第188曲 表の顔と本音の心
リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。
だけど、そこからが過酷な日々の始まり。
最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。
その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。
そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。
ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。
スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。
だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。
その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。
「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」
嬉しそうに報告するわたし。
「ふーん」
なんだか気のなさそうな返事をするより姉。
「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」
「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」
なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?
「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」
報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?
「何のこと?」
本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。
「茜とのことだ」
「ひうっ!」
突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。
「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」
カマかけられた!
でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。
「それで、だ。ゆき」
改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。
「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」
いや、あれはわたしの方からやったわけじゃなくて、あか姉が突然……。
「誰かを選ぶなんてできないっていったのはおまえだよな」
「はい……」
それを言われてはもはやぐうの音も出ない。
「というわけでだな。わたしはここに権利の行使を主張する!」
そう言ってずいっと顔を近づけてくるより姉。
予想してはいたことだけど、いざこうやって向かい合ってみるとやっぱり恥ずかしい。今からより姉と……。
「準備はいいか?」
「えっと、いまここで?」
たじろいでしまったわたしはこの期に及んで逃げ道を探してしまう。
「やかましい。いいからとっととやらせろ」
いや、女の子がその言い方はどうかと思いますよ?
目も若干血走ってるし。
「それともなんだ? お前は茜だけを特別扱いするってのか?」
「い、いえ。違いましゅ……」
「よし、ならば目を瞑れ」
「ふぁい……」
言われた通り目を瞑るわたし。あぁ、わたし男の子なんだけどなぁ。
やがてより姉の唇が触れ、間髪入れずにより姉の舌が滑り込んでくる。
あか姉の場合は蹂躙されるという感じだったけど、より姉はおっかなびっくりなのか、どこか探るような感じ。
キスって性格が出るのかもしれないな。
でもやっぱり口内に直接舌を入れられるというのは、特に相手が好きな人もあって脳内をかき回されるような感覚がある。
その甘美な感触に身を任せているうちに思考力が鈍り、体と心が命じるままにより姉のことを抱きしめてしまう。
そしてあろうことか自分からも舌を伸ばし、お互いに絡め合うような状態。
夢中になって求めあっていると、より姉の手がわたしの胸に伸びてきた。
何? と思う間もなく鷲掴みにされてしまう。
「ひゃあっ!」
びっくりしたわたしは思わず顔を離して胸をガード。この反応、めっちゃ女子やんけ。
「いきなり何すんの! それって女の子がやることじゃないでしょ!」
あまりの出来事に抗議の声を上げてしまう。そりゃそうでしょう。これじゃまるっきり逆だよ。
「いや、わりーわりー。夢中になってたらついムラムラしちゃって。ゆきの体をまさぐりたくなったんだよ」
なんでよりによって胸からなの!? 女の人なら背中に手を回すとかじゃないの?
「でもよ」
急に神妙な顔つきになるより姉。なんだろう。
「大人のキスって……すげーよな」
「……うん」
あか姉、より姉と続いた。
次はどっちだろう。
その日はリハビリを終え、体を看護師さんに清拭してもらうまで誰も来なかった。いつもならとっくに来ている時間なのに。
面会時間もそんなにないから、珍しく今日は来ないのかな。
そう思っていたら慌ただしい音と共に病室を開ける音がした。
目を向けるとそこにいたのはかの姉。
「か、勝ち取りました……」
「は?」
勝ち取ったってどういうことだろう。いつもは順番でお見舞いに来てくれていたんじゃなかったっけ。
「はぁ、はぁ。なかなか勝負がつかなくて……。今日のお見舞いを誰が行くかで争っていました」
誰と? というかいつもは順番じゃないの?
