第166曲 少年の残したもの
『宇宙はいつだって真っ暗です。空気という、光を反射して拡散する物質がありませんから。
この先わたし達はいずれこの学校を卒業し、社会へと飛び出していきます。
社会の厳しい現実も、ヒヨっ子と言えるあなた達にとっては一寸先も見えない真っ暗闇と言えるかもしれません。
世間の厳しい荒波の中、時には挫折を味わい、時には失敗をして落ち込んでしまうことがあるかもしれません。壁にぶつかり、どうやって前に進めばいいのか分からなくなる時だってあるでしょう。
社会という暗闇の中一人放り出され、迷子のように心細くなる時もあるでしょう。
そんな暗闇の中にいても、決して諦めず、輝き続けてください。
迷った時は立ち止まってもいいです。壁を乗り越えるすべが見つからなければ回り道をしてもかまいません。時には座り込んでしまうこともあるでしょう。
だけど、その時間が過ぎたら、立ち上がってください。立って前を見て、最初の一歩をもう一度踏み出してみてください。
わたし達人間は赤子の時からいつだって、最初の一歩はおっかなびっくりです。覚束ない足取りでも、勇気を出して足を前に踏み出した人だけが歩くことが出来るんです。
人生は失敗してもやり直しをすることが出来ます。その場でゲームオーバーということはありません。リセットも出来ませんが。
だけど立ち上がるという意思を持ち続けていれば、また歩き出すことが出来るんです。
わたしはたとえこの命が尽きても、いつでも皆さんと共にあるつもりです。挫けそうになった時、もうダメだと諦めそうになった時。
ただ生きたという証を残すためだけに、命を削ってでも皆さんと共にあろうとしたわたしの事を思い出してもらえたら、少しは前向きな気持ちになれるかもしれません。
もし立ち上がるための勇気を少しでも与えることが出来たなら、わたしは今日思い切ってこの話をした甲斐があります。
たとえ覚えていなくても、頭の片隅にでも置いていてもらえれば、わたしは皆さんと共に生き続けることが出来ます。』
いつかは誰もが記憶の中だけの存在になり、いずれ忘れられていく。それはわたしとて例外ではない。
『人は全ての人から忘れられた時、本当の死を迎えると言います。逆を言えば、誰かの記憶に残り続ける限り肉体はなくとも生き続けることが出来るんです。
みなさんも誰かの記憶に残るくらい、明るく輝いてほしいんです。それがわたしの願い。
わたしは今日まで全力で生きてきました。少しは明るく輝いていたという自信もあります。
長い短いは関係ないんです。いくら長生きしてもくすぶるだけでは輝くことなんて出来ません。短い人生でも明るく輝くことはできます。
わたしという生き証人がいます。
わたしはどんな時でも、いつまでもみなさんの友人です。
少なくともここに一人、本気であなたの幸せを願っている人がいるということ、忘れないでください。
しっかりと目を凝らしてみれば、もっと多くの人があなたの周りにはいるはずです。
そのことを忘れず、これから先の人生少しでも実りあるものになるよう、立って前を見てください。
本当は人生に意味なんてないのかもしれませんが、そこに意味と彩りを与えるのはあなた自身です。
長々と話をしてきましたが、わたしの伝えたいことは以上です。
わたしは用があって今日このまま帰宅しますので、残り時間はクラスでこの時間の事を話しあってみてください。
わたしからのお題は【幸せになることとは】です。特に答えを提出する必要はありません。ただ考えてみてください。
それではまた週明けに元気な姿で会いましょう。
生徒の皆さん、教職員の方々、本日はどうもありがとうございました』
そこでマイクを切った。訪れる静寂。
とうとう話してしまった。これからどんな反応があるのか、不安がないと言えば嘘になる。
だけど、それ以上にどこか肩の荷が下りたような爽快感があるのは、やはり隠し続けているのが心苦しかったからなんだろう。
「さて、次は愛しい天使様に向けてだね」
横に置いてあったボイスレコーダーに向き直り、わたしは話を続けた。
* * *
わたしは呆然としていた。
クラスの中は騒然としている。
だけどその騒ぎもわたしの耳には届かない。
ゆきちゃんに……時間がない?
