四章 黒衣の魔紳士(17)
「青桐、朱羅木、何か異質なモノが此処を目指しています。二人はこの屋敷内で待機して妹達を守って下さい。私は外でやって来るものを迎え撃ちます」
「春奈様!」
「この地の八百万の神とは異なる鬼気を持つものが私を狙っています。恐らく昨夜の戦いで私に狙いを定めたのでしょう」
青桐は三和土に下り外に出ようとする春奈の前に回り込み、その両肩に手をやり押し留める。
「春奈様、お待ち下さい。これからここに来るものが昨晩同様、我らの理から外れたものならば、当主である貴女を危険に晒すことは出来ません。まず私と朱羅木で相手致します」
「しかし」
「私の陣地も強化しておりますし、朱羅木も今度は油断する事は無いでしょう。私共は春奈様の警護を任されております。まずは私共の顔を立てて頂けませんか」
春奈は黙って青桐を見た。春奈にとって青桐は護衛ではなく数少ない年上の友人で、今までそのように接してきた。しかし青桐にとっては春奈とはいくら親しくなろうが仕える主人なのである。そんな大切な主人を危険に晒すことを青桐は出来なかった。
春奈は静かに息を吐いて青桐を見つめる。
「解りました。二人に任せます。しかし二人掛かりで倒せないならすぐに私を呼んでください」
「承知しました。では」
朱羅木と青桐は中庭に出て頭上を見上げる。
外は吹雪により白い世界と化して、視界は雪のカーテンに遮られ五メートル先も見えない。
「朱羅木、屋敷の門を守って。私は陣地で侵入者を迎撃するわ」
青桐は木箱を足元に置いて蓋を開けた。そこには昨晩同様、精密な春奈の住む本家の屋敷の正確なミニチュアが収まっている。
その隅に置かれた赤いビー玉が素早く転がり、門の手前の青いビー玉の横でピタリと止まった。
昨晩、青桐はフェランに青いビー玉は朱羅木、赤いビー玉は敵であることを説明した。となると敵は朱羅木に肉薄していることになる。
「朱羅木、気をつけろ! 敵はもう来ている」
その言葉の終わらないうちに、朱羅木の頭上から雪を纏い付かせた巨大な手が現われ朱羅木の襟首を掴んだ。それと同時に朱羅木は頭上をふり仰ぎ、愛用の九七式小銃の銃口を頭上に向ける。
銃声。
それきり青桐の前から巨大な腕も朱羅木の姿も消え失せて、後には悲鳴の様に吹きすさんだ吹雪の風音とただ独り中庭に立つ己が残された。
「何が、あったの?」
赤と青、二つのビー玉は箱庭の隅に戻っており、それは朱羅木も敵も箱庭の探知範囲から遠く逃れていることを示していた。
今回製作した箱庭は侵入した外敵を閉じ込める篭目模様が庭内に作られており、迎撃用として所々に竹串を逆さに差し込み、相手が近づくと自動的に刺さる仕掛けを備えている。当然門の傍にもこしらえていた。しかし今回の敵は箱庭の結界に囚われる事も無く、朱羅木を連れ去ったのだ。
今回の敵は猛スピードで飛行する何かで、視認する事も難しい存在となると迎撃用の八咫烏で何とかするしかない。
そう判断して青桐はスーツの懐から黒い羽根を抜き取り箱庭に突き刺した。
「相手が足を止めてくれるかどうか。結界は強化しているから一度捉えると脱出は不可能なんだが」
赤いビー玉が震え青いビー玉を引き摺る様にして転がり始めるのを目にして青桐は宙を仰いだ。篭目模様に赤いビー玉が触れる。
次の瞬間、箱庭は爆発したように周囲に飛び散った。
「何!」
背後に飛びずさり破片を躱した青桐は、吹雪の中、高空から何かが自分を目がけて飛んでくるのを目にして脇に身体を逸らしてやり過ごす。
