六章 その手を(1)
第六章 その手を
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「くはっ」
兵士は大きく息を吐いて、背後の奇妙な象形文字の刻み込まれた黒光りする石柱にもたれかかった。
石柱と同じ素材であろう起伏に富んだ地面はそこを歩く者の三半規管を狂わせ、おまけに油断をすれば足を滑らして横転するに違いない光沢を放っている。
厄介なことに緑色のかかった黒色の泥の様な異臭を放つ物質が所々に地面に落ちており、石柱の間を通り抜ける際に幾人かがそれを踏みつけてバランスを崩し、地面の傾斜に沿って暗い谷底へと落ちて行った。
兵士は辛うじて石柱にしがみ付いて同僚と同じ運命を辿ることを回避した。しかし己の身を守るAK103自動小銃は同僚たちと同じ場所へ落ちてしまったが。
時折聞こえる銃声も次には悲鳴へと変わり、再び静寂がこの奇妙な石柱の立つ島を支配する。
「くそっ、オルケン、マーカス、誰かいないのか」
ヘルメットの側面から口元に伸びるラジオマイクで、周囲に声が漏れぬようにして共に上陸した仲間に呼び掛けるが、聞こえるのはノイズ音ばかりで応答は無い。
思えばこの島の領海に近づいた時から地獄に足を踏み入れたのだろう。
彼等の所属するソロモン機関は偵察機からの南緯四七度九分、西経一二六度四三分に奇怪な島が出現との一報を受け、急遽、邪神復活対抗部隊を編成してその海域へ派遣することとなった。
大異変以降、南半球の海域は異形の怪物が跳梁跋扈する危険地帯と変貌しており、人類は北半球へと退避するしかなかったのだ。
ソロモン機関は、その魔の海域へ太平洋の島々を奪還する作戦の一環として、上陸作戦の中核となるべく開発された新型強襲揚陸艦を派遣した。
全長二百メートル、全幅二十八メートル、喫水六・九メートル、満載排水量二万二千トンと一国の軍隊が所有していても不思議ではないこの船は、甲板が空母のごとく飛行甲板の役目を果たしており、S65C3大型輸送ヘリを通常八機搭載出来る。
また、船体後部は長さ五十メートルのウェルドックとなっており、通常はウェルドック手前に中型揚陸艇が四隻、奥に旧式だが小型で軽いPT76浮航軽戦車が一六台格納されている。
その反面、武装に関しては二十ミリ単装機関砲が二門、十二・七ミリ機関銃が四門、RAM近接ミサイル発射機が一機と船の規模としては少々物足りない。
それに乗り込んで出港した彼等は、それぞれが【深き者共】を中心とした海からの侵略者相手に死線をくぐり抜けてきた強者だったが、太平洋に突如出現した黒い石柱が無数に立つ島に到着して、その島から吹きつけてくる鬼気を感じた途端、己の深い部分にその島で眠るモノへの怖れが湧きあがって来るのを感じた。
島の全貌を探る為に、島の上空を一周したS65C3からの報告は、その島の攻略が容易なものでない事を兵士達に知らしめた。
島の沿岸部から島の中央部の一際大きな尖塔を囲むように林立する黒い石柱は、高さはまちまちで太さも一定ではない。島の沿岸部から島の中心へ三百メートル程は石柱の間隔が狭く城壁のような役割を果たしている。また石柱は直立しているわけでなく、斜めに傾いでいるものも確認できた。これは島の地面が様々な方向へ傾いていることが原因のようだ。
島の中央へ進むほど石柱は太くなるが数は減ってきており、島の中心部は直径二百メートル程の広場とその中央に立つ巨石から作られたと思われる奇妙な角度で構成された鉄扉を備えた尖塔が周囲を睥睨していた。
今回の彼等の任務はこの島にいるであろう少女の救出、手遅れの場合は排除である。
さらわれた少女は中央の尖塔に幽閉されているのだろう。奪還が不可能な場合は、彼女もろとも、この尖塔を破壊するよう指示が出ている。
問題は沿岸部の石柱群は石柱間の幅が狭く、小型なPT76戦車の全長七・六三メートル、全幅三・一四メートルの車体すら通り抜け出来ない事だ。
