第37話 いつもと違う土曜日
シアンが朝食のためにダイニングに行くと、テーブルにゼニスの姿はなかった。ブルーもまだ来ていないようで、他の四人が着席してシアンを待っている。母と兄姉の様子を見るに、ゼニスはまだ起きて来ないというわけでもなさそうだ。
おはようの挨拶を済ませたあと、シアンは問いかけた。
「父様とブルーは……」
「ブルーは少し寝坊をして、お父様はオーキッド家の件で早朝から出掛けているわ」
セレストはいつものように微笑んでいるが、その表情はほんの少しだけ張り詰めている。オーキッド家にとっての平和的解決は厳しいものとなるということを予感させる表情だ。そもそもオーキッド家には平和的解決を望める話でもないのだが。
「チリアンはあの記録を認めるでしょうか。偽装と主張することもできるのでは……」
『ご心配は要りません』
鈴の音とともにスカーレットが姿を現した。スカーレットは丁寧に辞儀をすると、シアンに言う。
「″色彩の騎士〟である私の声が入っていますから。色彩の騎士は、名乗ることを許された騎士が限られています。世界王に認められた騎士だけです」
世界王とは、世界王国においてすべての世界を統べるとされる王だ。大地にマナを供給する世界樹を司るとされ、この世界は世界王に仕える「世界管理人」や「世界監視人」の統治の元にあると云われている。世界王が定めた「世界法」によってすべての生物が治められているとされる。それは神話や伝承だと云われており、存在を確認した者はいないと言う。
「色彩の騎士を勝手に名乗れば世界王国に罰せられます。証明のために召喚を要請されたら私が行けばいいだけです。世界法に則り、緋色の騎士スカーレット・マソーの名において証明します」
「……それじゃあ……」
伺うように見上げるシアンに、スカーレットは得意げに笑って頷いた。あの頃と何も変わらない溌剌とした笑顔だ。
「お約束通り、正真正銘〝伝説の騎士〟になりました」
あの日に交わした約束は、少女の宣言であると賢者は認識していた。きっとその日を待つことはできないと思っていた。だから約束だと思わせたくなかった。賢者が破ることは間違いないからだ。それでも少女は、いつか叶えると確信していたのだ。
「……そう。よく頑張ったね」
喜びに言葉が上手く出て来ないシアンに、スカーレットは朗らかに微笑んだ。その表情は誇らしげで、あの頃の約束を果たした弟子は、賢者にとっても誇らしいことだった。
朝食が運び始められるのに気が付いて、おっと、とスカーレットは他の四人を見遣る。
「お邪魔してすみません。では」
丁寧に辞儀をしてスカーレットはシアンの中に消えて行った。それを見送ると、セレストがシアンに優しく微笑む。
「心強い味方を得たわね」
「はい」
「心強いどころか」と、アズール。「色彩の騎士なんて、最強の味方と言ってもいいんじゃないかな」
世界法に認められた騎士には、宮廷騎士ですら敵わないだろう。地位であってもサルビア家よりはるかに高いと思われる。それでも賢者に敬意を示すところがスカーレットらしかった。
ようやくブルーも起きて来て、どこか眠そうなままテーブルに着き、朝食会は和やかに始まる。何も知らないブルーに悟られないよう、彼らはいつも通りに振る舞うことを努めた。
朝食後、ゼニス不在のため恒例のパワフルハグは行われなかった。いつも胃の中の朝食が変わり果てた姿で戻ることを堪えていたが、あの力強さがない朝はなんとなく寂しいような気がした。
執務室でスマルトが取り出した書類はいつもより多いようだ。
「今日は父様がいないから仕事が多いんだ。午後までかかるかもしれない」
「わかりました」
土曜の午後はいつもなら休暇の時間となる。しかし、ゼニス不在の中でも事業は止まらない。その分、兄姉に回る仕事が多くなってしまうのだ。おそらく母もそうだろう。
「……僕のせいで、みんなに迷惑がかかってしまいましたね。僕がもっと早くチリアンと決着をつけていれば……」
自分ひとりで解決できていれば、父の手を煩わせずに済んだ。こうして母と兄姉の仕事が増えることもなかったのだ。そう思ってシアンが落とした肩に、スマルトは優しく手を添える。