その飛んで来たものは地面に激突してバウンドした後、中庭を転がり庭石に乗り上げてようやく動きを止めた。
青桐は吹雪で視界が効かないので、その物体が何なのか見極めようと警戒しながら近寄る。それが人間であり黒スーツを身を着けた者だと判り、足を止めた。
「……朱羅木」
部下の傍に膝をつき、寒さの為に青白くなった顔を見下ろす。落下の衝撃か手足はあらぬ方向に曲がっているが、それまでに事切れていたのかもしれない。
青桐は歯噛みした。
既に自分の武器は破壊され、長年の相棒も命を落とした。それはいい。御門家の警護に就いた以上、任務で命を失う事は既に覚悟している。
口惜しいのは、敵に一矢報いることなく敗れ去り、我が主人を守れない事だ。
あの、人と争う事の似合わない、いつも人を安心させるような笑みを浮かべる女当主を守れない事だ。それが酷く悲しい。
朱羅木の亡骸からゆっくりと顔を上げる。
いつの間にか吹雪の向こう、十五メートル程の高みに青緑色に燃える炎のような星が二つ並び自分を見下ろしていることに気がついた。
青桐の周囲を吹雪く風はどんどん勢いを増していき、青桐の体温を奪っていく。
感覚の無くなった四肢を動かそうと試みるが、すでに凍りついたのかピクリと痙攣すらせず、ただ、こちらに伸びてくる白い雪の結晶を纏わせた巨大な手がのばされるのを呆然と見つめる。
それが止まった。
戸惑ったようにその二つに並ぶ星が揺れ、屋敷の方へ向きを変えるのにつられ、自分も力を振り絞りその方向へ目を向ける。
そこにいた。
屋敷の屋根に開いた大穴の傍らに、純白のコートとロングスカート姿の春奈が招かれざる来訪者を見据えている。
しかし何時も絶やさない温かい眼差しと優しげな微笑みは鳴りを潜め、代わりに何の感情も読み取れない冷え冷えとした硝子の様な黒瞳を招かれざる来訪者に向けている。
おかしな事に吹きすさぶ吹雪にも関わらず、彼女の長い黒髪や純白のコートの裾ははためかず、ただ静謐にその身を覆っていた。
「貴方が何者か、それはどうでもいい事ですが、貴方が手に掛けた者とこれから手に掛けようとする者は私の家人です。これ以上の狼藉を起こすのなら当主の責にて祓うことになりますが、よろしいですか?」
そう言い終えた春奈の頭上に白い氷霧を纏いつかせた巨影が現われ、その大きな掌を眼下の豊かな黒髪に伸ばした。
いや、伸ばしたその先に目標の姿が無い事に気がつき、戸惑ったように指を彷徨わせる。
「なるほど、貴方も風を操り飛ぶことが出来るのですね」
その声は燃える星の頭上より響き、そいつはその方向へ向き直った途端に衝撃を感じて中庭に弾き飛ばされる。
「わっ」
青桐は辛うじて屋敷の陰に逃れ、それの落下の衝撃から身を守った。
青桐には来訪者が振り向いた瞬間、その身を弾き飛ばしたのが燃える星と星の間に叩き込まれた春奈の蹴りであることを辛うじて見てれたのだ。
来訪者の巨影に纏わりついた氷霧が吹き飛ばされて、白い光沢のある外皮を持つ細身の巨人の姿が吹雪の中に現れる。
「あれは?」
青桐はその正体を見極めようとしたが、再び氷霧を纏った巨人は落下の衝撃を物ともせず平然と立ち上がり、一声吠えた。
春奈はその咆哮に怯えた風も無く、宙に浮かびその巨人を見下ろす。
「どうやら私も攫うつもりでしたか。それは容易い事ではありませんよ。せめて玉泉洞の茶菓子を土産にして頂かないと」
青桐は、普段の春奈ならきっとお茶菓子に釣られるんだろうなと、部下にあるまじき感想を抱く。




