五章 異神の島(11)
公園には小型の二人乗りヘリコプターが、その小さな機体を近所の子供らしい集団に囲まれて鎮座していた。子供達はヘリコプターが珍しいのか、機体に手を触れたり操縦席を覗き込んだり好き勝手している。
その中心、ヘリコプターの機体にもたれかかった男も、それを嗜める風も無くむしろ面白がっているように口元を緩ませていた。
「……」
冬峰はヘリの数メートル手前で足を止める。
彼は協力者と聞いた時点で、もしかして、という予感を抱いたのだが、その協力者がどうやって御門家に取り入るのか想像出来なかったので、まあ、それはないだろうと思っていた。
鬱陶しい。ふと、そんな言葉が浮かんだのだが、冬峰はヘリコプターの操縦免許は持っておらず、操縦桿など握ったことは無い。協力者が居なくてはルルイエに辿り着く事は出来ないのだ。
冬峰は無言のまま、子供達に囲まれた男の前に立った。その韜晦した顔を見上げる。
「……」
「や、来たね。オジサンはずいぶん待ったよ」
「……」
「さあさあ、乗った乗った。お菓子は三百円まで。バナナはお菓子に含まれないぞ」
どこで覚えたのか、意味不明な事を口走る外人さんを、冬峰は表情一つ変えず見上げている。
「いやいや、御門家当主に売り込んだ甲斐があったなあ。やっぱりいい男というのは綺麗な女性に頼りにされるんだよ」
叩き斬りたい。
叩き斬りたい。
叩き斬りたい。
先程から表情一つ変えず、ぴくりとも動かない冬峰を心配したのか、アンドリュー・フェランは腰を曲げて少年の顔を覗き込んだ。
「どうした。頼れる大人がいて嬉しさのあまり言葉を失ったのかい。それは無理もないな」
いつの間にか周囲にいた子供は公園の隅に集まって二人の様子を固唾を呑んで見守っていた。
「……なあ、春奈さんが俺をルルイエまで運んでくれと、あんたに頼んだのか」
「そうだよ」
当然じゃないか、とでもいうかのように鷹揚にうなずいたフェランに冬峰は溜息をついて応じた。
「何もかも解っているんだよな、あの人は」
春奈も何やかんや駄々をこねて、宗冬からのルルイエ行きの出発を遅らそうとするに違いない。こんなところで躊躇している暇など無いのだ。
「行こう。千秋を取り戻さないと」
「OK」
小脇に抱えたヘルメットを被ってフェランはヘリに乗り込むと操縦桿を握った。結構様になる。
「……」
「何だね。何か訊きたいことでもあるのかな」
フェランの問い掛けに冬峰は視線を正面に戻して、共に戦ってきた男へ常に感じていた疑問をぶつけた。
「あんたはどうして【K】と戦っているんだ。奴等に対する知識や対処法は良く知っているようだけど、それは最初から解っていたわけではないだろ」
「ああ、そんな事か」
フェランは苦笑した。
確かに【K】や彼等の崇め奉る存在と比べると、フェランの持つ知識や能力はあくまでも常人の範疇内であり、彼等に対する抑止力たるにはとぼしすぎる。常識的に考えると無謀であると言えよう。
春奈達の様な超常の能力も備えておらず、冬峰の様な一芸に秀でているわけでもない。
我ながら無茶をしているよ。フェランの苦笑はそんな自嘲めいたものだった。
「確かに僕は最初から知識を備えていたわけでもなく、【K】と対立する組織に身を置いていたのでもない。本当に何も知らない若造だったよ」
冬峰の視線が興味を引いたようにフェランの横顔へ向けられた。何時もの様に誤魔化されると思っていたのだ。
「そもそも名門大学で言語学を専攻したんだが僕の周りにそれを必要とする職が無くてね、卒業後も職探しと下宿の家賃と食費を得る為のアルバイトに明け暮れていたんだ。ただちょっとしたトラブルでそのアルバイトも首になって来週に迫った下宿代の支払いをどうしようか悩んいた」
