三章 死の旋風(10)
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円形の座テーブルの上に置かれた大きな鍋の中は乳白色のスープが渦巻いており、色とりどりの野菜や肉が浮き沈みしていた。
「肉だけでなく野菜も大量に手に入ったので豆乳シチューにチャレンジしました」
黒色のエプロンを身に着けた冬峰は、鍋の中身を珍しそうに覗き込む千秋を、いつもの眠そうな表情だが何かまぶしいものを見るように目を細めて料理の説明を始めた。
「豆乳の温めたときに出てくる独特の臭みは、ワカメの出汁で甘味を出すことにより気にならないように仕上げています。ちなみに今日の買い物と料理は本日からお泊りの千秋嬢に手伝っていただきました」
春奈達本家三姉妹から拍手が起こり、千秋は何時もの様に仏頂面だがかすかに頬を赤らめて一礼した。
照れてくれると更に可愛げも増すのだが、そうならないのが千秋らしいといえば千秋らしい。
「それでは本日の主賓から一言」
春奈がお玉をマイクに見立てて千秋の口元に突き出してくるのを、じろり、と眺め千秋は口を開いた。
「今日から不本意ながら、しばらくの間、本家でお世話になります」
それだけ言うと、一礼して口をつぐんで器を手にする。
さすがに千秋も少し失礼だったかと対面の春奈とその隣に腰掛けた冬峰に目をやったが、二人とも気にした様子も無く、春奈に至ってはにこにこと微笑みすら浮かべてこちらを見つめている。
「……」
鈍感なのか、それともこちらの事を歯牙にも掛けていないのか、千秋は春奈の余裕ともいえる態度に何と無く敗北感を覚えてしまうのだ。
「……怒らないんですか」
器を両手に持ったままつぶやいた千秋の声は春奈には聞き取り難かったらしく、「えっと、何でしょうか」と笑顔のまま顔を近づける。
それがますます千秋を苛立たせた。自分でも止める事の出来ない激情が口を吐く。
「あなたは不快に思わないんですか。私はここになんか来たくは無かったと言ってるんですよ。あなた達と一緒にいるのは不愉快だって、解っていますか!」
千秋は相手を傷つける言葉を吐きながら涙を流した。
みっともない、私らしくは無い、格好悪い。
そんな言葉が頭の中を駆け巡り混乱する。抱えていた器を手放し両眼から零れ落ちる涙を掌で拭う。
そんな彼女を夏憐は同じく泣き出しそうになるのを堪えるように口を一文字に結んで見つめ、紅葉はどうしよう、と姉と従兄の顔を見回した。
そして春奈はいつも浮かべている微笑を消し、真剣な表情で千秋のうつむいた顔に手を伸ばす。
その指先が頬に触れたとき千秋は叩かれると思ったのか目をつむり身を硬くしたが、その手が頬から頭頂に移り優しくなでるのに驚き目を丸くした。
「私は千秋さんが好きですから。千秋さんがずっとここに居てくれたらいいなと思ってます。紅葉や夏憐も千秋さんのことが好きなんですよ」
春奈は小さくふふっと笑みを漏らすと、千秋のやや癖のあるショートカットの黒髪を優しく掻き回した。
「千秋さんが御門家から離れて、今まで独りで頑張ってきた事はすごく偉いことと思います。私には出来ない事です。ここに来ることでその頑張りが無駄になるように思っているのでしょう。だったら、今、この間は少し長いお休みと思ってくつろいで頂けませんか」
春奈の声は只優しく慈愛に満ちていた。彼女は本当に千秋の身を案じて、このような提案をしているのだろう。それは間違いない。
千秋は涙を指先で拭い続ける。何故、自分が泣いているのかが解らない。憤りなのか、悲しみなのか解らない。
解らないが確信した。
「やはり、この女性と私は相容れない」と。
気まずくなった空気を払拭するかの様に、くぐもった間抜けな音が紅葉の腹からした。どうやら空腹の限界点を迎えたらしい。
「冷めない内に早く食べた方がいいと思うよ」
上目遣いに様子を伺うようにシチュー皿を差し出す育ち盛りの三女から冬峰は苦笑を浮かべて皿を受け取った。
「そうだな、食べよう」
「食べましょう」
ずいっと、次は私の皿に入れろと言うかの様に差し出す長女の様子が可笑しかったのか、夏憐が口を押さえて吹き出すのをこらえる。
「ほい、千秋も」
差し出された冬峰の手に千秋が器を乗せると、冬峰はお玉で二度、鍋の豆乳シチューを注いで千秋に差し出す。
千秋は湯気の立つ豆乳シチューの入った器を受け取り、木のスプーンで白色の中身をすくい取り口に運んだ。
暖かく美味しかった。
豆乳独特の豆臭さが具として入れられたサツマイモと若布の出汁の甘味によって抑えられ、肉も焼く前にすり込まれた生姜が全体的に甘めのシチューの中でまた別の旨みを引き出している。
「千秋お姉ちゃん、これ、美味しいよ」
夏憐が差し出した皿にはパンが数個乗っかっており、普通のパンよりやや黒ずんでいる。千秋は食べやすいように厚さ二センチ程度に切られたうちの、外側の一枚を摘み口に運ぶ。これも美味しい。
「うん、美味しい。ライ麦パン?」
千秋を見上げて夏憐は満足そうに微笑んだ。
「フユお兄ちゃんと私で作ったの。ライ麦と小麦粉を同じ分量で焼いているんだよ」
「……」
面倒臭がりなのか、それとも意外とマメなのかよく解らない人間だなと千秋は思いつつ冬峰を見ると、両手にシチュー皿を持って居間を出て行くところだった。
「冬峰、どこへ?」
「春奈さんが外の青桐と朱羅木におすそ分けしてあげてって。見張ってくれているのに何のお礼も無いってのも可哀想でしょ」
千秋は席を立ち、冬峰の左手からシチュー皿をひょいと取り上げ、ウエイトレスのように自分の掌の上に乗せた。
アルバイトをしているだけあって歩き出しても掌の上に載せられたれたシチュー皿の中身は跳ねる事無く収まっている。
「私が青桐さんに持っていくから、冬峰は朱羅木さんの分をお願い」
「いいのか。」
「守ってもらうんだから、これくらいはやらないと」
冬峰は真剣な面持ちで千秋を見つめていたが、諦めたかのように肩をすくめた。
「青桐は中庭にいるよ。けどあまり気負わない方がいい」
「そうね」
千秋は春奈達と顔をつき合わせて食事をするのが恥ずかしいのだ。
何故、あんな事を口走ったのか、またあんな事を口走った自分に笑顔を向けて来た彼女達にどう応えれば良いのか解らなかった。




