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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
四章 黒衣の魔紳士
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四章 黒衣の魔紳士(3)

                    2


 千秋(ちあき)は裏庭のベンチに腰掛け、ただに星空を見上げていた。

 不思議な事に、今自分自身の境遇に対してもう少し(いきどお)りを感じるかと思っていたが、意外にも自分の中は平静さを保っていた。

 いや、全てを(あきら)めて考えるのを止めていた。

 固いブーツの足音が耳に響く。

 それは我が家を警備する御門(みかど)家の者以外にこの屋敷を【K】の組織から守るために配置されたソロモン機関の兵士の履く編み上げブーツの足音であり、千秋はその兵士達が自分の監視が目的である事を悟っていた。

「ふう」

 千秋は何度目かの溜息を吐いた。

 昔、溜息を吐くと幸せが逃げていくと誰かに聞いたことがあったのだが、元からそんなモノが無かったのだから、気にせずいくらでも吐けるものである。

 ほんの一時間前、御門家頭首代行であり実の母親でもある御門冴夏(さえか)に呼び出された春奈(はるな)と千秋、そしてソロモン機関代行者であるフレアの三人は、一昨日の晩に千秋と冬峰(ふゆみね)が通された応接間でソロモン機関の要求に対する御門家の決定を冴夏から告げられた。


 御門家はソロモン機関の要求通り、御門千秋を引き渡す。


 母親である冴夏から告げられた時も、千秋の胸中は波打つことは無かった。すでに予想していたからだ。

 御門家を預かる母が己の娘の為に(すめらぎ)家の決定事項を反故(ほご)することは千秋には考えられなかった。

 それからは千秋は何もかも面倒臭くなり、春奈が冴夏に何か意見していたようだがもうどうでもよく、そのまま応接間を出て裏庭へ足を運びベンチに腰掛けたまま数時間が経過している。

 千秋はただ休みたかった。

 何もかも忘れてこのままベンチに腰掛けたまま何も考えずに過ごせればいい。ただ、それだけを願う。

 柔らかい土を踏みしめる足音に気付き、千秋は意識を外界へ向ける。

 そこには何時もの様に面倒臭そうに猫背で歩いて来る従弟(いとこ)の姿があった。小脇には灰色の紙袋が抱えられており乾いた音を立てる。

「……」

 冬峰は何も語らず、千秋から一人分の隙間を開けてベンチに腰掛けた。

 冬峰が肩に掛けた図面を入れる円筒状のハードケースの中身が固い音を立てたので、おそらく長脇差(ながわきざし)を入れてるからだと千秋は推測した。

 しかし、彼女がソロモン機関に引き渡される以上、ソロモン機関が彼女を警護する事となり、冬峰の役目は終わりを迎えるはずだった。それなのに、なぜ武器を携行しているのだろう。

 冬峰もベンチの背もたれにもたれ掛かり、ただぼんやりと星空を眺めていた。

 何か物思いにふけっている様で、その実、何も考えていない。そんな従弟(いとこ)を横目でうかがいながらこの少年について何も知らなかった事に気がついた。

 一つ下の従弟で同じ高校に通い、アルバイト先も一緒である。アルバイト中に会話することは殆ど無く、挨拶と客の注文を伝える事だけの日も多い。お互い人と係わることを面倒臭がる性質なのも会話の少ない要因のひとつであろう。

 それがこの異常な事件に巻き込まれて彼が警護についてから、今まで見えていなかった一面を見る事となった。

 それは御門家に仕える特殊な技術に秀でた者達に負けず劣らず、いや、それ以上に冬峰が異常な何かを身に付けている事。そして、それにもかかわらず飄々(ひょうひょう)とした仕草を崩さない事。そのアンバランスさが千秋にはどこか歪な危うさを持っているように感じられるのだ。

