第177曲 唯一の対処法
年も明け、新学期が始まる。
生徒会長を退いたわたしは時間に余裕も出来たので、歌とダンスを撮り貯めて配信活動に打ち込んでいた。
今日も二時間だけで授業が終了したので、帰ってスタジオにこもっていた。
「これでヨシ、と」
もしわたしの身に何かが起きたとしても、いきなりリスナーさんの前から姿を消すことがないように、一カ月先まで予約投稿をしてある。
毎週の生放送枠も常に取ってあるので、何かあった時にはひよりが告知をしてくれるだろう。
何がなんでも生きると決めたけど万が一の時に備えておく必要を忘れてしまったわけではない。
悲観的になるのと最悪の状況に備えるのとでは訳が違うから。
今日の録音は終わったので作曲活動に取り掛かる。
とある目的のために作り続けている楽曲。わたしがこんなに時間をかけて作るのは珍しい。
みんなに聞いてもらう曲として、大事な場面を飾る歌として、曲にも歌詞にも並々ならぬこだわりがあるから。
「曲に関してはこんなもんかなぁ」
明確な目的があって作る曲というのはとても楽しい。
わたしも琴音ちゃんみたいに、いつかアニメの主題歌とか作ってみたいかも。そう、いつか。
……。
…………。
あれ?
いつの間にか日が傾き始めている。ついさっき曲を作り終えた時は時間にたっぷり余裕があったのに。お昼ごはんも食べてないよ。
時計を見ればあれから二時間は経っている。午後二時。
いくらわたしに集中力があるとはいえ、ここまで時間がすっ飛んでしまうものだろうか。不思議なこともあるもんだ。
仕方がないので作曲は中断して夕飯のための買出しへ出かけることにした。
「ただいまぁ!」
え? もうひよりが帰ってきた。
今日は生徒会があるということで遅くなるはずだったのに。
って午後六時! もうこんな時間! さっき買い物から帰って台所に立ったばかりなのに。
手元には切りかけの食材。手には包丁。
外は既に真っ暗。冬だから日が沈むのは早いとはいえ、またしても完全に時間が飛んでいる。わたしにいったい何が起こっているんだろう。
思い当たることはあるけれど、今は考えたくない。
もし明日も同じことが起きるなら病院へ行った方がいいかもしれない。それまでは忘れていよう。今はまだ早いよ……。
幸いお迎えを追い返す必要もなく、時間が飛んでしまう状況も昨日だけだった。
作曲に打ち込みすぎて疲れていたのかもしれない。わたしってばすぐに周りが見えなくなってしまうから、これからは少し控えないとな。
寒い時期というのは長く感じてしまうのはどうしてだろう。
夏だって六月から九月、下手したら十月くらいまでは暑いのに、冬の十二月から三月までは同じ四カ月でも長く感じる。
哺乳類は冬眠する種が多いと思われがちだけど、実は5.7%しかいない。だけどそれ以外の種も代謝を下げたりして食料の少ない冬を乗り越えようとしたりしている。そんな季節に逆らって元気に動こうとしているからこそ体感時間は長く感じてしまうのかもしれない。
科学的には心理的要因と物理的要因に分かれるらしいけど。
心理的というのは単に外に出る時間が減って、家の中で時間を気にすることが多いから長く感じてしまうというもの。
対して物理的要因は単純に日照時間の関係だそう。睡眠時間が長く、浅くなるのもそのせいだとか。
あとは受験期間中で学校にあまり行かなくてもいいというのも関わっているだろう。これを受験的要因と言う。言わないけど。
暇を持て余しているといろいろ考えてしまうから、出来ればもっと何かをしていたい。
生徒会長と家事、そして配信を抱えていた時期は結構忙しかったけど、それはそれで充実していたもんなぁ。
「というわけでさ、バイトでもしようと思うんだけど」
「アホか」
人の決意を一言で一蹴するとはどういうことだ!
「なんで!? みんなもバイトしてるじゃん!」
わたしの提案を瞬殺してくれたより姉がため息をつく。
「あのなぁ。あたしらとお前では訳が違うだろ。ゆきは収入に関してはもう十分に稼いでるから今更アルバイトをする理由は薄いし、なによりお前にはこれ以上忙しくしてほしくねーよ」
理由が薄いのは納得できるけど、忙しくして欲しくないとはどういうことだろう。
わたしはいつから箱入りになったんだ?
