第172曲 溶けだした氷は奔流のごとく
「……今日って何かの記念日だっけ?」
朝から所狭しと食卓に並べられた料理の数々に、戸惑いの視線を交わすあたし達四姉妹。
当のゆき本人は超ご機嫌で、鼻歌を歌いながらフライパンを振っている。まだ作る気かよ。
「ゆき? さすがに朝からこんなには食べられないぞ」
朝どころか三食かかっても食べきれそうにないんだが。
「うん、いいよ! 残った分はお弁当に詰めるから! お父さんとお母さんにももう持たせてあるしね!」
うちにそんなに大きな弁当箱あったっけ?
最後に作った料理を持って、ゆきがようやく席についた。
みんなが好きに食べられるようにと大皿に盛られた数々の料理。どれも手の込んだ豪華なものばかり。満漢全席かよ。
「ゆき、今日は朝からどうしたんだ? 何かの記念日みてーな豪勢な食卓なんだが」
「やだなーより姉。そんなの決まってるでしょ。もう一度希望を持つことが出来て、みんなへの愛情を心置きなく伝えることができるようになったんだよ。朝からお祝いして当然じゃない!」
朝からお祝いするのが当然なのかどうかは置いといて、やっぱりそういうことだったか。
いや、兆候があったというか、朝起こしてもらう時点で既に始まっていたからそんな気はしてたんだけど。
「より姉、朝だよ。起きて」
いつもの朝と同じくゆきの優しい、愛しい声で呼び覚まされる。毎日の至福ともいえるこの時間は、あたしらだけに与えられた特権だ。
この時間がいつまでも続いてほしくて、夢の世界から帰ってきても目を開けず、寝たふりを決め込むんだ。
いつもならそれでも優しく揺り起こしてくれる。だけど今日は様子が違った。
「もう、しょうがない眠り姫だよね」
その言葉と共に頬に手が添えられ、唇に温かい感触を感じた。
え? キス!?
驚いたあたしは狸寝入りなど忘れて、目を見開いてしまった。
「あ、起きたね。おはよう、より姉。目覚めはどうですか?」
いや、ばっちり覚醒したっての。
「あ、あぁ。すっかり目が覚めたよ。それよりゆき、さっきのって?」
まだ少し混乱しているあたしは分かり切っていることを確認してしまう。
「さっきって? あぁ、目覚めのキスの事? その方が気持ちよく目覚めるかなと思ってね。イヤだった?」
「イヤなんてことは絶対ないけどよ。……その、少しびっくりしただけだ」
「それならよかった! これからも毎日こうやって起こしてあげるね」
花が咲いたように満面の笑顔を浮かべるゆきは、いつにも増して乙女のようだ。
「それじゃもう少しゆっくりしていてもいいけど、朝ごはんが出来るころには下りてきてね!」
エプロンの裾を翻し、次の部屋へと去っていくゆき。可憐だ……。
後で聞いたところによると、他の三人もぐずっていたらキスをされて一気に目が覚めたらしい。そりゃそうだよな。
「全部食べなくていいけど、お腹いっぱい食べてね! 朝は体の資本だからさ」
「お、おぉ。それじゃ、食べるか。あ~、いただきます?」
「なんで疑問形なのさ。いただきまーす!」
「「「いただきます……」」」
戸惑い気味に声を揃えていただきますをする妹たち。あれだけ色恋に否定的だったゆきがこんなになるなんてなぁ。
対面キッチンのカウンターには両サイドに赤い花が飾られているし。いつの間にあんなもの用意したんだ。
「ゆき、あの赤い花はなんなんだ?」
「緋衣草のこと? あれはもちろんみんなの事を想って飾ってあるんだよ」
「サルビアですか。キレイですね。たしか花言葉が……なんでしたっけ?」
楓乃子が質問をしたところ、ゆきの頬が朱色に染まった。あたしらを想ってって言ってたよな、なんだろう。
「赤いサルビアの花言葉はね……『永遠にあなたのもの』……だよ」
「「「「ぶはぁ!」」」」
四人で一斉に噴き出した。
なんだなんだ! なんなんだこの可愛い生き物は!
