四章 黒衣の魔紳士(6)
「……まあ、大丈夫だろう」
「何、その沈黙?」
冬峰は千秋の右隣に腰かけたフェランに視線を移した。
ちなみに冬峰が千秋の左隣に腰掛けたのは、右側に腰掛けると車内で長脇差を抜刀する際、右手がドアに当たり刀身が鞘から抜けきらないからだ。
「あんたはなぜ、関わり続ける?」
フェランは短くなったスモーキンジョーを、手にした宇都珈琲の空き缶に放り込んで顔を顰めた。
「苦過ぎるな。この珈琲は一缶飲むと舌の感覚が無くなるんだ」
「私、その珈琲を飲んでる人、初めて見たよ」
「そうだな。あんた凄いな。普通は一口飲むとむせるから、そのまま放置されてるんだ」
「むっつりした店員に押しつけられてな。一本五拾円だから一ダース買ってくれって。いまさらながら後悔しているよ」
「それで、何で関わり続けるんだ? まさかその珈琲を配りに来たんじゃないだろ」
冬峰は車外から聞こえる護衛のごほごほとむせて咳き込む音を無視して再び問い掛ける。
「性分でね。途中で放り出すことが出来ないんだ」
フェランは苦笑を浮かべて宙を仰いだ。その唇が何かをつぶやいたが冬峰には聞き取れなかった。
ウルフ装輪装甲車のⅤ8六千CCディーゼルエンジンが低く唸り、車体がゆっくりと動き始める。その前後を挟んだRAM2000偵察装甲車もM2重機関銃で周囲を睥睨しながらゆっくりと走り出す。
「さて、長い旅の始まりだ。何事も無く帝都に辿り着ければいいが、まあ、無理だろうな」
「悲観的だね」
「経験上、世の中に過度の期待をすることを禁じているからな。君はどうなんだい。何事も無いと思っているのかな」
「……」
来るだろう。冬峰はそう確信している。
フェランの言葉を信じるなら、千秋の価値は【K】の不死の代行者自らが乗り込んで来る程重要らしい。そして別組織の不死の指導者も乗り出している。
正直、あの不死の指導者レベルを相手にしてもう一度撃退出来るかどうか問われれば、冬峰は「判らない」としか言いようがない。
一度目は相手が油断しており滅ぼすことが出来た。
二度目は三人掛かりで何とか撃退した。
それに昨晩、【黄衣の王】に召喚されたらしい異形の物だが、あのレベルが相手だとどうしようもない。
「なあ、自称ジャーナリスト」
「なんだね、むっつり坊や」
「……」
「……」
千秋は自分を挟んで意味ありげに沈黙するのは止めて欲しいと身を小さくした。
「昨晩の巨大モップ。あれは何だ」
「巨大モップか。まあ、あながちハズレではないな。人類を根こそぎ掃除する点については大当たりだ」
面白い事を聞いたとフェランは目を細めた。
そうか、彼等にしたら俺達は埃以下の存在だろう。俺が今、こうして抗っていることも、彼等にとってはどうでもいい事かもしれん。
そんな苦々しい思いを苦笑という形でフェランは口元に浮かべるしかなかった。
「あれが俺達の戦う相手、旧支配者と呼ばれる異世界の生物、いや、神様だ」
「異世界の生物? あんなのが何匹もいるのか?」
「私も聞かされた時は、相手の正気を疑ったよ。ある人物は彼らの脅威を小説という媒体を使って人類に警鐘を鳴らした。それが早逝する原因となったが」
フェランは背もたれに身を沈め宙を見つめた。
その眼には生きることに疲れた老人に似たような倦怠が浮かび冬峰の眉をひそめさせる。
「マサチューセッツ州アーカム。その地で彼等旧支配者の存在を知ってから、私はずっと彼等と戦ってきたんだ。仲間は教授以外、いなくなってしまったけどね」
「……」
「……」
フェランは黙り込んだ冬峰と千秋の様子を見て、これはいけないと思ったのか、急に何時もの悪戯っぽい笑みを口元に浮かべ首を振った。
「でも教授。あの爺は絶対長生きするな。実際、長生きしてるし。日本の諺で憎まれっ子世にはばかるってのを聞いた事があるんだが、あれは教授の事に間違いないな」
フェランが腕組みをしてうんうんとうなずく。その様子に千秋は呆れたような視線を向けた。
「それは、あなたの事も含まれてますよ」
「ええ?」
千秋は心外だと宙を仰ぐフェランの仕草が可笑しく、つい笑みを浮かべてしまった。
千秋はこの飄々とした自称ルポライターを当初は胡散臭い男だと敬遠していたが、今では冬峰を除く御門家ゆかりの物より信頼出来るのではないかと思い始めている。
彼は何度、昨夜本家に現れた「モップの化物」や弾丸で撃たれても平然としている怪人と幾度も戦って来たのだろうか。
きっと失くした仲間同様、自分自身も何度も死にそうな目にあったに違いない。ただ、戦う理由を尋ねても、この男は素直に話してくれない。千秋はそんな気がするのだ。
そして従弟の冬峰も考えてみれば胡散臭いったらこの上ない。
フェラン同様危ない目に合ってるというのに、何の気負いも無く平然としている。普通、こんな非常識な事に巻き込まれれば喚くだけの存在となってもおかしくないのに、むしろアルバイトの彼より活き活きしているようにも見えなくも無い。
その彼を私は救ったことがある。彼はそう告げたのだが、千秋にはその記憶は無い。
ただ、昔、孤独に見えた彼が自分の同類に感じられて話し掛けたことがあったような気がする。それはいつだったのか。
千秋が遠い記憶を手繰り寄せようと目を閉じた時、急に甲高いブレーキ音が響いて千秋の身体は前方へ投げ出されそうになり、両側から伸びた手がその体を支えて止めた。
「何があった?」
フェランは座席から腰を上げ車外へ出ようと後部ドアの取っ手に手を掛けるが、正面の座席に腰掛けた兵士の構えたAK103の銃口がこめかみに突き付けられた。
両手を肩の高さまで上げて抵抗の意思の無い事を示したが、兵士は銃口を振って席に着くよう促してくる。
冬峰と千秋にも銃口が突きつけられ動かないよう威嚇してきた。
「はいはい、大人しくしてますよ」
すごすごと座席に戻ろうとしたフェランだったが、ウルフのフロントガラスから目にした光景がその表情を険しいものへと変化させた。
冬峰も顔を上げて聞き耳を立てるように目を閉じる。
「この足音、まさか、な。これはまずいぞ」
フェランの言葉が終わらぬうちに、フェラン達の乗ったウルフの前に停車したRAM2000偵察装甲車が、いきなり宙に浮きウルフの後方へ放り出されたのだ。
地面に激突するRAM2000の断末魔と重なるようにして響くM2重機関銃の50口径弾が咆哮する。その火線にさらされるものを目にした千秋は両手で口を覆い目を見開いた。
天門町駅手前まで四〇〇メートル程の片側二車線道路の中央に、アスファルトを突き破って地面から現れた大蛇の様なものが、のたくりながら装甲車を薙ぎ払い、もしくは宙に吹き飛ばして蹂躙しているのだ。
その悪夢の中でしか見ることのないであろう光景に、道路の左側に面したこの町唯一の総合病院である「御門病院」の病棟の窓からは入院患者の上げる驚愕の声がひっきりなしに響いていた。




