第181曲 ゆっくり、休んで
配信開始数分前。
わたしはモニターの前に立ち、呼吸を整える。
ゆきちゃんへの愛情が感じられる期待に満ちたコメントが並び、その温かさに涙が溢れそうになる。
だけど泣いてる場合じゃない。
ゆきちゃんが大切にしてきた世界。そこに告げるにはあまりにも残酷すぎる言葉だから。
配信画面が切り替わり、わたしの姿が映し出された。
【あれ、ひよりちゃん?】【ゆきちゃんは?】【何かの企画?】
コメント欄には疑問の声が並ぶ。
笑顔でいたいけど、これから話す内容を考えたらとても笑ってなんかいられない。
画面の外で見守るお姉ちゃん達の方を向くと、口パクで「がんばれ」と言ってくれた。
うん、わたし頑張るね。
「今日はリスナーさん達に大事なお知らせがあります」
正直この先を言うのはわたしも辛い。
震えそうになる声を抑え、毅然とした表情を作って続きを離す。
【なんだろ】【ゆきちゃんは?】【今日は歌わないの?】【ひよりちゃんの表情が気になる】
先週まで元気な姿を見せていたからか、リスナーさん達には見当もつかないようだ。
ゆきちゃんを呼ぶ声が心に重くのしかかる。
「ゆきちゃんは今日、出られません。ゆきちゃんは……眠りにつきました」
振り絞るようにしてそこまでは言えたけど、その先は続かなかった。
リスナーさんもわたしと同じように言葉に詰まったのか、あれだけ激しく流れていたコメントが完全に停止してしまう。
無言のまま、どれくらいの時間が過ぎただろう。
やがてぽつりぽつりとコメントが流れ始めた。
【嘘、だよね?】【ゆきちゃんが……】【そんな……】【イヤだ!】
ゆきちゃんが言っていた五段階必要ってのはこのことか。
最初は否認、そして怒り。
わたし達も同じ道をたどってきたからよく分かるよ。認めたくないよね。
あんなに明るく快活で、元気いっぱいだったゆきちゃんが。
あの笑顔が、あの素敵な歌声が、あの華麗なダンスが見れなくなるなんて、信じられないよね。
だけどこれは紛れもない真実。イヤでも悲しくても辛くても、それを受け入れるしかないんだよ。
「嘘でも冗談でもありません。つい二日前、ゆきちゃんはわたし達の前で倒れました」
あくまで淡々と、事実だけを述べていく。
ここで感情を混ぜてしまったら、どうにか保っているものが一気に崩れてしまうのが分かっているから。
「わたし達も未だに信じられないような気持ちです。だけど現にゆきちゃんは今ここにいません。
それが事実です。
だけど、ゆきちゃんはこうなることが分かっていたんでしょうね。週に二回、発表していた新曲動画を、なんと一カ月先まで用意していました。卒業してからコツコツ撮り貯めていたんでしょうね。
既に配信予約もされています。だから今すぐお別れというわけではありません。しばらくの間、元気だったころのゆきちゃんを見て、この現実を受け入れてくれるようにお願いします」
そう言ってモニターに向かって頭を下げた。
コメント欄は悲哀と慟哭で騒然としている。
みんなこんなに悲しんでくれているよ。とっても愛されていたんだね。
その後はいくつかの告知事項と、ゆきちゃんの意志を告げて配信を終わらせた。ゆきちゃんがいないのに、同接は100万を超えていた。
1000万人の登録者を擁する大人気配信者の悲報は瞬く間に世界中を駆け巡り、脳の障害の件も含めてオールドメディアでも取り上げられるほどの大ニュースとなった。その余波なのか、皮肉なことに本人不在のままでも登録者数は増えていき、配信される動画は爆発的に再生されていく。
人の不幸というものは注目を集めてしまう物なんだろう。そこには野次馬根性もあれば、純粋に悲しむ声もある。
だけど元々のリスナーさん達はどれも悲しみと感謝の言葉であふれていて、ゆきちゃんの影響力というのはとてつもないものなんだなと実感させられる。
優しさや愛情深さというのは伝染していくものなんだろうか。
