第36話 緋色の騎士スカーレット・マソー
「緋色の騎士スカーレット・マソー。英魂の導きにより馳せ参じた。我が主に仇為す者は誰か」
シャン、と幻想的な鈴の音とともに現れたその騎士は、重厚な鎧と仮面に身を包み、マントをはためかせる。栗色の長いポニーテールが風を纏って緩やかに揺れた。
シアンを背に立ちはだかる騎士を、チリアン・オーキッドが震える指で差した。
「し、色彩の騎士……⁉ なんでお前が……!」
その名は聞いたことがあるような気がしたが、シアンはその知識を持ち合わせていなかった。ただわかるのは、シアンを守るために顕現した騎士だということだ。
「いまここで主を解放すれば『報告』で済ませてやる」
スカーレット・マソーは感情のこもらない淡々とした声で言う。若い少女の声であるが、冷酷さすら感じられた。
「それとも自分たちで『白状』するか?」
チリアン・オーキッドの顔が凍りつく。誰も口を開くことができず、緋色の騎士を穴が空くほど見つめていた。その中で、ふくよかな少年が勇敢にも声を発した。
「俺たちは何もしてない! シアンには傷ひとつ付けてない!」
スカーレット・マソーは、話にならない、といった様子で溜め息をつき、呆れて肩をすくめる。
「誘拐はそれだけで犯罪だ。まさか、バレないとでも思っているのか?」
シアンはその光景を眺めていることしかできないが、スカーレット・マソーが敵ではないことだけは確かだ。自分を「主」と呼ぶことに心当たりはなく、彼女がどういった人物であるかは計り知れない。それでも、味方であるという確信があった。
「わかった、シアンを解放しよう」チリアン・オーキッドが震える声で言う。「だが、僕たちが何もしていないのは事実だろう?」
強気な姿勢を崩さないのは見事なものだが、スカーレット・マソーは容赦という感情を持ち合わせていないようだった。
「やれやれ、聞き分けのない子どもだ。私を舐めているようだね」
スカーレット・マソーが仮面越しに自分のこめかみにトンと人差し指を当てると、チリアン・オーキッドの頬が引き攣る。
「いま、この瞬間。ここで見聞きしたことはすべて私の記憶回路に刻みつけている。それを他人と共有することが可能であるというところまでは想像が及ばなかったようだね」
この少女は何者だろうか、と賢者は考える。本来なら「契約」が必要になるような存在に思えるが、シアンにその心当たりはない。絶対的な味方、ということだけが確かだった。
「さあ、オーキッド家に見限られるだけで済むかな?」
その言葉は、顕現する前からこの場に彼女の目があったという証拠。もはや言い逃れはできないようだ。
「いまここで主に謝罪するなら許してやろう。無駄なプライドは捨てたほうがいい」
それでも彼らは口を噤む。見下していた相手に謝罪をすることは、プライドの塊とも言える貴族の子息には抵抗のあることかもしれない。その姿に、スカーレット・マソーは失望したように何度目かの深い溜め息を落とした。
「愚かな子どもたち。想像力が足りなかったようだ。サルビア家に仇為す者が無事に済むわけがないだろう。シアン・サルビアを見縊っていたようだね」
スカーレット・マソーは身動きの取れない少年たちに背を向け、優しい手付きでシアンを抱え上げる。そのまま軽く跳躍すると、瞬きする間に街路樹の並ぶ舗道に着地した。
「オーキッド邸ではないですね。もう記憶したけど」
建物を見上げたスカーレット・マソーが言う。張り詰めた空気の消えた声は穏やかで、賢者の記憶の中で何かが掠めた。
「きみは……」
シアンが伺うように見上げると、騎士は仮面に手をかける。その下に覗いた悪戯っぽい笑みに、あっ、とシアンは声を上げた。
「お久しぶりです、賢者様。ご恩をお返ししに参りました」
あの“伝説の騎士”を目指していた自称「一番弟子」の少女だ。それも、最後に笑い合ったあの頃のまま。
「どうして……」
驚きのあまり、それだけしか言えなかった。呆然とするシアンに、伝説を目指していたスカーレットは得意げに笑う。
「賢者様の魂に、ほんの少しだけ私の欠片を忍ばせておいたんです。こっそり賢者様の魔力を拝借しておりました」
「魔力が充填されて顕現できたということかな」
「はい。いや〜、ちょっと時間がかかっちゃいましたけど、間に合ってよかったです」
たはは、と笑うスカーレットは、賢者の記憶の中の無邪気な少女のままだった。先ほどまでの冷酷な声は別の喉から出していたのではないかと思わせる。
