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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
四章 黒衣の魔紳士
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四章 黒衣の魔紳士(24)

                     8


「う……」

 千秋(ちあき)身体(からだ)節々(ふしぶし)に痛みを覚え、無理矢理意識を覚醒させられた。

 畳部屋に両手足を縛られたまま寝かされており、両手首と畳に接した右(ひじ)、右膝に軽い痛みを覚える。

「ここは?」

 室内を見回すと、家具ひとつない室内に(ふすま)とその反対側に格子戸があり、座敷牢のような部屋に無造作(むぞうさ)に寝かされていた。

 身に着けた純白のワンピースの湿り具合から、自分が(さら)われてからそれほど時間が経っておらず、まだ日本に居る事が予想出来る。

 そして千秋は思い出す。自分を守ろうとした従弟が深き者共に襲われる姿を。

 千秋は胸中に湧き上がる絶望に顔を伏せて胸を押さえる。

 あんな状況ではいくら冬峰といえども無事では済まないのではないか。生き残っているのは自分一人だけではないか。

 また涙が(こぼ)れる。もし彼が命を落としたのなら、それは私のせいだ。

 私が彼の護衛を、冬峰の申し出を突っぱねていれば、彼は無事でいられたのではないか。

 千秋は声が聞きたかった。冬峰の茫洋とした眠たそうな口調で元気づけて欲しかった。

 自分でも驚いている。わずか数日で、茫洋とした従弟の存在がこれ程自分の中で大きくなろうとは、全く予想だにしなかった。

 無事でいて欲しい。

 不意に荒々しい足音が室外から響き、襖が音を立てて開かれた。

「目を覚ましたか。クソガキ」

 濁り血走った眼で彼女を見下ろしたのは、事件の始まった夜に彼女を攫おうと声を掛けた【K】の一員である紺背広だった。

 初めて【K】と接触した夜はこざっぱりとしたエリートビジネスマンのような姿だったが、今は後ろに撫で付けた髪も乱れて跳ね起きており、細面の顔を無精髭(ぶしょうひげ)が侵食している。背広も皺が目立っており数日間着た切り雀のようだ。

 更に右掌は包帯が幾重(いくえ)にも巻かれており、親指以外の四指が見当たらない。

「今、自分がどんな境遇(きょうぐう)に落ちているかも知らず眠りこけやがって。おい、俺はお前等と関わってから不運続きだぞ」

 足先を千秋の腹の下に入れ勢いよく引っくり返す。

 以前、千秋を丁重(ていちょう)に扱えと命令していたのが間違いであったかのような態度だった。

 「貴様等の往生際(おうじょうぎわ)が悪いおかげで、組織の長を失くしたんだ。代わりに海外(そと)から別の組織の代表がやって来て、【K】は丸ごとそいつの組織の傘下(さんか)に下ると言いやがった」

