六章 その手を(6)
冬峰は林立する石柱群に足を踏み入れてから、ある気配が己を追尾していることを感じ取った。立ち止まり相手するべきか数瞬考え、そのまま走り抜ける事を選択する。
このまま進めば嫌でもあちら側からちょっかいを掛けてくることは明白なので現時点で相手をすることの時間の浪費を嫌ったのだ。
石柱群の内部は視界が悪く、ところどころにこびりついた緑色の堆積物の発する臭いで嗅覚も麻痺されていく。
光沢のある地面も平坦では無く絶え間なく変化し続ける傾斜の角度に、そこを行く者の三半規管が不調を起こしても仕方がないだろう。おまけにところどころ、倒れた石柱の組み合わさった急な傾斜や地面の裂け目が有り、石柱のかたわらを通り抜けることに難儀している者を呑み込もうと待ち構えていた。
しかし、冬峰はいかなる鍛錬を積んだのか、疾走の速度を変えることなく入り組んだ石柱間の通路を通り抜けていた。非常に狭い通路は半身になって滑り込み、地に開いた傾斜の裂け目は跳躍して石柱を蹴って更に高く跳んで向こう側へ渡って行く。
そんな彼を追尾する気配も速度を落とすことなく、いや、彼より速い速度で石柱のただ中を突破する。
「四つ、いや五つ」
冬峰はその追尾する気配が己の頭上、石柱の中腹を猿の如く跳び移りながら己に追いついているのを感じた。そして自分を包囲する心算か、気配のひとつが彼を追い越すかのように速度を上げる。
「そろそろか?」
袈裟懸けに背負った刀の鞘を左腰に移動させた。
二尺一寸八分の優美な曲線を描く刀身の切れ味は、この島への航海の途中で遭遇した深き者共相手に確認済みだ。
以前の長脇差では【深き者共】の関節、腹といった柔らかい部位を狙うか、古流剣術の技を駆使して固い鱗を叩き斬るしかなかったが、この無銘の刀は硬い鱗ごと難なく胴を両断した。分厚い刃厚の蛤刃の刀身に刃こぼれは無く、冬峰はその刀の切れ味と丈夫さを気に入り、フェランとともに搭乗した船に侵入した深き者共の大半を試し切りで葬り去ったのだ。
その結果、その船の乗員である軍人達は【深き者共】と遭遇するまでは冬峰を「サムライボーイ」と称して気安く話し掛けていたのだが、遭遇した以降は彼をほめるどころか危険人物の様に近寄る事も無くなった。
まあ、冬峰は煩わしいことが無くなったと内心喜んでいたが。
前方の石柱から何かが急降下して、彼の眼前に着地すると同時に、落下の衝撃をばねとでもするように細長い身体たわませ、次の瞬間に力を解放して跳びかかって来た。
鞘口に添えた左手の親指で鍔を押しだし鯉口を切る。
冬峰は足を止めず、身体を前屈させて跳んで来た何かの下へ潜り込む。
そいつの鋭い鉤爪が冬峰の頭髪をかすめて頭上を越え、背後の石柱に濡れた音を立てて激突した。
巨大なトカゲの様な上半身のみが。
残った下半身は冬峰の前方で長い尻尾をのたうって地面を飛び跳ねている。
「トカゲ人間? でも鱗は硬かったよな」
冬峰は振り返ってすでに動かなくなった上半身を見下ろした。
ヤモリの様な外観に特殊部隊が装備している二つ目の暗視装置を装着して胴体にはボディアーマーような防弾着を身につけている。両手の指先の爪は長く鋭い。
冬峰は人間大のトカゲともヤモリとも見てとれる異形の者を、腰の部分から抜き打ちざまに両断して退けたが、袈裟切りを選んでいれば厚いアーマープレートに阻まれて、ひと太刀では仕留められなかったかもしれない。
冬峰は血刀を下げたまま頭上をふり仰いだ。どうやら残りの四匹に追いつかれたようだ。
冬峰を幻惑するかのように石柱を蹴って互いの位置を入れ替えながら落下してくる影は、冬峰を包囲するように囲むとぴたりと静止した。
一匹目は冬峰の右側五メートル程手前で姿勢を低くして地面に伏せ、何時でも跳びかかれる体勢を取っている。
二匹目は冬峰の左側四メートル程手前で、そこに建てられた石柱の表面に逆しまにへばり付き舌を伸ばした。
三匹目は冬峰の左真横三メートルの位置で、冬峰の斬撃を警戒しているのか、半ば石柱に身を隠している。
四匹目は冬峰の真後ろの石柱で、三メートルの高みから犠牲者の予定となる少年を見下ろして口を開いた。赤く伸びた下から唾液をこぼす。
冬峰の両手が動き、刀身が徐々に上がり左足を引いた状態で中段に構えた。切先はやや内側に傾ける。向身青眼にと呼ばれる古流剣術の構えを取り軽く息を吐く。
駆けた。
冬峰は左真横のヤモリ人間に向かって、構えを崩さず向き直り間合いを詰める。
最も距離が近い敵を手早く片づける心算だろうが、その敵は石柱の向こう側におり攻め難いはずだ。
残りの三匹も冬峰を追ってあるモノは疾走し、あるモノは宙を舞う。
冬峰が最初の敵を責めあぐねている背後から、一斉に攻撃を仕掛ける心算なのだろう。それぞれ人工物の緑色の光を放つ両眼が音を立てて冬峰の背中に照準を定める。
迫る冬峰に対して石柱の向こうに右半身を隠したヤモリ人間は、石柱から覗く左手を素早く冬峰の顔面に突き出した。
冬峰の体格はそれほど大きくなく、一六七センチと実は春奈より低い。
そんな彼の刀を構えた時のリーチとヤモリ人間の爪先までのリーチはほぼ同じ、間合いが同じなら機先を制するか、後の先にて相手の裏をかくかが生死を決める。
伸びてくる鉤爪を冬峰は刀の切先より下の部分、ものうちの鎬で受け止めた。反発しあう勢いを生かしてをそのままに切先を右肩後ろから左肩上に旋回させて石柱から突き出たヤモリ人間の左手首へ振り下ろした。
鮮やかに切り落とされた左手首に怯む事も無く、ヤモリ人間は右手を突き出そうと僅かに身体を左に捩る。
それが生死を分けた。
冬峰が斬り落とした勢いから右足を引いても左肩を突き出す体勢で首が無防備なのを狙ったのだろう。石柱から身体を捻った勢いでヤモリ人間の首が突き出される。
その首へ銀光が奔った。
足腰を回した冬峰の隙の無い神速の斬りつけは、切っ先がヤモリ人間の喉に掛かるギリギリの間合いだったが、勢いづいたヤモリ人間はそれをかわすことが出来ず己の喉にそれを食い込ませていく。
柳生新陰流【右旋左転】。相手の斬撃を受けた勢いで刀を右旋回させて相手の左拳を打ち、相手の二の太刀に合わせて隙の無い動きで後の先を取り右拳を打つ勢法によく似ているが、冬峰の最後の一刀は相手の命を奪うものに変化していた。




