四章 黒衣の魔紳士(14)
膨れ上がりつつある青年の腹部から生じた触手がフェランとネイランドに襲い掛かり、二人は左右に分かれてそれをかわすと続けざまに青年の身体に銃弾を送り込んだ。
緑色の半透明な体組織になりつつある青年の身体はその内臓も人間の形態から変化しつつあるようで、うっすらと見える肺などがくびれ巨大化して全く別の巨大な芋虫のような形状となって蠢き始めた。
その器官を銃弾が吹き飛ばすが、直ぐに泡状の液体が吹き出しその器官の欠損した部位を塞ぎ修復していく。
「もう人間じゃねーな。フェラン、手加減すると殺されるぞ」
「最初からしてない。お前こそ油断するな」
フェランとネイランドは互いに銃弾を撃ち尽くして、ネイランドはコートのポケットからBAR用の二十連弾倉を、フェランも同じくコートのポケットから八発の弾丸をまとめた専用のクリップを取り出して互いの銃に装填する。
しかし、どうすればいい、とフェランは自分自身に問い掛けた。
明らかに手持ちの火器では力不足であることは解っている。切り札といえば不死の指導者用にガス燃焼式の焼夷手榴弾を持っているが、この事態に出くわすことを想定しておらずひとり一個ずつしか持ち合わせていなかった。しかし、時間が経てば経つ程、眼前の青年だったものは別種の存在となり殺しにくくなるだろう。
「ネイランド、3カウントで焼夷手榴弾を投げてくれ。それであの青年を焼き尽くす」
漆黒の闇の中、ネイランドがうなずくのを確認してからフェランは焼夷手榴弾のピンを口に咥える。
「悪く思うなよ。1、2、3」
ピンが抜かれて同時に投げられた焼夷手榴弾は、放物線を描いて青年の足元へ落ちるかと思われたが、青年に届く寸前、何もない宙に出現した周囲の闇よりも濃い黒い穴に吸い込まれた。
「?」
「やれやれ、無粋な真似は止めてくれませんか。これから楽しいショーが始まるんです」
焼夷手榴弾の消失に目を見張る二人の耳に朗々と悠然たる低い声音が届いた。
声のする方向には右掌を青年へ突き出した黒衣の紳士がおり、二人に微笑みかける。
「今のはあんたの仕業か? 何者だ」
ネイランドはBARを紳士に向けるが、その紳士はその物騒な凶器に怯んだ様子も無く笑みを浮かべたままだ。
「あ、そ、そいつ、い、嫌だ。変わり、た、助……」
瞬く間に巨大な球体と化した身体に沈み込もうとするまだ人間の面影の残る青年の右顔面から途切れ途切れの哀願が空間に木霊する。それは異形の者に変わろうとする青年の悲鳴に他ならなかった。
「これは、中々しぶといですな」
苦笑して感嘆する紳士を尻目に、フェランはじっと残った青年の顔を見上げていたが、意を決したように銃口を持ち上げて懇願する青年の部分に不動の直線を引いた。
「ネイランド、あの顔をぶち抜くんだ。ひょっとしたら滅ぶかもしれない」
「人間の部分のみ死んで、完全に怪物になったらどうする!」
「その時はその時だ」
一か八かフェランはM1ガーランド、ネイランドはブラウニング・BARの三〇‐六〇スプリングフィールド弾を弾切れになるまで撃ち込んだ。
僅かに残された人間の面影を留める青年の頭部が弾け、赤黒い組織が飛び散る。
「やったのか?」
それは緑色のゼラチン質のような肉体が崩れ始めるのを目にしたネイランド・コラムのつぶやきだが、同時にその彼の唇から血泡が吐き出された。
それは彼等が銃撃を始めると同時に、黒衣の紳士の足元から放たれた黒い光がネイランドの腹部を薙いでいった為であり、彼の腰から上が、ずるり、と前方にずれて力を失くしたように崩れる。
「ネイランド!」
フェランが背広の左脇から愛用の四十五口径を抜いて、親指で安全装置を解除、仲間の命を奪った存在へ連射した。
その弾丸は七発とも黒衣の紳士の胴体へ命中するが、当の撃ち込まれた本人は高級そうなダブルのスーツに穿たれた弾痕をつまらなさそうに見下ろしてから、何処からともなくシガリロを取出して口に咥える。どのような芸当か、独りでにその先端に火が灯り芳香が漂う。
