五章 異神の島(6)
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薄闇に覆われた石造りの回廊を、黒の三つ揃いを着こなした紳士と純白ののブラウスに紺のスカート姿の少女が黒いポンチョで身を隠した数人の人影に囲まれて歩いていた。
ポンチョ姿の人影の持つ懐中電灯の弱い光が回廊内を照らすが、少女の目に映るのは同じような石畳ばかりで、かれこれ一時間ばかりこの代わり映えの無い回廊を彼等は巡っているのだ。
「あと、どのくらい歩けばいいのでしょうか?」
少女が隣の黒衣の紳士にやや険のある声音で問い掛けるが、問われた方は顎に拳を当てて考え込むような姿勢で立ち止まった。
「これは、前と順路が変わっているのかな? 私を石室内へ入れないつもりだろうか、嫌われたものだな」
「迷ったのですか?」
「うむ、迷わされたというべきかな」
ナイは千秋の疑問に重々しくうなずき答える。
「……どうして? 仲間じゃないんですか」
千秋の視線は冷ややかで、こいつは頼りになるのだろうかという疑念を抱いているのが誰の目にも明らかだった。
「うむ、まあ、我々はそれ程仲が良いというわけでは無くてね。特にこの利かん坊の主は敵が多くて困っているんだ。特にハスター、君のところにもその代行者が攻めて来たのだが、そいつとこの場所の主は犬猿の仲なのだよ。まあ、今回は君を手に入れる為に共闘しているがね」
「で、貴方はこの場の主に何をしたんですか?」
「人聞きの悪い言い方は止めたまえ。私は何もしていないが、私と同じ端末のひとつにこの星に昔から存在している精霊や神様の守護者が居てね、彼と【大いなるK】の間にひと悶着あったらしい。全く迷惑な事だ」
「きっと、相手も同じことを思ってますよ」
「数ある端末の中でも私は穏健な部類に属しているのだがね」
苦笑するとナイは周囲を見回してから葉巻に火を点けた。
「しかし、このままではいつまで経っても中枢に辿り着けない。多分、君だけなら辿り着けるが、それでは私が面白くない」
「面白くないのですか?」
「散々、働かされてのけ者にされるのは心外だな」
千秋は呆れたように黒衣の相棒を見返したが、すぐに何か諦めたように首を振った。
「どうして、私の周りには変な奴ばかり集まって来るのだろ」
「いい言葉がある。類は友を呼ぶ、だ」
「何ですって」
背後のポンチョを被った男が何かをつぶやき、ナイは真顔になった。
「やはり、君を先行させるべきかな」
ナイが一歩退いて千秋の背後に回る。
「進みたまえ。此処の主が導いてくれる」
半信半疑で千秋は回廊を歩き始めた。三メートル先も見えない闇の中、ただ、歩を前に前に進ませる。
一〇分も歩かないうちに急に開けた室内に入り込んだ。
その部屋は回廊と同じ石造りのようであったが、表面は見た事も無い幾何学模様で埋め尽くされており、石と石の間からは緑色の光を放つゼリーの様な流動物が滲み出している。
千秋は頭上を見上げた。天井は遙か上空にあり、彼女の眼にはその詳細は読み取れず解らなかった。
「ここが海底都市【ルルイエ】の中枢で、此処の主【大いなるK】の顕現する場所だ」
背後からの声に振り向くとナイが木箱を片手にたたずんでいた。
「二度の核攻撃にもこの場所は耐え抜いて、主のみが消え去った。しかしその精神体は滅びておらず、この地に留まっている」
ポンチョ姿の者達は入り口で踏み留まり平伏している。千秋にも解った。この部屋には希薄だが何かが存在しており、それが千秋を注視していることを。
一秒毎に恐怖が増していき、己の中の正気と狂気の境界線を越えようとしているのを千秋は感じ取った。このままでは自我が崩壊する。目の前が暗くなっていき意識が遠くなる。
肩に誰かが手を置いた。それだけで千秋は己を取戻し背後を振り返る。
「私がついている。大丈夫だ」
「……はい!」
力強い千秋の返事にナイは微笑を浮かべてから木箱を開ける。
そこには薄い緑色をした半透明の脈打つ何かが納められていた。
人の拳大程のそれが放つ雰囲気は、千秋に天門町駅前で遭遇した巨大な異形を思い出させる。
