五章 異神の島(5)
フェランの顔をよぎる苦渋の色は、そんな事があってはならない。そう物語っていた。
「その島の主、【おおいなるK】の目覚める時だ」
春奈と冬峰は同時に宙を仰いだ。
「昨日、駅前に現れた怪物みたいなものか」
フェランは静かに首を振った。
「あれとは大きさも、それを取り巻く雰囲気も桁はずれに違う。【おおいなるK】が現われるだけでそれを目にした者は狂死か廃人化するのがほとんどだからな」
僕も時々夢の中で思い出して跳ね起きることがあるよ、とフェランは力無く笑う。
「だが、【おおいなるK】はルルイエに存在しないはずなんだ」
「どういうことですか」
春奈の質問にフェランは掌を宙に向けて、ぱっと開く。
「そんな存在を強国が見逃すはずがない。一九四七年のラバン・シュルズベリィ教授とアメリカ合衆国主導による核実験、一九六五年のアーカム計画によるルルイエへの核攻撃。この二度の核爆弾の猛威にクトゥルーは耐えられず四散したはずだった」
「はずだった、か。歯切れの悪い言葉だな。その後何かあったのか」
フェランは煙草を携帯灰皿で揉み消すと、ああ、とつぶやいて遠くを見つめた。
「大異変だ。一九八五年、アメリカ、ロサンゼルス。君に話した通り、【おおいなるK】と人間の女性の間に生まれた青年が父親と同等の存在に変化する際に生じた天変地異によって、アメリカ西海岸は消滅、南半球のほとんどの島は水没して、【大いなるK】の眷属や下僕の住処となった」
「それは、にわかには信じ難いですね。巨大地震と大津波が原因と教えられていましたが」
「だろうな。だが真実だ。僕もその場に居合わせたからね」
春奈と冬峰はフェランを見返した。二人共、良く生きていたな、と同時に感心したのだが、口を吐いたのは別の疑問だった。
「あんた、一体何歳だ?」
「フェランさんは何歳なんですか?」
「それは今話題にする事では無いだろう。問題は【大いなるK】と人間の間には異種交配が可能な事だ」
冬峰の表情は曇る。昨晩のフェランの質問を思い出したのだ。
「僕は昨晩言ったぞ、千秋君が【大いなるK】の子を身籠っていた場合、僕は彼女を殺さねばならないと。今度はアメリカ合衆国でなく、本来の住処であるルルイエだ。発揮する力は前回の大異変を上回るかも知れない。今度こそ人類は滅ぶかもな」
「そうはさせない。千秋は必ず救う」
「ああ、そう出来ればな。だが今は彼女がどこに居るかも解らない。ソロモン機関も、世界各国の諜報機関も血眼になって探しているが、その尻尾さえ見つけられない。ルルイエに現れた時には既に手遅れだ」
冬峰は沈黙した。今、千秋がどこにいるか知る術も無く、春奈に連絡が来ていない以上、御門家や【高天原】ですら、彼女の行方を掴んでいないだろう。
春奈もうつむいて肩を震わせている。心配なのだろうと冬峰は察した。
「心配です」
「俺も、な」
春奈はなぜか頬に両手を当てて顔を赤くしている。
「冬峰さんもそう思いますよね、その【大いなるK】の目的が千秋さんの身体だったなんて」
「……」
「……」
冬峰もフェランもどう返していいか解らず沈黙する。
「だって、千秋さんの、あの胸をこねくり回されちゃうんですよ」
「こねくり」と冬峰。
「回すって」とフェラン。
春奈はきゃーきゃーと想像に歯止めが効かなくなったのか、ぺしぺしと座テーブルを叩いて宙を仰いだ。
「ああ、もう羨ましい。あのガードの高い千秋さんの胸を触れるんですよ。もう先を越されました」
冬峰は、誰かが庭先で倒れる音を耳にしたが、あえて気にしないことにした。
「いや、君。問題は人類が滅ぶかもしれない可能性で」
「そんなもの、どうだっていいんです! あの胸の価値は、絶対世界遺産です」
うわ、言い切ったよ、この人。
冬峰とフェランは春奈の剣幕に圧倒され仰け反っている。
冬峰は青桐に頼んで陣地にエロ当主を閉じ込めて貰おうか、そう考え始めた。
「冬峰さん!」
「は、はい」
つい冬峰の背筋が伸びる。ついでに正座。
「冬峰さんも、揉みたいですよね」
「え、俺?」
「揉みたくないんですか、私は揉みたいですよ。冬峰さんも正直になって下さい」
春奈の眼は真剣であり、冗談では無く、彼女が本気でそう思っている事が解った。
「さあ、さあ、さあ!」
ずい、ずい、ずずい!
顔を寄せてくる御門家一の美人であり町内のアイドルでもある当主に居候が押し倒されそうになったのだが、ギリギリのところで救い主が現われた。
フェランの携帯電話から着信音が響き、それを手に取って耳に当てたのと、青桐が玄関から居間に駆け込んで来るのは同時であり、そして口にしたその内容は異なるが、その言葉の意味は同じだった。
それを耳にした冬峰と春奈の表情が引き締まる。
「ルルイエが浮上した」
「千秋さんが見つかりました」




