五章 異神の島(12)
「そいつの信奉者達の集会は明日だという情報を聞き出したので、博士と僕は一旦引き揚げた。夜が明けてから混乱したよ。昨晩の出来事が夢なのか実際に体験したことか判断出来なかったからね。で、その日の晩は酷い嵐でね、戸締りの確認をしていたんだが、博士の部屋の窓が開いていたので見に行くと博士の姿は無く、黄金の蜂蜜酒とグラスがあった。僕はグラスの底に残っていた蜂蜜酒を飲み干してから自分の部屋で眠ろうとしたけど、岩場か洞窟の中を歩く幻聴が聞こえてきたので寝付けなかった。それでもうとうとしていたら、いきなり爆発音だ。びっくりして跳び上がったよ」
「ご愁傷様」
「ああ、本当に。だが酷いのは三回目に蜂蜜酒を飲まされた時だ。この時はルルイエまで行ったんだからな」
「……酷い雇い主だな」
「全く。あの時は、そこがルルイエだとは知らなかった。僕と博士は黒い泥のようなもので覆われた巨石建造物の間を抜けて、一際大きな建造物の前に立った。その建造物の入り口は洞窟でわずかに開いていたが人が通れるほどでなかった。僕と教授がその周囲に爆発物を仕掛けている間にじょじょに開いていったのだが、教授がそれに気づいたのは、建造物の中から何かが這い上がって来る音を耳にした時だった。教授が爆破装置に飛びつくのと、その忌まわしい巨石建造物の主、【K】の奴等が【大いなるK】と呼ぶ存在が姿を現すのは同時だった。原形質状の内側の透けた半透明の巨大な塊に巨大な目が生じて僕と博士を捉えた時、良く発狂しなかったもんだと感心したよ」
フェランは口調こそ冗談めかして苦笑に頬を歪めているが、それは回想に伴う恐怖を覆い隠す為だ。
「次の瞬間、爆破によって建造物がそいつに倒れ掛かり始末で来たかと思ったが、奴は飛び散った組織がひとりでに集まって何のダメージも無かったように迫って来たんだ。僕と教授は辛うじてバイアクヘーに飛び乗ってルルイエを脱出したわけさ。それからいろいろあって、僕は彼等と戦い続けている」
「不死身なのか、そいつは」
「どうだろうな、奴は二度、核攻撃を受けている。一度目はアメリカ海軍の力を借りてルルイエに核爆弾を投下した。だが、その後、僕等の仲間が【K】の手により殺害されたことから、【大いなるK】は滅びていないと判断した」
フェランの横顔に浮かんだ陰りは、犠牲となった仲間を思い出したのかもしれない。
「二度目の核攻撃は、前も言ったようにFBIやCIA等のアメリカ合衆国が主体となった【アーカム計画】と呼ばれる対邪神計画によって行われた。この攻撃はすさまじく【大いなるK】の肉体も四散してしまったんだ。しかしその直前に、ナイ神父が率いる星の智慧派は拉致した女性を【大いなるK】の花嫁として交配させることに成功していた。生まれた子供は人間として生活していたが、ナイ神父によって【大いなるK】から受け継いだものを覚醒させられて大異変を引き起こした」
「だから、あんたは千秋が【大いなるK】の分身の母体として選ばれたと思っていた」
「ああ、だがあの御嬢さん、ミス春奈は千秋君の能力を使えば【大いなるK】そのものを復活させることが出来るかもしれないと言っていた」
【大いなるK】の分身はアメリカ西海岸を消し去り、太平洋の島々を沈めた。【大いなるK】そのものが復活すると人類はどうなるのか。フェランには容易く想像出来る。
「そうなると人類は滅びるだろうね」
「なら千秋が【大いなるK】を呼び出す前に、千秋を助け出す。その後は世界がどうなろうと俺は興味がない」
「まあ、それが出来れば僕の仕事も楽なんだが」
全く揺るがない少年の言葉にフェランは苦笑を浮かべる。ひょっとすると、この少年が世界の命運を握っているかもしれないのだ。
「よし、じゃあ僕からとっておきのお守りを君に授けよう」
「五芒星の旧神の印か? 【大いなるK】には効き目がないんだろ」
「いやいや、君はそんなものが無くとも平気だろう。もっと別のものさ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、フェランはコートの胸ポケットから一枚の写真を指先に挟んで冬峰に差し出した。
「これは本来、君か千秋君の持つべきものだ。大事にしたまえ」
冬峰は受け取った写真に目を落とした。
バス停で買い物帰りなのか、ビニール袋を両手に持ち正面を向いた少年と、少年の横顔を見つめる少女。
なぜその数日前の光景が、ずっと昔の様な寂寥感を覚えるのか。
「あはは、頼りになるのフユ君?」
誰だか忘れてしまったが脳裏にその問い掛けが木霊して、冬峰は写真を手にしたまま宙を仰いだ。
そのわずかに動いた唇は何をつぶやいたのか。
今の境遇を恨んだ怨忌の言葉か。
それとも数日前の平和を懐かしむ悲哀の言葉か。
「きっと、帰れるさ。君も彼女も」
「……ああ、そうだな」
冬峰はカッターシャツの胸ポケットに写真を納めると目を閉じて座席にもたれかかったきりひと言も発せず、フェランもそれが当然だという様に横須賀に辿り着くまでヘリの操縦に専念して沈黙を守り続けた。




