五章 異神の島(2)
「帰るの?」
「何処へ?」
「何処って、家?」
「家なんか無い」
「え……」
少女は少年の答えにさらに目を大きく見開いた。会話が噛み合っていない。
「家がないって、両親は?」
「父がいるが、どこの誰だか知らない」
少女は額に指を当てて宙を仰いだ。厄介な奴に声を掛けてしまったと後悔しているかもしれない。
「じゃあ今はどこに住んでいるの」
「確か、従姉妹の家に住まわされている。御門、春奈、確かそんな名前だったような」
少年の答えに少女はああ、と合点がいったのか声を漏らした。わずかに表情が硬くなる。
「解った。うん、本家のところに引き取られた子なんだ。確か、母がそんなこと言っていた」
少女が納得したこと見届けたからか、少年はベンチから立ち上がり少女の傍らを通り過ぎた。
「本家に帰るの?」
「何で? 帰るところなんてないよ」
「でも本家に引き取られて」
「別の場所でも生きていけるよ」
歩き出そうとした少年の手首を少女は掴んだ。
「駄目だよ。他の場所じゃ生きていけないよ」
少年は言葉の意味が解らないとでも言うように少女を見返した。
少年の居た所では、少年といえども食い扶持は自分で探さなくてはならない。どうしても糧が得られない場合は、他人から奪って生き永らえていた。
「待って、私の話を聞いて」
少女は少年の手を引っ張りベンチに腰掛けた。
「とにかく、座って」
強引に自分の隣へ少年を座らせる。少年は明かに面倒臭そうな表情を見せたが、少女の指示に従い大人しくベンチに腰掛けた。
「薄々気がついていると思うけど、私達の親戚は普通じゃないの。親戚同士で徒党を組んで組織を立ち上げているの。そこまでは解る?」
「何となく」
少年の回答に少女はうなずき説明を続けた。
「私達は帝都の【皇】、テレビで時々見かける、ある意味日本で一番偉い人に仕える血筋で皇の為に公に出来ない色々な仕事を請け負っているの。それというのも私達、御門家は元々、皇家の為の審神者や巫女を輩出していた血筋で他の人達とは違うの。そこまではいい?」
「まあ、なんとなく」
少年はそう伝えたが、実際のところ半分も理解出来ていなかった。
「……まあいいわ。特に私達の当主は代々女性で、巫女としての能力が最も優れている人が選ばれるの。見た事は無いけど普通でない能力を有しているって聞いているわ」
一瞬、少女の目が伏せられて表情が翳ったが、少年は別の事に気を取られていた。
普通でない能力と聞いて、彼は己が外国で戦闘ヘリに追い詰められた時の事を思い出していた。
あの助けに来た従姉は、日本に帰ってきてから目にする春奈とは異なり、戦闘ヘリと渡り合う能力を発揮していた。あれは自分にも異常な能力だとはっきりと解る。
「当主以外にも普通では考えられない能力を持った人達もいて、その人達が当主を守ったり、皇の依頼を片づけたりしているの」
少女はいったん言葉を区切って少年の様子を窺った。
少年は茫洋と少女の顔を見返すだけだった。まあ、そうだろうと少女は思う。こんな話を信じろと言う方が間違っている。
「そんな一族だから秘密を守る為に色々掟があるらしいの。だから」
少年を見つめて言い含める様にゆっくりと語りかける少女の表情に痛ましさが浮かんでいるのは、この少年の境遇に対する憐れみか、それとも同じ枷を持つ己の未来に対する諦念か。
「この御門家から出て行こうとすると、確実に殺される」
「……」
少年は少女の思い詰めたような表情を見返した。
「うん、解った」
その平然とした物言いに、少女は毒気を抜かれたように呆然と少年を見返し眉を顰める。
「ホントに。嘘じゃないんだよ。怖くないの」
「怖いって何だ?」
少年は理解出来ないとでもいうように不思議そうに聞き返した。
「怖いってことが何か解らないけど珍しい事じゃないんだ。殺したり、殺されたりするってのは」
少年は視線を落とした。その視線はこの裏庭ではない別の場所を見つめている。
「助けられても、そんな世界なんだなって」
少年の声音に含まれているのは、悲しみか憤りか。少女は少年の瞳に浮かんだ何かから目が離せなかった。
「俺は、ずっと彼奴等をそんな世界から外に出したくて、ずっと戦ってきたよ。いつか彼奴等が俺と同じにならないように外で生きていけるようになれば、そう願ってきたんだ」
少女はさっきまで空虚だった少年の中から、何かが浮き上がってこようとしていることに気がつく。それは少女が今まで秘めて来たものと同じものかもしれなかった。
「それ以外はどうでもよかったんだ。でも、俺はこんな場所に居て、もう彼奴等を救えない」
もう、生きていないかもしれない。言葉に出さず、唇だけがそう動いた。
「ここを出て、彼奴等が傷つけあうことの無い世界」
ギブスに包まれた右手が裏庭を照らす日の光に向かって伸ばされる。
「そこに行けたら彼奴等を救えるかなって思ってた。でもそんな場所は、無いんだね」
「……」
世界は残酷だ。少女はそう思う。
救われたはずの少年は本当は救われておらず、ただ別の戦いに駆り出されるだけ。そして、その戦いに彼の守りたい者はいないのだ。
少年の瞳は再び石の無いガラス細工の弾の様な光に戻ろうとしている。
それは駄目だ、少女は思った。
私は、この少年を守らなければならない。何故か、その衝動が身体を突き動かした。
少年は少女がベンチから腰を上げ、己の前に立つのを感じて顔を上げた。
少女は眼鏡の奥から少年を睨みつける様に見下ろしている。
「名前は? あなたの名前」
「御門 冬峰」
冬峰、冬峰ね。少女は少年の名を僅かに唇を動かして反芻した。
眼前に差し出される少女の右掌。少年はそれを見るが意味が解らず、再び少女の顔を見上げる。
「わたしが」
世界が曖昧になっていく。少年は少女の言葉を聞き取ることが出来なかった。
少女の口が開く。力強い意志を込めた視線が、今まで誰からも向けられた事の無い己を奮い立たせる様な視線が少年に向けられている。
「私が……」