冬峰は、フェランの独白を聞きながら、きっとそのトラブルは女性絡みだろうなと思ったのだが、それは大した問題ではないと判断して黙っておいた。
「そんな時にサタデイ・レビューだったかな。興味を引く求人広告があってね。それに飛びついたんだ」
「求人広告?」
まさか、私達と一緒に秘密結社と戦いませんか、とか間の抜けた内容じゃないだろうな。冬峰は予想外の展開に面喰ったように声を上げた。
「腕力が有り想像力に乏しい青年を求める。これらに加えて多少とも秘書の仕事を果たせる者は、マサチューセッツ州アーカムのカーウィン・ストリート九三番地に来られたし。金銭的利益になるやもしれない」
今でも内容はよく覚えているよ、とフェランは遠くを見るような眼で語った。彼にとってはそれが己の人生を一変させるものとは当時は予想だにしなかったに違いない。
冬峰はその広告の文面を自分でも声を出して繰り返した後、フェランにとっては失礼になるかもしれなかったが、つい素直に感想が口を吐いた。
「その文章、無茶苦茶怪しくないか」
「ああ、そうだな。仲間に話しても皆そう言ったよ」
フェランは憮然として応えた。
後に彼の雇い主は「駄目で元々だった。本当に来るとは思わなかった」と口を滑らしたのだが、それについてはフェランは黙っておくことにした。
「それでその住所に面接に向かったんだが驚いたよ。事前にその相手がラバン・シュリュズベリイ博士といって神秘思想、オカルト学、哲学に通じた人物という事は調べておいたんだが、僕の博士に抱いていたイメージとは全然別の人物だったんだ」
「別?」
「ああ、僕は小柄な神経質な人物を思い浮かべていたんだが、僕がドアをノックをする前に出てきた人物は、身長が六フィート近くあって、髪は真っ白だったけどがっしりとした顔と身体つきの丸いレンズのサングラスを掛けた人物だった。正直、握手した時の掌の厚さは、この人にボディガードなんかいらないだろうと思ったほどだ。実際、いらなかったんだな、これが」
「だまされてるじゃないか」
「いや、教授は本当にボディガードが欲しかったんだ。まあ、後で話すが、僕が来た頃はまだ人間が相手だったからね。とりあえず、僕の仕事は教授の指示に従って、教授の招いた客の証言を別室で記録する事だった」
ここでフェランは苦笑を浮かべた。
「その翌日だったよ。教授に頼まれて購入した新聞の記事で、話を訊いた船員の死亡記事を目にしたのは。もっと驚くべきことはその日の晩に起こった事だ」
冬峰は黙ってフェランの話を訊いていた。
この捉えどころのない飄々とした男は、自分とは異なり最初は生活の糧を得るのが精一杯の、ごく普通の青年に過ぎなかった。それが何故、【K】と係わることになったのか。
「教授が金色の蜂蜜酒を僕に呑ませてね。直ぐに眠くなってベッドに倒れ込んだんだ。その晩、夢の中で博士が現われて僕に速記帳と鉛筆を渡して付いて来いと言った。それから窓枠に足を掛けて笛を吹いて呪文を唱えた。その笛は今、僕も同じものを持っていてね。旧支配者ハスターに仕える星間飛行すら可能にするバイアクヘーを呼び出す笛と呪文だった。僕と教授はあっという間に別の場所へ運ばれた。そこは南米でね。僕たちはそこで邪教の集会が明日である事と、その崇め奉られる存在を垣間見たんだ」
「それが、【大いなるK】?」
「いや、【大いなるK】はあんなちっぽけなものでないんだ。恐らく僕達が駅前で遭遇した存在が、最も近いだろうな」
駅前に出現した異形の怪物はソロモン機関の兵士達を蹂躙し、彼等の反撃など歯牙にもかけなかった。あれをちっぽけというなら、【大いなるK】はどのような存在か、冬峰は想像すら出来なかった。