「頑張ったんじゃな。お前さんは努力家じゃから、成し遂げると思っておったよ」
「それにしては私の名前を忘れていたみたいですけど〜?」
「うっ……いや、まあ……歳じゃし」
咎めるように細められた緋色の瞳に賢者の言葉が詰まると、やれやれ、とスカーレットは肩をすくめた。こんなやり取りをするのも随分と久々だ。懐かしい気持ちがシアンの胸の中を占めた。
「それにしても、随分とお可愛らしくなられましたねえ。実に美少年です」
「そうじゃな。充実した美少年ライフを送っとるよ」
「それは何よりです」
スカーレットは安堵したように微笑む。かつての不健康な賢者ライフを知っているため、健康的で健全な暮らしを送るシアンは彼女を安心させることができたようだ。
「賢者様、ゼニス父様にこれをお渡ししてください」
そう言ってスカーレットが手のひらを広げると、緋色のガラスのような欠片が現れた。手に取って見ると、陽の光が虹色に反射する。ガラスのような鋭さはない。少しだけ温かさが感じられた。
「これは?」
「私の記憶による今回の記録です。状況証拠だなんて言わせませんよ」
スカーレットがいなければ、シアンがどうなっていたかわからない上に証拠は残らなかっただろう。サルビア家の「青の血筋」は魔法を記録することはできるが、物理攻撃を記録することはできないようだ。彼女の言うように、シアンの証言による状況証拠のみになっていただろう。
「さ、お家に帰りましょう。きっとみなさん、大騒ぎですよ」
「うん、そうだね」
掴まってください、と差し出された腕に手を添えると、スカーレットは軽く跳躍する。着地する感覚で目を開いたときには、スカーレットの姿はなかった。そこは穏やかなサルビア邸の中庭で、夢でも見ていたのかと思ったが、手の中にはしっかりと緋色の欠片が存在していた。
「シアン様!」
欠片をポケットにしまっていると、中廊下からアガットが駆け寄って来る。彼の表情が、誘拐事件が現実のものだったことを物語っていた。これほど汗だくなアガットを見る機会は二度とないだろう。シアンはのん気にそんなことを考えていた。
「ご無事ですか⁉ お怪我はございませんか⁉」
「うん、大丈夫だよ。みんなは?」
「オペラモーヴ家とご一緒に街を探し回っておられます」
「報せ鳥で呼び戻してもらえる? 僕は大丈夫だから」
「かしこまりました」
アガットが何羽もの報せ鳥を屋敷の外へ飛ばし始めると、中庭にウィローが出て来た。腰を屈めて待つシアンに突進するウィローは安心したような表情で、嬉しそうに鼻を鳴らしている。
「危険を教えようとしていたんだね。ありがとう、ウィロー」
こちらの言葉は伝わるのに、ウィローの言葉がわからないのはもどかしいものである。ウィローと言葉でやり取りができるようになれば、今回のようなこともなくなるだろう。
* * *
シアンがリビングで紅茶を飲んでいると、乱暴にドアが開けられた。焦燥感に駆られた表情でアズールが飛び込んで来る。
「シアン! 無事か!」
「はい。ご覧の通りです」
アズールがシアンを持ち上げるので、ティーカップをソーサーに戻したのは正解だった。紅茶をぶちまけずに済んだ。
「ああ、生きた心地がしなかったよ」
「ご心配をおかけしてすみません」
「お前が無事ならそれでいいんだ」
それからネイビー、スマルト、ゼニス、セレストと順に戻って来たが、シアンを抱き上げなかったのはスマルトだけだった。それでも安心した表情だったのは他の四人と同じだ。
「ブルーは……」
「屋敷のどこかにいる」と、ゼニス。「あの子はまだ転移魔法を使えないからな」
報せ鳥を受けて、走って戻って来ているということだ。この先、ブルーが転移魔法を覚えるのは驚きの速度を叩き出すことだろう。
「シアン、いったい何があったんだ」
ようやく落ち着いてひと息つくと、ゼニスが硬い表情で問いかけた。シアンは緋色の欠片をポケットから取り出してゼニスに差し出す。どう記録されているのかはわからないが、スカーレットの魔法が確かなら、すべて記憶されているはずだ。
ゼニスの手のひらにそれが渡った瞬間、チリアン・オーキッドたちとのやり取りが映像として映し出された。初めはシアン視点のようだったが、途中からスカーレットの視点に切り替わったらしい。シアンが見ていたよりはっきりと五人の顔が記録されており、音声もしっかり残っている。彼らの悪意はすべて暴かれた。
「これは?」
ゼニスがシアンを見遣る。シアンは胸元に手を当て、スカーレットに呼びかけた。
(スカーレット、出て来れるかの?)
