第186曲 雪が溶けた後に残るもの
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。
まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。
それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。
これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。
「えへへ。密着出来て幸せぇ」
一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。
一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。
でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。
わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。
病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。
「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」
他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ?
むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。
だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。
そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。
以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。
目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。
例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。
普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。
部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。
「なぁに、また外を見てるの?」
今日はひよりの番なのか。
「うん、今日も外の景色がキレイだからね」
「やっと見えるようになったんだもんね。もし分からない色があったらいつでも聞いてね」
もうわたしのマッサージや介護をする必要はなくなったんだけど、わたしと過ごす時間そのものを大切にしてくれている。
みんな毎日でも来たいと言っていたけど、それぞれに仕事や学校があるんだから今まで通りにしてくれとお願いした。
一年もブランクがあれば積もる話があるのは理解できるけど、それはわたしが退院してからのお楽しみと言うことで、ね。
そしてわたしが目を覚ましたことをあちこちに連絡してくれたようで、まずは今日、文香と穂香が連れ立ってお見舞いに来てくれた。
「目が覚めたんだね、よかった」
「一年も待たせやがって。もう半年は寝なくていいんじゃないの?」
寝だめってそういう意味じゃないから。
半年どころか一週間寝ないだけでおかしくなるっての。
「ずっとお見舞い来てくれてたんだってね。ありがと」
その言葉に文香は微笑んでくれたけど、穂香は横を向いて頬をかいている。
「別に。暇だったから寄ってただけだよ」
週に一度も必ず暇な時ができるんだね。
ほんと、相変わらず素直じゃないんだから。
「大学で人付き合いも増えただろうし、勉強も大変でしょう? 無理だけはしないでね」
サークルに課外活動、講義と、大学生活というのを経験したことがないからはっきりとは分からないけど、いろいろとやろうと思えば時間が足りないというのは分かる。
その時間を犠牲にして来てくれているのはありがたいんだけど、自分のことも一生懸命になって欲しい。
「好きで来てるんだから負担でも無理でもないよ。そういう変な気の回し方するのは相変わらずだね」
文香がそう言って笑うということはわたしも成長してないんだろうか。まぁ一年も寝てたんだからそれもそうかも知れないな。
「そうだよ。わたし達のことなんていいから、ゆきは自分の体を元通りにして早く配信を再開させないとだぞ」
穂香の言うとおり、わたしはリスナーさん達のことも待たせている。
チャンネルでのお知らせはひよりがしてくれたらしく、今のところネットニュースはそのことで持ちきりだ。
「なんせ不死鳥だからな」
「いろいろと二つ名がついてるよー」
絶望的な状況から目を覚ましたというのは美談ともなり、元々の知名度もあってニュースは世界を飛び回っている。
その中で海外の人から贈られた二つ名が「フェニックス(不死鳥)」だ。
不死鳥と言うと昭和の歌姫と呼ばれた故人を連想させるのか、テレビではわたしとその人を比較する特集も組まれるくらい。
音域の広さや歌唱力だけでなく、その時代に与えた影響力まで比較されるのだからそれを見ている本人としてはむず痒い。
今や琴音ちゃんとならんで「令和の双璧」とまで言われている。それはさすがに過大評価なんじゃないだろうか。
「いろいろと言われてるけど、わたしは普通の人なんだけどなぁ」
「それはいくらなんでも謙遜しすぎだろ。脳の障害が根っこにあるとはいえ、ただでさえ非凡な才能を発揮してた上に登録者数3000万人を超える大人気配信者。その人が難病を克服した。どこが普通だよ」
わたしが寝てる間に登録者が三倍になってたのも十分驚いたけどね。
言われてみれば確かにテレビ受けしそうな話題ではあるな。
「もうゆきちゃんは世界中どこへ行っても有名人だよ。ある意味偉人と言ってもいいかも」
それはいくら何でも大げさです。
にっぽんの夜明けぜよ! とか言わないから。
でもそれだけ騒ぎになっているということは、かつてのリスナーさん達は首を長くしてわたしが画面の前に現れるのを待ってくれているんだろうな。
「あ! そうだ!」
思いついたことがあったので、隣でリンゴの皮を向いているひよりに声をかけた。
「何? また何かろくでもないこと思いついちゃった?」
なんでそんなに辛辣なの? わたしそんなに突飛な事ばっかりしてないと思うんだけど……。
「ゆきちゃんの後を継いで生徒会長になって大変だったんだからね。何かと言えば比較されるしさ。それもこれもゆきちゃんが普通の人では思いつかないようなことばっかり次々とやってくれたおかげだよ。お昼休みの放送だって大変だったんだからね!」
まさか今頃になって生徒会長時代の苦情を聞くことになるとは思わなかった。
ひよりが生徒会長をやってる間はわたしも元気だったし、それならそれで相談してくれてもよかったのに。
「相談したらゆきちゃん絶対に学校へ来ちゃうと思って、どうにか自分で解決はしたけどね。いつまでも頼ってたらそれこそ七光りだよ」
ひよりの言うとおり、悩みを相談されたらきっと出張ってただろう。
そうすればせっかくひよりの色に染まりかけていたものがまたわたしの色に戻りかねない。
それも見越してひよりはひよりなりに自力でどうにかしようと奮闘してたんだね。
「すっかり立派になって。お兄ちゃんは嬉しいよ」
「嘘泣きはいいから。それで、何を思いついちゃったの?」
にべもない。嘘泣きだけど感激したのは本当だからね。
「あのね、わたしがリハビリしてるとことかをスマホでいいから録画してほしいんだ。それからわたしのノートパソコンを持ってきてほしい。それを使ってまずはリスナーさんにわたしのコメントを伝えて、リハビリ風景を配信したいんだ」
ただじっと復帰を待つよりも、今何をしているかを伝えた方がみんなも安心してくれるだろう。
わたしが元気にしている姿を見せたいという気持ちもあるけどね。
「わかった。録画していいかどうかも看護師さんに聞いておいてあげるね」
わたしの前向きな姿勢に共感してくれたのか、ひよりも笑顔で快諾してくれた。
「相変わらず配信者魂がすごいねぇ」
「ほんと、いつまで経ってもどんなことがあってもそのモチベーションを保ってられるのはほんとすごいよ」
穂香と文香も感心している。
「わたしの氷は解けて、もう雪の精霊じゃなくなっちゃったけど、人々に幸せを届けたいって言う想いは何も変わってないからね!」
「雪の精霊の氷が解けたなら、これからは水の精霊だな」
「ウンディーネだね」
「それってパラケルススの四大精霊のひとつだよね。水辺に住む美しい女性の姿をしてるって言うから、ゆきちゃんにぴったりかも!」
三人で好き勝手言ってるよ。わたし的にはウンディーネよりもナーイアスの方が好きなんだけどな。
水辺のニンフとか可愛くてよくない? いっぱいいる設定だけどさ。
ひよりが掛け合ってくれた結果、病室内とリハビリ室内に限って撮影の許可をもらえたので、わたしはさっそくリスナーさん達へのメッセージを撮ることにした。