ゆきちゃんは確かに世界に影響力を持てる人なのかもしれない。わたしのお兄ちゃんは、とても立派な人なんだなって。
たまにチャンネルをチェックしてみると、そのたびに登録者が増えていた。今ではかつての数が倍以上増えて2500万人を超えている。
国内だけでなく海外の登録者もかなり増えたようで、いろんな言語のコメントが並んでいる。
ゆきちゃんならほとんどの言語を理解して、ちゃんと返事を返すことが出来たんだろうな。
だけど今は返事をする人もおらず、ただリスナーさん同士での賞賛コメントがやり取りされているだけ。
膨大なコメントにも極力返事を返していたこのチャンネルの主はもういない。
「わたしでは引き継ぐなんてできないよ……」
かつてゆきちゃんはチャンネルをわたしに譲ってもいいと言っていた。だけどこれらのコメントを見る限り、わたしが代わりを務められるとは思えない。
ここはゆきちゃんだけの世界であって、余人がどうこうできるものではないんだ。
わたしは見ていたノートパソコンをそっと閉じて、出かける準備を始めた。
東京。
都内にある世界的に評価の高い、最高学府の附属病院。入院棟Aの十四階にある特別病棟。
返事をする人のいない扉をノックして、個室の中に足を踏み入れる。心電図の音が規則的に鳴り、病院特有のにおいが鼻をつく。
カーテン越しの日が当たるベッドに横たわるその人はまるで女神のようで、息をのむほどに美しい。
「ゆきちゃん、今日はわたしの番だよ」
眠っているだけのようにしか見えないその姿に声をかけても、目覚める気配はない。
とても安らかな寝顔をしているのに、お医者さんが言うには今も活発に脳が活動しているらしい。この部屋も担当の先生が格安になるように手配してくれた。
ゆきちゃんの症状はとても珍しく、治療することによって医学会にも貢献できるということなのだから複雑な気分だ。
だけど、つきっきりの看護師さんもいて、入院患者も少ないこのフロアなら万が一の際にも万全の治療を受けることが出来る。
ゆきちゃんが実験体にされているようで気に食わない面もあるけど、文句を言っている場合ではない。
ゆきちゃんも戦っている。
わたし達の元に戻るため。リスナーさんの前にもう一度立つために。
わたしはゆきちゃんの腕を取り、切ない想いをこらえながらも愛情を込めてマッサージをやり始めた。
筋肉が固くなってしまわないように、毎日二時間のマッサージを姉妹たちが交代でやっている。
より姉とかの姉の通勤が大変だからと、都内にワンルームマンションを借りた。お金は主に上の二人が出しているけど、わたしとあか姉もバイト代の中からいくらか出している。ゆきちゃんのためなんだから、なんだってやりたい。
「ゆきちゃん、すごいよ。チャンネル登録者数が2500万を超えちゃったよ。日本だけじゃなくて、世界中からゆきちゃんの歌声を聴きに、ダンスを見に来てくれてるんだよ。一気に増えたから目が覚めた時にびっくりしちゃうかもね」
マッサージをしながらわたし達はしきりに話しかけるようにしている。きっとゆきちゃんの耳には届いていると信じて。
「そうだゆきちゃん! わたし大学に合格したよ! 一流大学じゃないけど、経営学部の有名な大学。会社経営ってのを学んでみたいと思ったんだ。もしゆきちゃんのチャンネル規模がもっと大きくなって、法人化ってなったらお役に立てるかも」
かつてゆきちゃんはわたしに進学してほしいと言っていた。きっと自分が長くは生きられないと考えて言っていたんだろう。
あの頃はまだ石頭だったから、生きることを諦めてたしね。
もしゆきちゃんがあの時の気持ちのままだったら、今ここにはいないかもしれない。わたし達は墓前でゆきちゃんに語り掛けていたのかもしれないと考えるとゾッとする。ほんと、頑固すぎて苦労したよね。
「わたし達はいつまでも待ってるから、慌てないでいいよ。しっかりと戦って、万全な状態になって戻ってきてね」
そう言って眠り姫に口づけをする。
その顔に一粒、水滴が落ちた。