「女には……時には負けられない戦いと……いうのが……あるんです。はぁはぁ」
だからってそんなに息が切れるほど走ってきたのか。看護師さんも慣れてしまったのか何も言わなくなってるし。
それにしても負けられない戦いって。何と戦ってるんだろうか。
「かの姉? 目が血走ってるけど大丈夫?」
いつもと明らかに様相が違うので心配になってしまう。
「ふふ。ふふふ」
あぁ。姉妹だなぁ。あか姉も時々そんな笑い方してるよ。
大体ろくでもないこと考えてる時だけど。
「さぁ! ゆきちゃん! キスしましょう!」
「はい?」
来て早々何言ってんだ。
「依子さんや茜よりももっとディープで! 濃厚なものを!」
あ、そういうことか。もはやお見舞いというよりキスしに来てるだけじゃん。
「とりあえず落ち着いて。そんなはぁはぁ言いながらキスされても怖いってば」
二人に大人のキスをしてしまった以上かの姉とひよりにも、とは覚悟していたけどこれじゃまるで襲われているみたいになっちゃうよ。
「し、失礼しました。ちょっと深呼吸をしますね」
そう言って吸って吐いてを数回繰り返すかの姉。
これからすることを考えるととてもシュールな絵面なんだけど、ここは笑ってはいけない。本人はいたって真剣なんだから。
「じゅ、準備が出来ました。それではゆきちゃん、ん~」
ちょっと待て。
「かの姉? タコ口はさすがに……」
もう思いっきりテンパってるじゃんか。どうすれば落ち着いてくれるんだろう。
「う~ん……そうだ。かの姉、こっちおいで」
わたしが座るベッドの横を叩いて隣に座るよう促す。意図に気が付いたのか、真っ赤な顔をしておずおずとベッドに登ってくるかの姉。
「とうとう、その先に進んでしまうんですね……」
は?
「その先って?」
「いいんです。初めてはゆきちゃんと決めてましたから! さぁお好きにどうぞ!」
そう言ってわたしの横で大の字になって寝そべるかの姉。
そういうことか!
「ちっがーう! なんでそっちに飛躍するの! 少しでも落ち着いてもらおうと横に来てもらっただけだよ!」
「は! そういうことでしたか。わたしはまたてっきり……」
恥ずかしそうにもそもそと起き上がるかの姉。恥ずかしいのはこっちだっての。
「気持ちを落ち着けてね。それじゃ、わたしの方からキスするから」
そう言ってからゆっくり唇を合わせると、ほどなくしてかの姉の舌が伸びてきた。
それはおっかなびっくりと言った様子で、わたしの唇に触れるたび驚いたように引っ込んでしまう。
なんだか魚に突かれているような気分になってきた。
ここはやっぱり男の見せどころだろう。
こちらから舌を伸ばし、かの姉の唇を割ってまだ硬さの残る口内へと侵入していった。
「ふ……ん」
うっとりした様子のかの姉。それが妙に色っぽくて、キスしているのはコチラなのにドキドキしてしまう。
変な気分になりそうだったので少し早めに顔を離す。かの姉がその先とか言うから意識しちゃったのはナイショ。だって男の子だもん。
「あん、もっとぉ」
うっとりした様子で続きを催促してきた。そんな顔しちゃダメ!
「今日はこれくらいで。これからいつでもできるでしょ」
もともと大人びた雰囲気をまとっているかの姉だけに、そんな気分になった時の色っぽさが半端ないということを学んだ。
これは沼だな。
来るのが遅かったため面会時間はすぐに終わりを迎え、かの姉は恍惚とした表情のまま帰っていった。看護師さんが何事かと思うだろうなぁ。
そしてあの三人が来たということは当然最後に控えるのはひより。
翌日、満を持したという感じで満面の笑みと共にやってきた。
「ゆきちゃ~ん!」
病室に入るなり、飛びついてきて首に腕を回しての熱烈なキス。
そのまま何のためらいもなく舌を差し入れ、わたしの口の中で元気に暴れまわる。これは食べられているような気分になるな。
ほんと、キスってその人の性格が出るよなぁ。
その性格通り、元気で爽やかなキスが終わってもひよりはわたしにしがみついたまま離れない。
「ゆきちゃん……」
よく見ればすすり泣いている。
「寂しかった……。ずっと寂しかったんだよ。でもよかった。これは寂しかった時の反動と、嬉しさからくる涙だよ」
そう言って笑ってはくれるものの、その心に残った傷の大きさが伺える。
もともとひよりはわたしにべったりで、その大切な存在を失うかもしれないという思いほど怖いものはなかっただろう。
「ごめんね、待たせたね。もう絶対にそばから離れたりしないよ」
そう言って抱きしめるとより強くしがみついてきた。わたしの存在を確かめるかのように。
もう絶対離さないから。その傷が一日も早く癒えますように。




