五章 異神の島(4)
冬峰の朝食が済んだ後、春奈は登校する紅葉と夏憐を玄関先で見送ってから居間の座テーブルで何事か考えている冬峰の向かいに腰を下ろした。
フェランは座布団を枕代わりにしていびきをかいて眠っている。昨晩はあまり眠れなかったのかもしれない。
「それで、冬峰さんはこれからどうするのですか」
「うん、どうすればいいのかな」
人をくった返答だが、この答えが今、冬峰が答えられる精一杯の返答だった。
守るべき千秋は敵に奪われ、今どこにいるかは解らない。あのナイと名乗る怪人の言葉を信じるなら、ルルイエと呼ばれる場所に行けば何か手掛かりが掴めるのだろう。
しかし、この一件に一度任務に失敗した自分が関わることを冴夏や【高天原は許してくれるのだろうか。
何としてでも千秋を取り戻したいのだが、自分自身が何の能力も無いただの学生で、どれ程その存在が疎ましくとも御門家の権力を借りなければどうにもならない事を冬峰は重々承知していた。
小さく息を吐く。ただそれだけで決心した。
「春奈さん」
「はい」
「その、ルルイエが何処にあるのか探して欲しいんだ、その場所が【K】にとって重要な場所らしい。黒幕らしい奴がそこに来いと言ってた。そこに行くことを、行って千秋を救うことを冴夏伯母さんに頼んでほしいんだ」
視線を落として申し訳なさそうに頼む冬峰を、春奈は一抹の寂しさを含んだ微笑みを浮かべて見つめた。
春奈には冬峰が、そう申し出るのは半ば予想がついていた。
この天門町で起こる怪異に千秋が巻き込まれてから、千秋を守り通してきた冬峰が一度の失敗で彼女を諦めるとは思えなかった。
正直、春奈はこれ以上、天門町で起こった怪異について冬峰に関わって欲しくない。
冬峰が何とか出来る程度の相手では無く、当主である自分や青桐、朱羅木達、御門家の能力者でないと太刀打ち出来ないであろう怪物、怪人であった。
現に朱羅木は鬼籍に入り、冬峰自身も手傷を負って千秋を奪われている。御門家の当主としてはこれ以上の犠牲は看過出来ない。冬峰をこの件から外すべきだろう。
そして春奈にはもう一つ、冬峰がこの件に関わることを良しとしない理由があった。それは御門家の兵隊としての冬峰でなく、御門本家の家族の一員としての冬峰の存在であった。
冬峰を戦場から救い出して御門本家で面倒を見る様になって数年が経過した。
引き取った頃は彼は喜怒哀楽に乏しく、また彼を知る者も彼が感情を持つことは不可能であり、また戦場へ放逐されるだろうと陰口を叩く者もいた。春奈や紅葉、夏憐から話しかけても、はいといいえ、ああ、程度の短い受け答えしか返さず対応に困ったものだ。
それがある時期からじょじょに彼が自ら他人に対して働きかける様になってきた。
ぎこちないながらも春奈達と会話するようになり、テレビドラマなどの会話を食い入るように見つめて、何故この登場人物がこんな事をするのだろう、と春奈に問い掛けることもあった。
料理や掃除なども自ら行い、今では彼がほとんど受け持っている。妹達も彼に懐いており、春奈自身も頼りにすることが多い。
以前は両親を早く亡くした為、まだ幼い齢の離れた妹達に対して厳しく母親の役目で接することもあったが、今は冬峰が間に立って妹達の不満を受け止めてくれる事が多い。春奈自身、無理に母親役を演じる事は少なくなり、自然体で妹達と接する事が出来た。それがとても嬉しい。
だから、今、冬峰が危険に身をさらし、いなくなることが事がとても怖い。妹達だけでなく、春奈にとっても冬峰はかけがえのない家族なのだ。
当主として命令すればいい。この件から手を引けと。家族として頼むべきだ。危ないからよせと。
しかし、この数日、冬峰が千秋に向ける視線には自分達に向けるものとは違っていることに気がついた。そして、彼の今日に至るまでの行動に理由がある事に思い当たった。
これまで外界に無関心であった冬峰が変わっていったのは、当主代行である伯母の冴夏への用事に冬峰を同行させた日からではなかったか。
彼が薦められた私学でなく近場の公立高等学校へ進学したのは、独り暮らしを始めた千秋が通学していたからではないか。
彼がアルバイトを始めたのはそこに千秋がいたからではないか。
そう考えると、冬峰にこれ以上戦うなと言えなくなる。千秋を取り戻すことを諦めろと、他の者に任せろと、そう言えなくなるのだった。
「解りました」
春奈は胸中の機微を冬峰に悟られないように、満面の笑みを浮かべて冬峰に告げた。
「私から冴夏伯母さんに頼んでみます。高天原にも協力を仰ぎましょう。だから冬峰さんは千秋さんを救うことに全力を注いでください」
「ごめん、春奈さん」
何に対してか、どこか愁いを帯びた表情で頭を下げる冬峰に、春奈は笑顔で自分の胸を叩いてみせた。
「心配しないで、ここは頼れるお姉さんに、ドーンと任せて下さい」
二度と帰って来ないかもしれない。その予感に涙をこらえつつ春奈は普段通りの自分を演じようと決心した。
「でもルルイエですか。どこかの地名でしょうか? 聞いた事の無い名前ですけど」
「うーん、そこの眠ってるおっさんは俺がその場所へ行くことに、良くは思っていないみたいだ」
「駅前広場の新しく出来たメイド喫茶ですか」
「そこで千秋が売り子していたら、俺はあの黒づくめの頭を疑うぞ」
「どこにあるか、それはとうに解っているんだ」
不意に寝転んだフェランが口をはさんだ。眼を開き天井を見つめていることから、冬峰と春奈の会話を盗み聞きしていたようだ。
「どこにあるんだ」
フェランは視線を冬峰に向けて意地の悪い笑みを浮かべる。
「H・P・Lの作品にルルイエって名前の島が出てくる。場所は南緯四七度九分、西緯一二六度四三分」
「想像上の島ではないってことか、なら今直ぐでもそこへ」
「それは無理だな。ルルイエは条件が合わないと浮上してこない」
「条件って?」
フェランはため息を吐いて煙草を咥えた。室内禁煙らしく春奈の抗議めいた視線も気にせず、オイルライターで火を点ける。