また上空から観察すると地面の凹凸が酷く戦車や軽装甲車では傾斜を乗り越えられないとの報告が上がった。
ヘリで兵士達を降下させる案が出されたが、外周部は石柱群の間から吹きあがる風の方向が不規則で、揺らいだヘリ同士の接触の可能性がある事、島中央部は目標の前で広い為、降下ポイントとしては最適だが、石柱群から通り抜けた風が巨大な尖塔に当たって吹き上がり上昇気流を生み出している事から、上空の通り抜けは出来るが兵士の降下時に静止するには適していないとの連絡が偵察ヘリから届く。
結局、作戦は中型揚陸艇で沿岸部に接岸。そこから歩兵が石柱群を通り抜けて広場中央部の尖塔を目指す作戦が採用された。
幸いにも今回は不測の事態に備えて、搭載ヘリの構成S65C3大型輸送ヘリ六機とAH64攻撃ヘリ二機としたことだ。沿岸部で不測の事態が発生した場合、歩兵の火力不足をこの二機のAH64ヘリで補うこととする。
そして四隻の揚陸艇とソロモン機関の兵士百二十人によるルルイエへの上陸作戦が決行された。
しかし四隻の揚陸艇がウェルドックから出航、ルルイエと強襲揚陸艦との中間地点に達した頃、その周囲に海中からの浮上する影が接近して、揚陸艇の船体の縁に居る兵士達が海面を覗き込む。
数人の兵士はシャチやサメの類かと警戒してAK103やバレット対戦車ライフルを構えたのだが、実際それより性質の悪いものだった。
海面を突き破るように水飛沫と共に現れた全長三十メートルを超える巨大な半魚人、いや【深き者共】の集団に囲まれて強襲揚陸艦と四隻の揚陸艇は行く手を阻まれ、揚陸艦に至っては甲板によじ登られてしまう。
艦載ヘリがヒレのついた鉤爪で各部を壊され飛行不能となる中、何とかAH64と数機のS65C3が発進したが、それも上空より急降下して現れたジェット戦闘機以上の速度と運動性を披露する巨大な蝙蝠の様な化物との空中戦に敗れ、一機、また一機と叩き落とされていった。
強襲揚陸艦は、機関砲と機関銃、エレベーターから甲板に上がって来たPT76の四二口径百二十ミリ砲等の重火器で甲板と艦を取り囲んだ巨大な【深き者共】相手に奮戦していたが、観測手が海中レーダーに映る急速浮上する二つの巨大な影を認めた直後、轟音が上がると共にウェルドックを破壊されてしまう。
神よ、と艦長は呆然と口にしたが、それを咎める者は艦橋におらず、皆、船外の光景に目が釘づけとなる。
浮上したものは海上に浮き出た上半身の巨大さから、およそ百メートルを超える巨体を持つ【深き者共】であった。
強襲揚陸艦の艦長は三年前からソロモン機関に雇われており、雇用契約時、海上で遭遇する怪異について数時間の講義を受けていた。その中で危険な怪異のひとつとして挙げられたものの特徴と出現した巨大なものの特徴が一致して、艦長は総毛立った表情を浮かべる。
「ダゴンとヒュドラだ。反転、退避」
【大いなるK】の従者であり、古代ペリシテ人に崇拝されていた魚神の名を艦長は口にして自身が預かる艦への指示を飛ばす。
すぐさま退避行動に移る空母であったが、二匹の巨大な深き者共、ダゴンとヒュドラは深追いせず、島を守るかのようにその場にとどまり続けるようだった。
そして最も災難だったのは揚陸艇で島に向けて出発した兵士達だ。
彼等の乗る四隻の揚陸艇は巨大な【深き者共】に船底に手を突っ込まれて力任せに一隻残らず引っくり返され、乗員は装備もろともに海に投げ出されてしまう。
海中に没したソロモン機関の兵士に、与えられたエサに群がる鯉の様に通常サイズの深き者共が鋭い牙や鉤爪で襲い掛かる。
海中で悲鳴を上げる間もなく捕食、解体される兵士達の流す血で海面はどんどん赤く染まっていく。
幾度となく異形の者相手の危険な任務に駆り出されてきた兵士達であったが、この島に到っては生きて帰ることが想像出来ない地獄に違いなかった。
何人かは辛うじて島に辿りつき、沿岸部の石柱群に足を踏み入れた。
だが、そこにも彼等の命を奪う異形の者共が潜んでいたのである。




