四章 黒衣の魔紳士(16)
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「二人が行方不明!」
春奈は自室で駅前に突如出現した異形の物と、それに与えられた被害の資料に目を通して頭を痛くしているところへ、青桐と朱羅木がもたらした報告の内容に椅子を倒して立ち上がった。
「陸橋もろとも装甲列車が消失。付添いの兵隊も全滅って何があったの!」
妹達に聞こえる事も忘れて、勢いよくドアを開けて一歩踏み出した春奈の左足が何かを踏んづけた。
「うぐっ」
「あ」
廊下に平伏した朱羅木の首筋を踏み付けたまま、春奈は硬直する。
「御免なさい。でも私、ダイエット中ですから重くないと思います」
朱羅木の隣で平伏したまま、青桐は長い長いため息を吐いた。
春奈は帰宅している紅葉や夏憐の耳に入らないように、場所を応接室に移して報告を聞くことにした。
しかし先日の【黄衣の王】とロイガーの強襲により天井からは空が覗いており、損傷した襖などは取り払われて中庭を見渡せるようになっている。
明日には畳と襖の交換、屋根の補修が馴染の業者の手によって行われる予定なのだが、気分的に寒々しいのは仕方がないのであろう。
春奈は自分で淹れた緑茶に口をつけた。冬峰の淹れてくれた緑茶に比べて全然甘くない。
「……」
座卓を挟んだ向かい側に腰掛けた青桐わずかに身動ぎした。どうやら春奈の様子を怒りを堪えているように受け取ったのかもしれない。
「で、冴夏伯母さんの指示は? 仮にも自分の娘が敵の手に落ちたのだから心中穏やかでないと思うのだけど」
春奈の言葉に青桐と朱羅木は顔をうつむかせた。
ソロモン機関への千秋引渡しについて、この若い見習い当主が内心反対していることを二人共重々承知しており、何も出来ない事への償いに春奈は冬峰を同行させる様に当主代行の冴夏に談判したのだ。それが裏目に出た。
朱羅木と青桐が千川に駆けつけると、そこには基底部のみ残して崩れ去った鉄橋と水面に浮かぶソロモン機関の兵士達の残骸のみであり、冬峰と千秋、同行した胡散臭いジャーナリストの姿は見当たらなかったのである。
すぐさま冴夏へ報告を行ったが、千秋の母親である彼女は顔色一つ変えず、ソロモン機関へ警護が不十分であったことへの抗議を【高天原】を通じて行う事を告げ、朱羅木と青桐には分家の若衆へも声を掛けて三人の捜索をするよう命令した。
「【K】が何を企み、我々の能力を欲しているのか解りませんが、よからぬことに利用されるのは断固阻止しなければなりません。彼等の手に落ちているなら、最悪、千秋を処理する事も考慮するべきですね」
そう述べた冴夏の表情に肉親の苦渋や葛藤の色は見られず、何時もの様に冷然と指示を下す当主代行のままだった。
「そうですか……」
春奈は青桐から冴夏の様子を聞き沈痛な面持ちで目を閉じた。
冬峰を千秋の護衛に就けたのは間違いだったのか? 冬峰だけでなく青桐や朱羅木、その他の腕の立つ者達を同行させるべきだったのか? 千秋と冬峰は【K】の手の落ちたのであろうか。
「冬峰さんが無事なら、千秋さんに何かあれば連絡してくるはず。恐らく二人共【K】の手に落ちたか、何らかの理由で連絡が取れないかもしれません。冴夏伯母さんの指示通り周辺への聞き込みと二人の足取りを追いましょう」
「承知しました」
「あと、【K】の召喚したであろう怪物について、どこへ行ったのかは報告は有りましたか」
「それは何も、目撃者の話ではマンホールの穴から突然現れ、消える時もあっという間だったとか」
再び現れた時、どのように迎え撃つべきか。千秋は意を決したように二人を見つめた。
「また出現した時は私が相手をします。これ以上こちらへの被害が増せば、この町へ住む方々の私共に対する不信へと繋がるでしょう。それだけは避けなければなりません」
「当主自ら相手なさらずとも。奴等の相手は私共で十分かと」
朱羅木の抗議に春奈は静かに首を振って答えた。
「私が御門家の当主に相応しい実力と器量があると【高天原】に認めて貰えれば、今回の様な外の機関の理不尽な要求にも意見出来るんじゃないかと、そう思うんです。自分の一族を守れない当主なんて存在する意味ないじゃないですか」
「……」
「……」
青桐と朱羅木はそれ以上何も言えず黙り込んだ。恐らくこの若い当主は千秋と冬峰を失ったことに対して自責の念に駆られているのだろう。
しかし、当主自ら乗り出すのも雇われた我々が無能だということになりかねない。だが、昨晩此処に現れたもの達は、容易くこの庭に張られた結界を打ち破り、異形の怪物を出現させた。駅前に現れたものもその類であろう。
当主である春奈に対しては当主の力を借りずとも相手できると豪語したが、実際のところ、苦戦は必須というのが青桐の考察だ。
青桐は若い当主を引き留めようと口を開きかけたが、不意に肌寒さを覚えて身を震わせた。急に気温が下がった様な感覚に囚われ窓に目をやる。
「……雪だと?」
隣の朱羅木も窓から見える光景に眉を寄せる。
若い当主だけは天井の大穴から空を眺めていたが。
薄闇に覆われ始めた五月の夕方に白い粒が空から降りてくる。
「山から残雪が吹き下ろされてきたか?」
「襖や障子が無いとやっぱり寒いですね。青桐、今日は炬燵を出しましょう。晩御飯は鍋物が食べたいです」
「春奈様。まず天井にビニールシートを被せるのが先では」
「何故、この時期に雪が降るのか。それを疑問に思うのが先では?」
朱羅木は頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てて二人につっこんだ。
「異常気象だから、じゃ駄目?」
「駄目です」
外では既に大量の雪が宙を舞っており、天井と窓から吹き込む風に春奈は羽織ったカーディガンの前を合わせて震える。吐く息も白い。
「寒い! 早く冬峰さんを探さないと、今日のお鍋と明日の雪かきが滞ってしまいます」
「駄目人間だよ、この当主」
「今日は寒くて怪物は出てきませんよ」
何の根拠も無く自説を口にする当主の動きがふと止まった。宙の一点を睨みつけてつぶやく。
「いや、来るか」
当主の口調に朱羅木は背筋に冷たい氷柱が刺さった様な感覚を味わい身震いする。
それは普段の春奈のような温かいゆっくりとした口調ではなく、硬質な人間らしさを感じさせない口調で、春奈とは違う人物が彼女の中に入って喋っているようであった。