「これは【大いなるK】と人間の間に生まれた子供の心臓の欠片だ。これを触媒にして失われたこの部屋の主の肉体を取り戻す」
それから千秋の瞳を見つめて何かに気づいたように問い掛けた。
「千秋君。君は銀の鍵を使ったのだね」
千秋はうなずくと見下ろすナイの瞳を真っすぐに見返す。
「私は、自分が何か知りました。そして、幼い冬峰に何が起こってのか、そして彼との忘れていた約束も。彼がこれまで味わった苦痛は私の失敗から始まった事です。だから、私は約束だけでなく、彼を救う義務があります」
「……知らない振りをして生きていく方法もある。今ならまだ引き返せるが、どうするね?」
ナイのその眼差しは言葉と異なり、千秋の苦悩を楽しむような愉悦の色を浮かべていた。
千秋はゆっくりと首を振った。
「そうか」
ナイはしばらく目を閉じて、次に開いたときは何時もの感情の読み取れない眼差しだった。
「どうやら私は君を見縊っていたようだ。約束しよう、御門千秋。この召喚の儀に何が有ろうと私は君を守護させてもらう」
恭しく一礼した後、黒衣の男はこの部屋の主を見上げるように顔を上げる。
「それではラストステージだ。舞台を上げろ【大いなるK】、主演女優は丁重に扱え」
南緯四七度九分、西緯一二六度四三分、ソロモン機関の所有する早期警戒機G550 CAEWの操縦士はその上空を通過中、これまでに見た事も無い島が存在することに気が付いた。
いや島は出現しつつあった。
機体のアドバンスドAESA三次元レーダーと画像解析装置は海上に浮かび上がった搭のような建造物と、これから浮かび上がる海中の巨大な墓標群のような禍々しいシルエットを克明に画面に映し出して操縦士に得体の知れぬ恐怖を与えていた。
「おい、何だあれは」
副操縦士の叫びに操縦士はその視線の先にあるモノを認めて、これが現実であるかどうかを疑った。
奇妙な歪みをもって建てられた搭や石柱群が姿を現すと共に、それに呼応するように異形の生物が姿を現した。
それは全長三十メートルの巨体を誇る半魚人、巨大化した【深き者共】であった。それが島を守るかのように島を取り囲み、巨大な鉤爪と鰭のついた両手を宙に伸ばし吠えたてている。
操縦室に通信音が鳴り響く。
この機体で収集したデーターはイスラエルのソロモン機関本部へ送信されており、この異世界へと変貌した海域の光景をあますことなく伝えているはずだ。
通話を終えた副操縦士は、指令がこの海域に留まりデーターを可能な限り収集する事を操縦士に伝えた。
G550は島の上空を旋回して、引き続き島の詳細をデーターに取り始めた。
島の至る所にそびえ立つ奇妙な模様が刻み込まれた搭は、G550の副操縦士に廃墟のビル群を彷彿とさせて、いずれ世界中がこのような光景に変わっていくのではないかと暗い予感を抱かせた。
「人がいるぞ。島の中央、搭の上」
サーモグラフを覗き込んでいた観測者が声を上げた、機体は機首を返して島の中央部へ飛行する。
「いたぞ。二人だ」
操縦士と同時に副操縦士もその人影を確認した。
一人は女性、純白のブラウスにスカート姿の少女であった。
一人は長髪を風に棚引かせ、黒の三つ揃いにコートを羽織った長身の男性であった。
副操縦士の不安にさせるのは、肉眼では人影は二つなのだが、下方カメラのサーモモニターには黒衣の男は映っておらず、少女が頭上を見上げる姿のみ確認される。
「おい、本部に連絡だ。向こうも確認しているだろうが、救助のヘリを要請してくれ」
「了解」
「上空から飛行物体三機接近。追いつかれます」
「何!」
観測手からの声に副操縦士が三次元レーダーの画面を覗き込んだ刹那、機体が上下に揺れ、機首が下方へ向きを変えた。
「墜落するぞ」
機体を立て直そうとする操縦士の視界に、G550を追い抜いて、また戻って来た飛行物体が一瞬だけ確認できた。
それは蝙蝠の翼を持った巨大な何かであり、この世の空を飛ぶ鳥類や哺乳類のいずれとも似通っていない外観をしている。
操縦士の全身を衝撃が襲う。操縦士は意識が暗黒に囚われる中、二度と目覚める事が無い事を自覚していた。