「マスターがさっさと帰って来いってさ」

「え、え」

 不意に口を開いた冬峰に、自分が様子をうかがっていたことに気づかれたのかと千秋は慌てて目を逸らした為に、冬峰の言葉を聞き逃した。

「ごめん、ぼっとしてた。何?」

「……マスターにしばらく店に出れない事を伝えたんだ。いつから顔を出せるか解らない。そう正直に伝えた。」

「そう……」

 あの金勘定と接客の下手なマスターは私がいなくとも店をやっていけるのだろうか。

 私がアルバイトを始めた頃の様に、店には出るものの開店中の札も出さずジャズを流しながら眠ってはいないだろうか。

 千秋はいつも不機嫌そうなマスターを思い浮かべ、既に懐かしいとさえ思えるようになった心境の変化に寂しさを感じる。

「じゃあ、新しいバイトを雇うのが面倒臭いから待ってるって。店が潰れない内にさっさと帰って来いって。全く、何てマスターだ」

 冬峰は苦笑しながら、千秋の膝上に抱えていた紙袋を置いた。それは微かに温かかった。

「マスターとっておきの蒸し鶏と温野菜のホットサンド。あとほうじ茶ラテ。帰ってきたら作ってもらうから味を覚えておくようにとの伝言付き」

 千秋は震える手で紙袋を開く。

 そこには蒸した南瓜とアスパラ、エンリギ、パブリカと蒸し鶏を合わせてクリームソースで和えた茶色のパン生地で挟まれたサンドイッチと蓋のついたデリバリー用の紙コップが入っていた。

「……」

 確かアルバイト先の〈ラ・ベルダ〉はデリバリーは受けつけて無いはず。

 あの冬峰に負けず劣らず面倒臭がりなマスターが用意したのだろうか。それとも隣の面倒臭がり二号があらかじめ用意したのだろうか。

 ホットサンドを口にする。蒸した野菜の甘さとホワイトクリームが上手く調和している。全粒粉のパンの甘さは普段口にする小麦粉のものとは異なり具材の良さを引き立てるのに一役買っていた。

「美味しい」

「ふうん」

「……」

 隣の冬峰は興味もなさそうな返答をする。

 美味しくて当然だと思っているのであろうか。

 千秋はほうじ茶ラテを口にしてからうつむいた。

 ホットサンドに口をつけようとすると唇を割って嗚咽(おえつ)が漏れそうだった。流れる涙は既に紙袋の縁を濡らし色を変えさせている。

 温かかった。ホットサンドも、マスターも、隣に腰掛ける従弟も。今までの日常の残滓が温かくて、先程まで凍っていた自分の心を温めているのが哀しかった。


 それを失ってしまう事が悲しくて、どうしようもなかった。


 隣の従姉が嗚咽を漏らすのを、冬峰は宙に目を向けたまま聴き続けた。

 少女の閉ざされようとする未来への憤りも、己の役目が終わろうとする安堵もその眼には浮かばせず、ただ宙を眺めている。

 しばらくして千秋の嗚咽が収まりしゃくりあげる程度になってから冬峰は口を開いた。

「千秋と会ったのがこの裏庭だった。覚えているか?」

 千秋は鼻をすすりあげながら記憶を探った。おぼろげながら覚えている。

 包帯を額に巻き、腕を吊った冬峰が独り、裏庭のベンチに腰掛けている。

 その姿は全ての物を拒絶しているような雰囲気をまとっている。今の茫洋とした雰囲気を持った少年とは同一人物とは思えなかった。

 ただ、彼と何を話したのか。それは思い出せなかった。

 千秋は静かに首を振った。

 冬峰は苦笑して、そうか、とつぶやくと再び夜空を見上げる。

「帝都まで千秋に同行出来る様に、冴夏伯母さんに頼んだ」

 何の気負いも無く世間話をするように口にした冬峰の横顔を千秋は見つめた。

「……冬峰」

「刺身のつま程度の護衛だけど、まあ我慢して付き合ってくれると助かる」

 千秋は顔を伏せ首を振った。

 さっき止まろうとしていた涙がまた流れようとしている。止めることが出来ず、ただただ流れる。

「俺はここで千秋に救われた。でも俺が千秋に返せるのはこの程度なんだ」

 冬峰の声は淡々としていつもと変わりがない。そして、その表情も茫洋としたものだ。だが千秋にはそれが無理矢理湧き上がる何かを抑え込んで耐えている。そう感じられた。

「待っててくれ。必ず、千秋を取り戻す」

 少年はこの夜に誓ったのだろう。

「……待ってる」

 千秋は泣いた。

 この不器用で茫洋とした希望の存在が嬉しくて、そして温かくて気が済むまで泣き続けた。

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