乙女化なんて生半可なもんじゃねー。もはや乙女そのものじゃねーか! これが本当のゆきだっていうのか……。
あまりの可愛さにドギマギしてしまうのはきっとあたしだけじゃないだろう。ゆきも頬を両手で押さえてはにかんでいるけども。
ゆきがあんまりにも可愛すぎて朝から心臓がうるさい。可憐さといじらしさにやられちゃってるよ。
あたしも女なんだけどなぁ。
もう普通の恋なんて絶対にできないな。
* * *
今日のゆきちゃんは可愛すぎる。
そりゃ昨日はお姉ちゃん達と一緒にずっと愛して支え続けるって伝えたし、みんなでキスもしたけどさ……。
まさか朝の目覚めがゆきちゃんからのキスで始まるだなんて予想もしてなかったよ。もちろん嬉しいんだけどね。
だけど昨日までのゆきちゃんとのあまりの豹変ぶりに、理解が追い付かないというか、純粋に戸惑ってしまう。
だって……どちゃくそ可愛いんだもの!
今も通学路の途中で他の生徒たちも見ているというのに、わたしの腕をしっかりと抱えて離さない。
わたしよりも少しだけ大きな胸に、わたしの腕が挟まれてしまっている。わたしも女なのに、ドキドキしてしまうのはなぜなんだ!
明らかに男女逆だろ!
だけど当のゆきちゃんはそんなことを気にすることもなく、幸せそうにニコニコしている。くそぉ、可愛いなぁ。
「ゆきちゃん、恥ずかしくないの?」
今まではわたしがゆきちゃんの腕に絡みついて、なすがままにされながらもすごく恥ずかしそうにしていたのに。
「全然! 兄と妹が仲良くしていて恥ずかしいことなんて何もないでしょ」
休み前の校内放送で、血がつながっていないことを暴露したばかりだというのに忘れてしまったんだろうか。
「それに兄妹じゃなくて恋人だと思われても全然恥ずかしくなんてないよ。むしろ嬉しいかもね」
「ぐはぁ!」
朝ごはんに続いて再びのクリティカルヒット。
も、萌え死にさせる気か……。
女としての可愛さで負けているような気もするけれど、そんなことはこの際どうでもいい。
あまりの可愛さに目覚めから先、ずっと心臓がドキドキしっぱなし。確実に今日で少し寿命が縮んでしまっているに違いない。
今まで抑制されていたものを解放するかのような乙女ムーブに翻弄されて、すっかり浮足立ってしまっているわたし。
ゆきちゃんの乙女化に比例して、わたしのオス化が進行してしまっているんじゃないだろうか。
「あんまり可愛すぎて抱きたくなっちゃったらどうすんの」
我ながらおかしなことを言っているとは思うけど、すっかり歪んでしまった性癖はもう元に戻りそうにない。
「ふふ。わたしはそんな簡単じゃないよ。もっと愛してくれないと許さないんだから」
ごめんなさいわたしの負けです。
もうほんと、敵わないや。
* * *
みんな戸惑ってるなぁ。それもそうか。
でもこれはみんなだって悪いんだからね。
わたしが昨日言ったこと、そしてそれにくれた答えを忘れたとは言わせないよ。
「みんなの気持ちは分かった。でもね、こんなわたしを、って言うのには理由があるんだよ。わたしの事を愛してくれて、それを受け入れるって決めたけど、わたしは四人の中から誰かを選ぶなんてできない。けじめをつけることも出来ない優柔不断な男なんだよ?」
確かにそう言ったよね。
非難されても仕方ないと思っていた。誰かを選べと詰め寄られるのかもしれないとも覚悟していた。
だけどみんなは違う答えをくれたよね。
「それで構わない。あたしらも取り合って争う気なんてないからな。誰かを選ぶということは誰かを捨てるということだ。ゆきがそんなことをできないのは分かってるし、そんな辛いことをさせるつもりもねーよ。それにゆきなら四人を同時に愛せるだけの深い愛情を持っているだろ」
あんなに男前な顔でそんなことを言われたら、おかしくなっちゃうよ。メス堕ちだよ。
あの言葉で、わたしのリミッターはすっかり解除されちゃった。
今までずっと抑えていた想い。雪解け水のごとく、一気に溶かされた氷が奔流となって、その勢いはとどまることを知らないんだ。
朝から開店前の花屋さんに訪れて、サルビアを購入した。
2つの花瓶に二本ずつ、きっかり四本のサルビア。みんなのことだよ。気づいてくれたかな。
すごく幸せな気分で朝から活けた。
明日はカスミソウを飾るつもり。
花言葉は「幸福」「永遠の愛」「感謝」だよ。
これから先ずっと、わたしがみんなを守るからね。




