四章 黒衣の魔紳士(5)
昼前、自室のベッドに腰掛けてぼんやりとする千秋の前に、時春はいつもの柔和な笑みを浮かべず、ただ能面の様な無表情で迎えが来たことを告げた。
「そう」
千秋は静かにそれだけ答えると荷物も持たず玄関まで歩を進める。
「お体に気を付けて。私の立場ではこのような事しか申し上げられません」
千秋は苦笑して左右に首を振った。
この館で唯一の心許せる存在だった気がするこの初老の執事に文句などあろうはずがない。
「うん。時春も体に気をつけて。長生きしてね」
「はい」
一礼した時春は、千秋が門をくぐり姿が見えなくなるまで頭を垂れたままだった。
そして門の外には昨夜と同じくヘルメットとゴーグルにボディアーマーを着用して、AK103やバレット五十口径ライフルなどの火器で武装した黒ずくめの兵士達。
それが小雨の降る暗い朝に幽鬼の様にたたずんでいる。
千秋はその風景が自分の未来を暗示させているような気がして背筋を震わせた。
その黒い風景から赤い人影が浮き出して千秋の前へ歩み寄って来る。
確か名はフレアだったかなと、千秋は昨夜の記憶を探った。
千秋はその男の持つ雰囲気が、似たような色彩を持つ世界で最も大きい花であるラフレシアと同じく腐臭を放っているようで不快なのだ。
「ようこそ、御嬢さん。ここからは我々が貴女を帝都まで護衛します。帝都からはソロモン機関の輸送機で本部まで同行して頂きますので安心して下さい」
何を安心しろって? と睨み返す千秋の視線にも動じる様子も無く、フレアは笑みを浮かべてかたわらの装甲車を指し示した。
「ごつい……」
「駅前まではこの車両で移動、そこから三手にわかれて帝都を目指します。貴女がどのルートを辿るのか現時点では明かせません。【K】の誰かに情報が漏れるのを防ぐためです」
「本人にその気が無くとも、精神を乗っ取られることもあるからな」
不意に背中から掛けられた言葉にフレアと千秋は振り返った。
そこにはグレーのシワの目立つスーツに同色のコート姿の自称ジャーナリストが、ひん曲がったスモーキンジョーを咥えて皮肉な笑みを浮かべていた。
右手の「宇都珈琲」と赤い文字で縁取られたラベルの缶コーヒーが異彩を放っている。
「ミスター・フェラン。貴男の役目は終わっているはずですが」
フレアは冷淡ともいえる口調と視線で、明らかにあなたは邪魔だという態度を隠さずフェランを迎えた。
どうやらこの赤いソロモン機関の怪人と、飄々とした自称ジャーナリストは反りが合わないらしい。
「まあ、邪険にしなさんな。乗りかかった舟でね。無事に何事も無く任務が終了するのを見届けたいのさ」
フレアの態度を気にした風も無く、アンドリュー・フェランは咥え煙草のまま無造作にウルフ装輪装甲車に近づいた。気の毒そうにわざとしかめっ面を作って首を振る。
「これ、乗り心地がものすごく悪いんだ。君も大変だな」
「え」
固まる千秋を尻目に後部ドアを開けて勝手に乗り込む。
「さ、君も気にせず乗りなさい」
「それじゃあ、お邪魔します」
これもいつの間にか千秋のかたわらに現れた癖毛で何時も眠そうな少年が、ハードケースを肩に掛けて車内に乗り込む。
「……」
フレアは二人を焼き尽くしたい衝動に駆られながらも、持ち前の忍耐力を総動員して笑みを浮かべる。
「君は何しに来たんだね。フェランはともかく、君の同行を許可した覚えは無いんだが」
冬峰はごそごそとジャケットの内ポケットを探って中からクシャクシャに折れ曲がった封筒をフレアに押し付けた。フレアは眉を寄せて封筒の中の手紙を抜き取り眼前に広げる。