 紺背広はしゃがみ込み、千秋のワンピースの襟元を左手で引っ掴んで乱暴に上体を引き起こした。軽く左手の甲で千秋の頬を叩く。

「俺は不死である指導者を失った責任を取って消されるかもしれん。だから何とかして手前(てめえ)を聞き分けの良い子猫ちゃんに仕立てなければならないんだ」

 千秋は紺背広の憎しみに満ちた視線を受け止め、逆に(にら)み返した。

「そう、それはご愁傷様(しゅうしょうさま)。私を放っておいてくれたら、そんな境遇に落ちなかったかも。自業自得ね」

 紺背広は黙って千秋を見返すと左手の甲で千秋の頬を殴り飛ばした。さらに畳の上投げ出されて横たわった千秋の腹をサッカーボールのように蹴り飛ばす。

「!」

 壁に背中を打ちつけて身体をくの字に曲げる千秋の髪を、紺背広は引っ掴んで壁に押しつける。

「いいか、俺は手前に協力してくれとお願いしてるんじゃないんだ。お前が協力するから許してくれって(すが)りつくんだよ」

 千秋に一言一言言い聞かせるように言葉を吐くと乱暴に手首を振った。苦悶(くもん)する千秋の事などお構いなしに言葉を続けた。

「薬を使ってもいい。だがな、お前にはもっといいことを用意してやるよ」

 紺背広は意地悪い笑みを浮かべると、千秋の髪を引っ掴んだまま立ち上がり、彼女を畳の上で引き()りながら格子戸の傍まで寄って天井から垂れ下がった鎖を引き下ろした。

 木製の格子戸が引き上がり、その開いた空間から千秋の上体を突き出す。

 そこは海面から十メートルほどの高台になっており、吹き上げる風は潮の香りを含んでいる。

 千秋が痛みに耐えながら目にしたのは、その水面の下から千秋を見上げるもの達の姿であった。

 それは千秋達を千川で襲った半魚人【深き者共】であり、中には人の姿を保ったまま泳いでいるものもいる。

 そして彼等の視線には、全て共通の感情が(まと)わりついているように千秋には感じられた。

 情欲だ。

 千秋の顔やまだ濡れたワンピースの胸や腰辺りに彼等が関心を向けていることを知り、彼女は嫌悪の鳥肌を立てた。

「ここは奴等の日本侵攻作戦の為に作られた入江だ。ここで此奴等(こいつら)は集い繁殖(はんしょく)して数を増やしていく。だが困ったことに奴ら同士の交配では、大抵は雄が産まれて雌が産まれる事など滅多にない」

 紺背広はその水面から覗く【深き者共】を見下した様に冷たく眺めてから言葉を続けた。

「そうなると、あとは女を(さら)ってきて此処(ここ)に連れてくるしかない。それでも追いつかない場合は俺達が女を調達しているがな。ここまで言えば解るよな。奴等は人間の女性と交配することによって数を増やしていくんだ」

 千秋の顔色が血の気を失う。そんな様子を紺背広は楽しむように不気味な笑みを浮かべた。

「お前はこれから、この下で(うごめ)いている奴等の子孫の苗床(なえどこ)となるんだ。奴等の女の扱いは乱暴でな、二、三回でぶっ壊しちまう。運が悪けりゃ(きょう)の乗った奴等に手足を喰われる奴もいるしな。それはそれで大人しくなって助かるんだが」

「い、嫌」

 紺背広は身を起こして逃れようとする千秋の頭を奈落の方へ押しやる。楽しくてたまらない様に哄笑(こうしょう)した後、千秋を引き戻す。

「まあたいてい、心の方は一回でぶっ飛んで狂ってしまうんだが。地下にはそんな女が二十人ほどいる。それで女に()きてくるとそいつは食料となるんだが。お前は一回目が終わった後、俺達に協力するか訊いてやるよ。だから最初に狂わないように耐えるん……」

 不意に紺背広は口を閉じた。畳に横たわった千秋の肢体を眺めて笑みを浮かべる。獣のような笑みだった。

「お前、中々良い身体つきをしているな。よし」

 紺背広の左手が千秋の豊かな胸に伸び、濡れたワンピースの上から掴む。

 それのもたらす嫌悪感に千秋は身体を()じって逃げようとするが、手足を縛られて逃げる事も出来ない。

「初めては人間が相手してやるよ。いつか俺に感謝するさ。なあ」

「やだ、やだ、助けて。冬峰ーっ」

 (あらが)う千秋は絶望感にさいなまれていた。

 自分の母親からも他所(よそ)に売られ、(さら)われて不当な扱いを受けようとしている。そして自分を守ろうとした少年もいなくなった。

 何故、私が。疑問が何度も湧く。

 私に自由は無いのか。私に私の生き方を決める事は許されないのか。

 私は御門家にとって、母にとってどうでもよい存在なのか。

 あの家は、あの当主さえいれば満足なのか。

 その疑念は、彼女の意思に関わらず、この座敷牢にある変化を与えていた。

 彼女を組み伏せようとする紺背広は気づかなかったが、天井に黒く小さい穴が出現して少しずつそこに大気が引っ張り込まれているのだ。

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