「お前のせいじゃない。オーキッド家の監督不行き届きのだけだ」
「はい……。オーキッド家はどうなるんでしょう」
「心配しているのか?」
「そういうわけではありませんが……。気になりはします」
「公になれば社交界での地位は落ちるだろうな。穏便に済むといいんだがな」
スマルトは呆れた様子で肩をすくめる。穏便に済むはずがないことは確信しているのだ。
チリアンはオーキッド家の嫡男。それがあんな犯罪まがいのことをしたと社交界に知れ渡れば、オーキッド家の心証は悪くなるだろう。オーキッド家としては穏便に済ませたいところだろうが、それは父がどういった対応を取るかによる。おそらく父のことだからオーキッド家の思うようには許さないだろう。
「チリアンは勘当になるかもな。そうなっても当然の行いだがな。あとは父様の仕事だ。お前が気にする必要はない」
「そうですね……」
「仕事に打ち込めば気も晴れるだろ」
スマルトが差し出した書類は、やはりいつもより少し多い。それでもスマルトのほうが多いように思う。さっさと自分の分を済ませて手伝えばいい、とシアンは頭を切り替えることにした。
途中、アズールとネイビーに確認しなければならない事項があり、一回ずつふたりの執務室を訪ねた。どこからどこまでがゼニスの仕事かはわからないが、その内容はいつもより難しいように感じる。ゼニスがどれほど有能であるかを思い知るようだった。
仕事に集中しているうちにシアンの気は晴れていったが、ふとした瞬間に心配になる。簡単に済む話ではないことはわかっている。それでも、父が早く帰宅することを願った。
昼食の時間が迫っても、仕事が片付くことはなかった。スマルトの予想通り、午後の休暇の時間にも仕事が持ち越されるようだ。
スマルトとシアンがダイニングに行くと、ブルーは退屈そうに待っている。他の三人はまだ仕事に区切りがつかないようだ。それでも、これ以上にブルーを待たせるわけにはいかないだろう。
セレストとアズールは料理が運び込まれ始めた頃にダイニングに来て、ネイビーはそれよりも遅かった。
「ブルー、私たちは午後もしないといけないの」
昼食会が始まると、セレストが申し訳なさそうに言った。
「えっ、みんな?」
「ええ。だから、午後はピアニーと過ごしてくれる?」
「むー……わかったわ」
ブルーは不貞腐れつつ頷く。いつもであれば嫌がることだろうが、現状が只事ではないことは察知しているようだ。その表情を見ていると、早くいつも通りの日常が戻って来るといいのだが、とシアンは思う。せっかく平和な家だったのに、それが壊されてしまったように感じられた。
* * *
「まだ気にしているのか?」
時折、仕事の手が止まってしまうシアンに、スマルトが宥めるように言った。シアンは返事代わりに視線を落とす。
「お前のせいではないんだ。そんなに気にする必要はない」
「……そうですね。とにかく仕事をしないといけませんね」
「そうだな」
父が帰って来ないうちは、気にしていてもしょうがない。それはわかっているのだが、家同士の抗争に発展してもおかしくない事態を招いてしまったことに無力感を懐いてしまう。とは言え、敵意を持っているのはシアンではないため、オーキッド家のほうが不利のはずだ。オーキッド氏が認めるかどうかはともかく、父がシアンが負傷する可能性があった事件を許すことはないだろう。
次の小休憩までには、仕事の三分の二を片付けることができた。この調子でいけば、夕食前には終わるだろう。
「お前が転生のことを打ち明けてくれたのは良い判断だったな」
マゼンタが持って来たレモネードを飲みつつスマルトが言った。
「能力値を隠す必要がなくなったおかげで、こうして父様の分の仕事もこなせるようになった」
「お役に立てているなら何よりです。でも、みんなが受け入れてくれたおかげですよ」
「俺たちがお前を受け入れないはずはない。それはわかっていただろ?」
「……そうですね。あんまりすんなり受け入れられたのでちょっと引きましたけど」