「やれやれ、今回の舞台は準備に手間が掛かったんですけどね。俳優が舞台脇の控室で降板するのは観客に対する言い訳に一番困るんですよ」
黒衣の紳士は両手を肩の高さまで上げ、さも困った様に首を振り苦笑した。豊かな黒髪が左右に揺れる。
「せめて名乗らせてからでも遅くは無いと、そんな余裕さえないのですか」
黒い手袋をはめた右手が背広の前をなぞると、黒スーツや白いカッターシャツの弾痕は跡形も無く消え失せた。
「何者だ」
フェランは素早く弾倉を交換して、眼前の怪紳士の額を狙いながら問い掛ける。
しかし、フェランは内心、この紳士の存在に対して妙な圧迫感を感じていた。それは、昔、教授に連れられて南の島で目にした異形の怪物すら凌駕する恐怖感をフェランに与えていたのだ。
「ああ、そういう私も名乗っていませんでした。私はナイとお呼び下さい。今はインチキ宗教団体の司祭を務めています」
その笑みを浮かべる細面で彫りの深い顔立ちは、もしこの場に妙齢の婦人がいれば卒倒しかねない程の魅力に満ちていた。
しかしここは、異形のモノとなろうとした青年の残骸が横たわり、世界を守って来た男の亡骸が転がる地獄なのだ。
「お前がナイか。星の智慧派の神父があんたのような奴とは驚いた。さぞかしご婦人方からの寄付が多いんだろうな」
「迷える御婦人の相談に乗ることも私の仕事のひとつですから」
ナイは胸に手を当てて恭しく一礼する。
その時、遠くからの地響きがフェランの耳に届くと共に足元に微かな揺れを感じた。
「おや、そろそろこの場所も限界のようだ。ミスター・フェラン、君も早く此処を離れないと、この島もろとも海中に沈み込んで出られなくなりますよ」
「なぜ、俺の名を」
フェランの問い掛けにナイは口角を吊り上げた。
「それは当然でしょう。あなたは私の上司、いや雇い主と言った方が良いのか、彼と彼の眷属を復活させようとする企てをことごとく妨害してくれたグループの一員なんです。この男を見掛け次第殺せというお触れが回って何年経ったと思っているんです」
「嘆かわしいな」と芝居のかかった所作で首を振る怪紳士は、今回も計画を妨害されたにもかかわらず、何が面白いのか余裕めいた笑みを浮かべてフェランに語りかける。
「それなのにあなた方は懲りずに我々と戦い続ける。仲間を失い、己も傷つき、異形の血を受け継いでいるがまだ人間の意識も残っていた哀れな男を躊躇なく殺す。私にとって、そんなあなた方の生き方が哀れで滑稽で尊い。素晴らしい娯楽ですよ」
「……娯楽だと」
フェランの眼の奥に憤怒の炎が宿った。
エイベル・キーンは行方不明。
ホーヴァス・ブレインは自ら姿を晦ます。
クレイボーン・ボイドは自宅で怪物に殺害される。
ネイランド・コラムはアメリカ西海岸で……
連続する銃声。しかしフェランの放った四十五口径弾はナイの身体に弾痕を残す事も無く全て通り抜けていく。
「もっともっと抗い続けるがいい。我々の時間は無限です。この程度の遊びなら私の上司も許してくれるでしょう。ミスター・フェランがこれからも我々と戦い続けてくれるのか、楽しみにしていますよ」
フェランは徐々に薄くなっていく黒衣の紳士をなす術も無く見る事しか出来なかった。
完全にその気配が途絶えてから虚脱したように銃口を下ろし膝をつく。その傍らには事切れたネイランドの亡骸が横たわる。
「……くそ」
毒づいてからコルトM1911A1を左脇のホルスターに納めた。
世界の危機を救った達成感などなかった。ただ仲間を失った喪失感と疲労が残っているだけだ。
フェランはネイランドの目を閉じさせてから、懐から小さな薬瓶を取出し、黄金色の中身を口に含む。
「いあ、いあ、いあ、はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい、あい、はすたあ!」
最後にネイランドの亡骸に目をやって別れの挨拶とした。
次の瞬間、フェランは巨大な生物の背中に乗って、繁栄を極めた巨大都市の街の明かりが次々と消えて水没していく様を、はるか上空から無力感にさいなまれつつ見下ろす。




