四章 黒衣の魔紳士(26)
二人が帰ってきたことに気づいたナイは千秋を目にして満足そうにうなずいた。
「ふむ、君には清楚な服装がよく似合う。少々、サイズが小さいようだが」
ナイの指摘したように、シルクのブラウスの第二から第四ボタンは千秋がどう頑張ってもはめることが出来ず、前を開いた少々ルーズな着こなしとなってしまったのだ。
仕方なくTシャツを貸してもらい肌が見えることだけは避けることが出来た。
「は、はい。済みません」
千秋は恐縮して、つい謝ってしまうが、その背後に控えた銀髪の少女が己が主人の感想を聞いて眉を顰めた事を誰も気がつかなかった。
純白のシルクのブラウスに紺色の綺麗な折り目のついたやや厚手のスカート、これも絹のストッキングとアナベルと御揃いの服装となった千秋は、着替えるついでに乱れた艶のある癖毛も整えており、普段は眼鏡の奥に隠された猫目風のまつ毛の長い両眼と相まって、生まれに相応しい両家のお嬢様然とした容姿をしている。
千秋は初対面のナイの傍らに立つ銀髪の少年へ一礼した。
「よろしく。でも普段見慣れている服装でも、身につける人によって印象は変わるんだね」
アナベルと同じ顔をした癖のある銀髪の紺ベスト姿の少年は邪気のない笑みを千秋に向けた。アナベルが無表情なのに対して、この少年は柔らかい笑みをいつも浮かべている様だ。
「エドガー、私は見飽きたのかしら」
「いや、そんなことないよ。姉さんはいつ見ても美人だし」
二人のやり取りについ、千秋は笑みを浮かべてしまう。
「二人共、レディが呆れているぞ。全く、彼等はこう見えても私の世界では有名なフルート吹きなんです」
ナイも苦笑を浮かべて千秋に対面に腰掛けるよう手で示した。
「さて、飲み物は何にする。好きな物をリクエストして構わないよ」
「それじゃあ、珈琲を頂けますか」
数分後、珈琲はエドガーが、バウンドケーキはアナベルが千秋の席の前に並べて恭しく一礼した。
千秋は珈琲を一口含んで味を確かめる。酸味の後に甘味が口の中で広がる。エチオピアの豆だろうか。
「ひと息ついた事だし、本題に入ってもいいかね? 御門 千秋君」
「今の私に、嫌だと返答する権利があるとは思えませんが」
千秋の答えにナイは苦笑を浮かべて手を振った。
「確かにそうだ。どうしても我々は君に協力して貰わなければならないんでね」
千秋は警戒したのか、目を細めてナイの端正な顔を睨み付けた。その視線を平然と受け止めてナイ神父は言葉を続ける。
「私があの陰鬱な座敷に居合わせたのは偶然では無い。【K】も私もある存在に隷属する立場でね。私は本来、別の存在に仕えているんだが、その存在から【K】の手助けをするように指示を頂いて君を探していたんだ」
千秋はナイの言葉に落胆したように、肩を落としてため息を吐いた。
この慇懃な態度で接してくるナイも、あの仮面をかぶった魔人達同様に千秋や春奈達御門家の能力を手に入れるべく助けたのだと知ったからだ。
「それで、私をどうするつもりですか。聡い人なら私の様な細やかな力しか持たない出来損ないより、多少手強くとも御門家の当主を手に入れようとするでしょうね」
千秋の言葉にナイは自嘲するような笑みを浮かべた。
「もちろん別の一派でも力あるものが、その御門家の当主に二度、強襲をかけたのだ。だが君も知ってのとおり一度目は戦闘継続不可能になる程の深手を負って撤退、二度目は手も足も出ず滅ぼされたらしい。代行者の【黄衣の王】は行動不能。手下のロイガーは深手を負い、イタカは滅ぼされた。【邪悪の皇太子】の面目丸潰れといったところかな」
ナイは味方が苦戦している様が面白いのか、自嘲に冷笑を加えたような複雑な表情へ変化させる。
「たかが東洋の島国の魔術師、容易く軍門に下るだろうと高を括ったのか、油断し過ぎだな。【K】の不死の指導者、【黄衣の王】、ロイガー、イタカ。この件に関わって深手を負った、もしくは滅んだものがこうも出てくるとは」
ナイの両眼に冷たい光が満ちてくるのを感じて、千秋の背に冷たいものが差し込まれた。
千秋は思う。やはりこの一見紳士風の男も何か別の存在だろうと。
「しかし、私も人のことは言えないな。君の護衛に手痛いしっぺ返しを食らったよ」
相好を崩し手を打つナイの様子から、千秋は脳裏にある少年を思い浮かべて腰を浮かせた。
「護衛って、それ……」
「ああ、君の守り手である少年剣士だよ。言っただろう、彼はしぶといと」
千秋は力が抜けたように深々とソファに身を落とした。
「そう、生きてたんだ」
千秋は放心したような気の抜けた表情でつぶやくと、うつむいて両掌で顔を覆う。
声を上げる事も出来ない。なぜ、己が泣くのか、それも解らずただ千秋は涙を流す。
ナイ神父はそんな千秋の姿を、ただ黙って見ている。
無貌の神とも呼ばれ恐れられる彼であるが、千秋を見守るその姿は普段の冷笑癖も鳴りを潜め、迷えるものを見守る守護者のようであった。
「冬峰は、今、何処にいるんですか」
しばらくして落ち着いたのか、千秋はエドガーから手渡されたハンカチで両眼を拭いながら尋ねる。
「彼はまだ天門町だ。彼に会いたいかね?」
千秋は目を閉じてうつむいた後、左右に一度ずつ首を振った。
「解りません。ただ、理由は解りませんが彼は己が傷ついても私を守り通そうとするでしょう。それは間違いありません」
「それは間違いないな」
ナイも同意する。
千秋は本当は冬峰に会いたかった。彼の少しのんびりとした態度と軽口を聞いて安心したかった。
しかし千川で【深き者共】の猛攻を受けて傷ついていく冬峰を目にした時、千秋は彼を失う事への恐れを抱いたのだ。
これ以上、自分と冬峰が共に居れば、彼の身がまた危うくなるかもしてない。それだけは避けたかった。
「だが、彼は特殊だ。彼の身体にはある異常があり、その異常故に我々に対する脅威となっている。その異常は何か、君は知っているかね?」
すうっと千秋の顔から血の気が引いたが、彼女は首を左右に振ると何も知らない事を意思表示した。
「いいえ、ただ母や本家以外の一族は冬峰を忌避しています。そして外国へ放逐されていたことも彼から聞いたような気がします」
そうだ、彼が帰って来た時、私は彼と自宅の庭先で会っている。私は何を話したのか。
「彼は肉体的には何の異常もない。だが彼の魂というべきかな、それともエーテル体か。その心臓に孔が開いているんだよ」
ナイの指摘に千秋を目を見張ってその端正な顔を見返した。
「孔って」
「孔は穴だ。何らかの理由で彼の胸には穴が開いている。私が見たところ、その穴は我々ですら知らない、また知り様の無い【虚無】もしくは死そのものに繋がっているようだ。普通、そんなところに穴が開いていれば魂自体が吸い込まれ消滅している。入れ物の肉体も直ぐに滅びるだろうよ。しかし、彼はそれを持ち堪え生きながらえている。強固に己を保っているようだ」
ナイは感心したように首を上下に振った。
千秋は手を口に当てて、ナイの言葉のもたらした衝撃に耐えている。