「心配しなくても外に出たからと言って他の人に目移りなんてしないよ?」
わたしが愛する人はここにしかいないんだから。
「ば、バカ! そうじゃねーよ。外に出たらその……頭に入ってくる情報量がどうしても増えてしまうだろ?」
なるほど、そういうことか。
そう言ってくれる気持ちは嬉しいんだけど……。
「他のみんなも同じ気持ち?」
わたしの質問に他の三人も一様にうなずく。そうか。
「みんな、わたしの事を大切にしてくれてありがとう」
まずは大切にしてくれていることに対して感謝の言葉。
だけどわたしの本意はそこにはない。
「だけどね、ボイレコにも吹き込んでいたように、わたしは『シュレーディンガーの猫』になる気はないんだよ。家の中に閉じこもり、世間から隔離されてしまうくらいなら、わたしは死を選ぶ。
以前のわたしなら使命のせいにしていたかもしれないけど、そうじゃなくて、誰にも関わらずただ無為に日々を過ごすのはわたしにとって死んでいるのと何も変わらないんだよ。
使命は与えられたものじゃなくて、わたしの本質なんだ」
わたしに少しでも長く生きて欲しいというみんなの気持ちはよく分かる。わたしだって一秒でも長くみんなと過ごしていたい。
だけどそれとこれでは問題が別なんだ。
生きている以上、わたしは自分が生きていた証を残したい。
その為にも家の中に閉じこもっているのはイヤなんだ。
「でも。ゆきちゃん生きるって約束してくれたでしょ? 少しは自分を大切にするって意味じゃないの?」
ひよりが不安げに聞いてきた。わたしが以前のように自分をないがしろにすると感じているのだろうか。
「心配しないで。決して自分を軽んじているわけじゃない。極力無理だけはしないようにするよ。でも、おっかなびっくり延命するよりは、この障害そのものを乗り越えてしまいたいと考えてるんだ」
「乗り越えるとはどういうことですか?」
かの姉が当然の質問をしてきた。わたしにも根拠がないのだから、みんなには予測も出来ないだろう。
「要するに、インプットした情報がさばききれなくなって、オーバーヒートしてしまうって言うのがお医者さんの意見なんだよね。だったらわたしはそれを処理しきってみせる」
「どういうこと」
今度はあか姉が聞いてきた。
「分かりやすく言うとパソコンのデフラグだよ。煩雑になった情報を分かりやすいようにまとめて脳の負担を減らす。あわよくば不要な情報を捨てられるかもしれない」
「そんなこと、口で言うほど簡単にできるの? ゆきちゃんは機械じゃなくて人間なんだよ?」
ひよりが心配そうに首を傾げる。彼女の言うとおり、言うは易し行うは難しの典型的なものだろう。でもわたしにはひとつだけ勝算がある。
「言うほど簡単じゃないんだけどね。でも頭の中の情報を整理する方法ってひとつしかないんだよ。それは勉強と同じで、繰り返し見ること。幸いわたしは過去の記憶を追体験することが出来る。その力を利用して、記憶を最初から塗り替えることが出来れば……」
そんなことが本当にできるのかは分からない。わたしの中でも実証したわけではなく、あくまでも思考実験だ。
だけど何もせず延命するよりも、わずかでも可能性にすがっていたい。
「そんなことして、余計に脳に負担がかかったりしねーのか?」
より姉の懸念ももっともだ。わたしにとって思い出すというのは実際に経験することと変わらないのだから。
自分にとって辛いことを思い出す必要もある。
「それは分からない。全てを思い出すのにどれくらいの時間がかかるのかも。これはあくまで賭けではある。だけどわたしの勘でしかないけど、勝率は割と高いんじゃないかと思ってる。なにせわたしの能力はチート級だからね」
そう言ってわたしは笑ってみせた。
絶対に負けないという強い意志を持つことができたからか、わたしはこのことに関して自信がある。
「もちろん、試す前にお医者さんには相談するよ。わたしが思い出すときにどれくらい脳に負担がかかるのか、脳波を計ってもらいながら試してみるつもり」
正直言って病院に通うのは嫌いだったけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。
嫌いなものだろうと苦手だろうと、使えるものは全て使って、何がなんでも生きてやる。
それがこの愛しい人たちに対する、最大の愛情の示し方だとわかったから。
「心配するなという方が無理かもしれないけど、どうか私を信じて。わたしは必ず乗り越えて見せる。愛するみんなとの明るい未来を勝ち取ってみせる」
決意に満ちたわたしの瞳を見て、みんなも受け入れてくれたようだ。
先ほどまでの不安げな様子とは違って笑顔を見せてくれている。
「そこまでゆきの意志が固いなら大丈夫だろ。なんだかんだで全てを乗り越えてきたんだもんな。今回もそうだと信じてるぞ」
強気な事を言いながらも、より姉の手が少し震えているのは見逃さなかった。
どうしても不安が残ってしまうんだろう。
この不安を喜びに変えるため、もう一度決意を新たにした。