「お前が引いてどうする」
それはもちろん冗談だが、自分の能力を存分に活かせるのは僥倖だ。それが役に立つならもっと良い。いままで、能力値を遺憾なく発揮したいと思っていても、そうすることのできないことのほうが多かった。とてももどかしく思っていたため、ようやく自由になれたような気分だ。
軽快なノックにスマルトが応じると、アズールが顔を出した。
「事務所に行って来る。提出する書類はあるか?」
「ああ」
スマルトは書類の束のうちのひとつをアズールに差し出す。彼は父の代わりに事務所で仕事をしなければならないようだ。
アズールが去って行くと、シアンはスマルトに問いかけた。
「父様の補佐になるなら、僕はいずれ事務所に行くんですか?」
「そうだろうな。父様は基本的に事務所で仕事をしている。ついて行く必要があるだろうな」
「では、兄様たちとは別々に仕事をすることになるんですか?」
こうしてともに仕事をこなしていると、そう考えると少し寂しい。仕事のためであることはわかっているし、父の補佐をするためにそうしなければならないなら従わなければならない。嫌というわけではないが、この状態に慣れると離れ難いような気がした。
「俺たちもいずれ事務所に行くはずだ。いまは書類整理が多いだけだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。いまは領地の辺境に隠居した先代……俺たちの祖父だな。新しい素材の製品を提案したんだ。それを父様が受け継いだんだ。新規開拓だったが、中途半端で投げ出して、と父様が恨み言を溢していたな」
代替わりするのは何かしらの理由があるはずだが、新規事業を途中で放り投げるほどの出来事が起こったのだとしたら、無責任と言うことはできないだろう。そうでないなら適当なものだ。父の苦労は察するに余りある。
「そういえば」シアンは言った。「お爺様には僕は会ったことがありますか?」
「何度かあるが、小さい頃だったし覚えてないだろ」
それならありがたい、と賢者は考える。サルビア家で目覚めるより前の記憶がないシアンにとって、ほんの少し困り事になる。情報を頭に入れたとしても、そのうち襤褸が出る。どちらにせよ覚えていないふりをする必要はあっただろうが。
「どんな人ですか?」
「掴みどころがない爺さんだな。厳格な人ではあるんだがな」
スマルトの言葉に含みを感じる。ひと癖もふた癖もある人であるような気がした。
「会う機会はありますか?」
「たまに様子を見にこちらに顔を出すことがある。会うことは充分にあるだろうな」
「…………」
「どうした」
「……もしかしたら、賢者(僕)のほうが年上、だったり、とか……」
「それもあり得るだろうな。賢者(お前)がいくつなのかは聞かないが」
スマルトの優しさのようなものに、シアンは苦笑いを浮かべる。特に隠し立てるようなことではないが、賢者がひ孫でもおかしくない青年を「兄様」と呼んでいるという事実を思い返すとおかしな話だ。それもいまは当たり前のことになったが。
さらに、自分より年下の人間を「お爺様」と呼ぶことになるのは、なんとも奇妙な気分だ。シアンにとっては祖父であることに間違いはないため、そう呼んだとしても違和感はないだろうが。
「賢者(僕)がいくつなのか聞いたら引くと思いますよ」
「もうだいぶ引いたから安心しろ」
(な、何が安心なんじゃ……)
実際に兄たちが引いたかどうかはともかく、彼らに受け入れられたからと言って祖父母も受け入れるとは限らない。祖父母に打ち明ける必要性は感じられないが、何かの折に心の半分以上がシアンでなくなったことには気付かれるかもしれない。賢者がそうであるように、年配者は妙に勘が冴えるときがあるのだ。せめて祖父母が鈍感であるといいのだが。
「そろそろ再開するか」
「はい」
スマルトが言葉に含みを持たせるということは、祖父は一筋縄ではいかない人物のように思う。そう考えると、少し会うのが楽しみになるような気がした。たとえ自分より年下だったとしても。