あまりのことに理解が追い付かない。いや、脳が理解を拒んでいるような感覚。
「ねぇひより。あなたは知ってたの?」
サキちゃんに肩を掴まれ、ようやく我に返った。
「記憶障害と色覚障害の事は……。記憶に容量があるなんてことは何も言ってなかった……」
まだ何かを隠しているということは分かっていた。約束通り12月に本当の事を言ってくれた。
もしかしたらゆきちゃんがいなくなるんじゃないかという恐怖感もあった。だけど心がそれを否定していた。イヤだ、認めたくない。
いなくなるとしても、入院するとか、治療のために外国に行ってしまうとかそのくらいのことだと高を括っていた。
まさか、本当にいなくなるなんて。
不思議と涙は出ない。取り乱しもしない。ビックリするくらい頭は冷静なのに、体は震え、心臓は鼓動を早めたまま落ち着いてくれない。
気分が悪くなってきた気がする。えずいた。
お昼に食べたゆきちゃん特製のお弁当が食道を逆流しかけ、慌てて唾を飲み込む。苦くて酸っぱい味が口に広がった。
「ひより、大丈夫?」
心配そうに様子を見てくれていたサキちゃんが背中をさすってくれながら聞いてくる。
分からない。わたしは今大丈夫なんだろうか。
「わかんない。ただ混乱してる」
「そうだよね。わたしだって混乱してるんだし、ひよりは尚更だよね。とりあえず拭きなよ」
そう言ってハンカチを手渡してきた。え、何を?
「涙。気づいてなかったの?」
頬に触れてみる。手に水滴がついて初めて気が付いた。滂沱という表現がしっくりくるほどに涙がとめどなく流れている。
当たり前だ! あんな話を聞いて冷静でいられるわけがないよ! ゆきちゃん、どういうこと!?
「イヤだよ……ゆきちゃん……」
意識をしたらもう止まらなくなった。さらに涙が溢れ、嗚咽が漏れる。
「う、うぅぅ。ゆき……ちゃぁ~ん」
周囲からもすすり泣く声が聞こえてくる。サキちゃんもわたしの頭を撫でてくれながら泣いている。
ゆきちゃん、みんなこんなにゆきちゃんのことを慕ってるんだよ。本当にいなくなっちゃうの?
* * *
「穂香……」
「文香……」
もうわたしも穂香も涙でぐしゃぐしゃだ。ゆきちゃんの真実を知り、その想いを聞くだけで涙を抑えることができなくなった。
「こういうこと……だったんだね」
色恋を頑なに否定していたこと、誰も幸せにできないと言っていたこと。全てがつながった。
「考えうる限りで最悪の答えだったな……」
穂香の言うとおりだ。まさかこんな結末が待ってたなんて。あんまりだよ、ゆきちゃん。
周囲を見ればクラスメート達もショックを隠せないようで、涙を流している生徒もたくさんいる。中学からずっと一緒だった木野村君や田村君も。
「先生は何も聞いてなかったんですか」
涙を拭うこともせず、木野村君が担任の先生に質問した。
新任で今年から初めて担当クラスを持った川崎香織先生も戸惑い、涙を流している。様子を見る限り何も聞いてはいないようだ。
「わたしも初めて聞いたわ。まさかあんなに明るいゆきちゃんがそんなものを抱えていたなんてね」
「ちくしょう。どうにもならねーのかよ」
幼少の頃から抱えている障害なんだから、今まで何度もお医者さんにはかかっているだろう。それでもどうにもならないということはそういうことなんだろう。
「治せるもんならとっくに治してるだろ」
田村君が吐き捨てるように言う。やり場のない怒りを持て余している様子だ。
「気持ちは分かるけど、ゆきちゃん自身がとっくに受け止めてるんだからわたし達が怒っても仕方ないよ」
「それはわかってるけどよ。もっと早くに言ってくれても良かったんじゃねーか」
「そんな簡単に口にできるようなものでもないでしょ。いくら付き合いが長いからってなんでも言えるわけじゃないよ」
友達だからって秘密が何もないわけではない。特にゆきちゃんは優しいから、ギリギリまで悲しい思いをさせたくなかったんだろう。
「ゆきが望んでたのは自分の幸せについて考えろ、だったよね」
場の空気を変えたいのか、穂香がゆきちゃんの言い残した課題に言及した。
ゆきちゃん自身もわたし達がこれだけ沈むのは望んでないだろう。
「そうだね。本当にゆきちゃんを友達と思うなら、ただ嘆くだけじゃなくてもっと前を向かないと。ゆきちゃんならきっとそう言うよ」
「いつだって自分より他人のことだもんな。あんな事情を抱えてるのにそんなことが出来るやつ、いるんだな」
田村君も思い出したのか、怒りを鎮めて考え込んでいる。
「俺自身の幸せ、か。バレーもそんなに上手いわけじゃないし、勉強もそこそこ。俺には一体何があるんだろうな」
「そんなに卑屈にならなくても。探せば何か得意なものあるでしょ」
放送が終わったばかりの頃はお通夜みたいな空気だったけど、徐々にみんなゆきちゃんの残した言葉について考え始めてる。
前を向いて歩けって言ってたもんね。このクラスのみんな、いつの間にかゆきちゃんの影響を強く受けてるのかもしれないな。
わたしもゆきちゃんを好きなんだから、いつまでも嘆いてないで彼と楽しい思い出を作ることを考えるべきなのかもしれない。
そんな簡単に割り切れるか。正直自信はないけれど。




