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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
四章 黒衣の魔紳士
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四章 黒衣の魔紳士(4)

                   3


 翌朝、千秋(ちあき)は一年振りに自宅の(おのれ)の部屋で目を覚ました。

 たった一年しか経っていないのに自分の部屋という気がしない。

 ベッドから身を起こす。

 シーツと毛布も昨夜、時春(ときはる)の用意した泊り客用のものだ。

 ベッドのかたわらの本棚には一冊も書物は置かれておらず空虚な空間を広げている。またベッドの頭側にある衣装箪笥(ダンス)も空っぽだ。

 それもそうだろう。この部屋の主は一年前にこの部屋を出て、二度と戻る気は無かったのだ。

 千秋は癖のある髪を掻き上げて忌々しそうに室内を見回す。

 この部屋に愛着など無い。今の住まいである古ぼけたアパートの部屋の方がまだ愛着もあり過ごしやすく感じる。

 ドアのノック音。そういえば一年前までは午前六時半きっかりに時春が起こしに来てくれた事を思い出した。

「どうぞ」

「失礼します」

 黒の三つ揃い姿の老人は、左手に大ぶりの網籠(あみかご)を下げて(うやうや)しく一礼した。

「お召し物をお持ちしました」

「有り難う」

 網籠には襟に青いリボンの映える純白のワンピースと靴下、下着が用意されていた。

「……」

 ひと目で高級品と解ってしまう。

「時春、昨日私が来ていたTシャツとデニムスカートはもう洗濯しちゃった?」

「はい、先程部下が洗濯機に放り込んでおりましたが、何か」

「えっと、私はもう少しラフな服装が好きなんだけど。何かない」

「ラフ、ですか」

 時春は腕組みをして、うーむと考え込んだ。

 しばらくすると名案が浮かんだとでもいうのか、口元に笑みを浮かべて一礼する。

「千秋様の中学時代の体操服が御座います」

「ラフ過ぎるでしょ!」

 千秋はそれを着た自分の姿を思い浮かべて頭痛をおぼえた。

 すくなくとも、ある特定の部位に関しては二回り程成長しており、人前に出れる格好ではなくなってしまう。

「そうですな。申し訳ありませんが用意したものをお召しになって頂けませんか」

「解ったわよ」

 ため息を吐いて千秋はワンピースを手に取った。これではまるで良家のお嬢様ではないか。

「待って」

 退室しようとする時春を、千秋はある疑念が浮かんだので呼び止めた。

「時春、もしかして中学時代のスクール水着も」

「もちろん保管しておりますが。それが、何か?」

「捨てなさい、今日中に!」

 着替えて朝食を終えた千秋は母親である冴夏の部屋を訪ねた。間をおいて二度ノックをすると重厚な分厚いドアの向こうから「入りなさい」と許可が下りる。


「おはよう、母さん。ちょっと聞きたいことがあるの」

 母の冴夏(さえか)は手元の書類に目を落としたまま、娘の言葉にも関心がなさそうに「何かしら」と先を(うなが)した。

「……」

 千秋はぐっと苛立ちをこらえソファに腰掛ける。

「お母さん、私はこれから先、どうなるの。日本には帰って来られるの?」

 今の千秋の境遇を考えれば、母親に対して詰問(きつもん)するような口調になるのも仕方ないだろう。

 冴夏は書類から顔を上げ千秋を見つめた。その眼は娘に対して向ける視線では無く、教師が出来の悪い生徒に向ける視線の様な気がして千秋は身震いした。

「訊かないと解らないの。昨日の説明では不足したかしら」

「解りませんね。私はまだ高校生ですから」

 千秋の返答に冴夏は溜息を持って答えた。

「本家の春奈を差し出すわけにはいかないでしょう。それに貴方がソロモン機関と共にいれば、私達は戦力を分散させずに本家の警護に専念出来る。それにソロモン機関が私達の能力に探りを入れたとしても貴女なら、どう調べようとそれが解る事は無いというのが【高天原(たかまがはら)】の見解よ」

 千秋は太腿(ふともも)の上に置いた手をぐっと握り締める。

 甘かった。母に肉親の情を期待するのは間違っていた。嘘でもいいから帰れるように努力すると言って欲しかった。

「私には守るに値する価値も無い? 母親の言葉とは思えないんですけど」

「都合のいい時だけ母親を頼らないで。あなたはこの家から出て行こうとしてたのよ」

 千秋はソファーから腰を上げてドアに向かった。もうこの母親だった人とは話すことは無い。

「千秋」

 冴夏が千秋の背に声を掛けた。

 千秋は振り返らず、ドアノブに手を掛けたまま立ち止まる。

「冬峰から帝都まであなたに同行したいとお願いされたけど、冬峰(ふゆみね)はこのまま本家の警護につかせます。昨日、本家を襲ったものと同等の敵が襲って来る可能性は無視出来ません。あなたには朱羅木しゅらき青桐あおきりの他、数名の護衛をつけるようにするわ」

「お母さん!」

 振り返って千秋はドアにもたれ掛かった。脱力感に苛まれて床に崩れ落ちそうになるのを(かろ)うじてこらえる。

 何故、何もかも私から取り上げるのだと叫びたかった。

「お母さん、お願い。せめて帝都まででいいから、友達と一緒にいさせてよ」

 うつむいたまま力無く懇願(こんがん)する我が()を憐れんだのか、冴夏は視線を()らして言葉を続けた。

「私の決定じゃないわ。それも【高天原】の指示。それに冬峰と親しくするのは止めなさい」

「何故」

「あの子は御門家の備品よ、人間じゃないわ。武器であり道具よ」

 千秋は額に手を当てて立ちくらみをこらえた。

 彼もなのだ。冬峰も私と同じで御門家にとって人間ではないのだ。

(ひど)い。人を何だと思っているの。御門家が何よ! 【高天原】が何よ! 私と冬峰はあなたたちの為に喜んで犠牲になれって言うの」

「そうよ」

 間髪入れず冴夏は返答した。その瞳は揺ぎ無く千秋を映している。

「私達御門家は、皇家(すめらぎけ)の為に門を開き、手力(てぢから)を下ろし託宣(たくせん)を行う役目があるの。一個人の幸せを追い求めている暇など無いのよ」

 その時、応接間の中央に置かれた豪奢(ごうしゃ)な木製のテーブルの上で、携帯電話が振動し始めた。着信したらしく表見のディスプレイが【春奈】と表示する。

「春奈、何かあったの?」

 冴夏は携帯電話を耳に当ててしばらく黙っていたが、急に眉をひそめ携帯電話の向こうにいる(あるじ)に不信感に満ちた問い掛けをした。

「よろしいので? 本家の警護が(おろそ)かになってしまいますが」

 冴夏は眉間に指を当て沈黙していたが「解りました」と返答すると携帯電話を閉じた。ひとつため息を吐いてから千秋に背を向ける。

「千秋。冬峰の同行が許されたわ。これでいいでしょう」

「え」

「解ったら出て行って。私は忙しいの」

「う、うん」

 千秋は応接間を出て後ろ手にドアを閉じた。

 おそらく春奈が冬峰の同行をお願いしたのだろう。しかし、冬峰はどうやって春奈に同行を許してもらったのだろう。

 そして、千秋の胸中にはまだ不安があった。

「何故、お母さん達は冬峰を危険視するの?」

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