シャン、と幻想的な鈴の音とともにスカーレットが姿を現す。鎧を身に着けているが、先ほどに比べてかなり軽装だ。訝しげな五人に対し、スカーレットは恭しく辞儀をする。
「緋色の騎士スカーレット・マソー。英魂の導きにより馳せ参じました」
その表情は明るく朗らかで、確かな自信を懐いている。その少女に、ゼニスとセレストは顔を見合わせた。スカーレットの湛える膨大な魔力に気付いているのだろう。人ならざる少女の正体に心当たりがあるのかもしれない。
ゼニスは伺うような視線をスカーレットに向ける。
「きみは?」
「私は賢者様の弟子です。どうぞスカーレットとお呼びください」
スカーレットが顕現できたのは、シアンが賢者の魂を打ち明けたことがきっかけだったのかもしれない、と賢者は考えていた。賢者の魔力を使っていたとしても、サルビア家が賢者の魂を受け入れなければ、こうして顕現することはできなかっただろう。
次に口を開いたのもゼニスだった。
「スカーレット、きみはシアンにとってどういった存在だ?」
「守護神のようなものと解釈していただいて構いません。必要なときだけシアン様を手助けいたします。シアン様をお守りする便利な騎士と思っていただければ充分です」
(うーむ、立派に成長したもんじゃ)
賢者はつい感慨深くその様子を眺めてしまう。あの無邪気な少女がこうして自分を守るまでに成長し、何かの称号を冠している。一人前以上になったことが賢者には誇らしかった。
「そうか」と、ゼニス。「ひとまず詳しい話はあとにしよう。まずはオーキッド家と蹴りをつけて来る」
「はい。必要であればお呼びください」
ゼニスはアガットとともにリビングを出て行き、それを見送ったスカーレットは辞儀をして姿を消す。ようやくひと段落つくと、セレストがシアンを抱き締めた。
「本当に無事でよかったわ。スカーレットがいなければあなたを失ったいたかもしれないと思ったら……」
セレストの緑色の瞳が潤む。まるでエメラルドのように揺れ、シアンを慈しむように見つめた。
そのとき、勢いよくドアが開き、ブルーがリビングに飛び込んで来る。屋敷の中の随分と奥に行ってしまっていたようだ。
「シアン! 無事だったのね!」
肩で息をしつつ飛び付いたブルーは、大粒の涙を零している。シアンはブルーの顔をハンカチで拭い、優しく微笑んで見せた。
「僕は大丈夫だよ」
「よかった……」
ブルーは安堵してひとつ息をつく。よほど心配いていたようだ。
「それにしても」ネイビーが言う。「チリアン・オーキッドの執念深さには驚かされたわ」
「オーキッド家はどうなるのでしょう」
シアンが見上げると、セレストは肩をすくめた。
「さあ。オーキッド家にとって、汚点となることは間違いないでしょうね」
スカーレットの言っていた通り、チリアン・オーキッドたちには想像力が足りなかったと言える。その行動が家にとってどれだけの意味をもたらすのか、そこまで考えが及ばなかったようだ。
「だが、シアンを誘拐する隙を作ってしまった」スマルトが厳しく言う。「何かしらの対策が必要だろ」
「そうね」セレストは頷いた。「お父様と話し合っておくわ。もう二度と、シアンをこんな目には遭わせないわ」
「そうですね」シアンも言う。「傷付けてはならない戦いは難しいですからね」
相手を傷付けないためには、そもそも戦いを回避する必要がある。シアンに対する害意がシアンに届かないようにすることで、相手の命を守ることになるだろう。そのための対策は必要だ。
そんなシアンを、母と兄姉が戦々恐々とした表情で見つめる。
(恐ろしい子……! といったところかのう)
今回のようなことがまたあるかもしれないと思うと、シアンも相手を傷付けない戦い方を身につけなければならない。そのためには鍛錬が必要だ。実力が身につけば、シアンへの害意もねじ伏せることができる。確固たる能力が不可欠だ。スカーレットの力に頼らなくても躱せるような能力を身につけなければならない。そうして、シアンの目的がひとつ増えたのだった。




