきた途端、そこでついに堪えきれずに泣いてしまったそうですが、その方、この体験をして以降は仕事を無理するのは止めることにしたのだそうです。
だから今では、少しくらい成績が落ちても後輩に情けないような目で見られても、自分は自分と割り切れるようになってきたとのことで。
「両親のおかげで、今は精神的にもかなり楽になりましたよ」
と、その方、明るい口調で仰っていましたね。