「御門家の当主が、僕を同行させないと千秋の引渡しは認めないって。そういうことで、ここはひとつ」
「……」
次の瞬間フレアの手の中で手紙が火を噴いた。そのまま灰となってあたりの散らばるのを黒ずくめの男達が息をめて見守る。
「さっさと乗り込め。すぐに出るぞ」
当たり散らすかのように周囲の男達へ指示を下すフレアの背中を、フェランはにやにやと笑みを浮かべて見送った。
イスラエル製ウルフ装輪装甲車の七人乗りの車内は、後部座席に千秋の両隣りにフェランと冬峰が腰掛け、中座席にはAK103を携えた二人の兵士が腰掛けた。
助手席の兵士は車内での取り回しを重視したのか、折り畳みストックを備えたAK103を胸前に構えている。
「おはよう」
生欠伸を隠そうともせず冬峰は背中のハードケースを膝上に移して挨拶をした。
「おはよう。その」
千秋も挨拶を返すが何かを言い掛けて思い直したように口を閉じる。
「冴夏伯母さんに止められなかったか、だろう?」
千秋はうなずいた。今朝の冴夏との会話から冬峰は帝都まで同行出来ないはずだ。
「でも当主の春奈さんが許可したなら話は別なんだ。春奈さんの警護は朱羅木と青桐さんが引き続き担当するよ。朱羅木は俺が本家を離れるのを止めるわけはないし、青桐さんは……」
冬峰の言葉が途切れた。冬峰の脳裏には冬峰が本家を出る時の見送りに出た春奈と青桐のやり取りを思い出していたのだ。
「じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい。千秋ちゃんをよろしくね」
春奈は微笑んで冬峰に近寄った。ぎゅっと背中に手を回し冬峰を抱擁する。
「守ってあげてね。あの子は冬峰さんしか味方はいないかもしれないから」
「……それはどうかな」
えっ、と見上げる春奈に冬峰は苦笑する。
「春奈さんや紅葉、夏憐ちゃん、青桐さんも千秋の味方でしょう。違うかな」
冬峰の問いかけに春奈の表情が明るくなる。
「はい、そうですね。そうですよ」
冬峰は春奈のかたわらに立つ青桐へ視線を移した。黒スーツ姿の男装の麗人はサングラスを外して冬峰を見返す。
「青桐さん、春奈さんをお願いします。済みません、俺の我儘で春奈さんの護衛を抜けて」
頭を下げて謝罪する冬峰に、青桐は首を左右にってそれを止めた。
「私こそ冬峰様に礼を言わなければなりません。私と朱羅木は昨晩の襲撃に役に立たず、春奈様と冬峰様に助けられる醜態を見せてしまいました。それなのに引き続き冬峰様の推薦で春奈様の護衛を任され、汚名返上のチャンスを頂いている。何とお礼すれば良いのか」
青桐には解っていた。本来、当主としての実力を持った春奈に護衛は必要ないのだ。何しろ御門家最強の存在は彼女なのだから。
そして昨晩の敵の実力から、狙われる千秋に同行する冬峰こそ、命を落とす危険性の高いことを。
「青桐さんには紅葉も夏憐ちゃんも懐いているからね。もちろん、春奈さんも、ね」
「そうですよー」
ぎゅっと背後から春奈の抱きしめ攻撃が青桐に掛けられた。
「頼りにしてますよ。青桐お姉さん」
「青桐、お姉さん……」
呆然と青桐はつぶやくと、いきなり体を痙攣させて首を垂れた。
「……」
「……」
顔を見合わせる冬峰と春奈。
「青桐さん、どうした」
「青桐さん、しっかりして」
「……私、天に召されていいです」
白目を剥いて譫言をつぶやく青桐を見下ろして、冬峰は内心、これで良かったのだろうかと、今更ながら首を傾げるのであった。




