三章 死の旋風(6)
3
「しかし、休校なのはいいが」
「アルバイトも禁止されてるしね。丸々一日開いているってのに」
千秋は御門本家の応接間で冬峰の淹れた珈琲に口を付けてから眉をひそめた。フレンチローストで焙煎された豆は少し苦かったらしい。この珈琲は、冬峰と千秋のアルバイト先である【ラ・ベルラ】でもメニューに加えられている。
高校から御門本家に帰宅した二人は、郵送されてきた千秋の着替え等を今は使われていない次女の雪乃の部屋に運び込んだ。状況が落ち着くまで此処が千秋の部屋となる。
「休校も一日ならいいけど、あの様子じゃあね」
胸元にイギリス国旗が大きくプリントされた長袖のシャツにデニムのスカートに着替えた千秋は空になった珈琲カップを両手びながら、その原因の共犯者を横目で意味ありげに見つめた。
冬峰は帰宅後、黒のカッターシャツに同じく黒のスラックスといった服装に着替えている。
腰の後ろにさげられたウエストポーチには折りたたみ式のナイフが二本収まっているのは、【K】の残党を警戒しているのだろうか。
「まあ、結果オーライってことで。やってしまったことは仕方が無いし」
冬峰はしばらく新聞に挟まれていた広告を眺めた後、「むむ、すき焼き用牛の切り落とし肉が安い」と呟いて千秋を見た。
「何よ?」
「いや、駅前迄出るのはお勧め出来ないけど、近くの商店街ならいいんじゃないかなって」
「ずいぶんいい加減ね。本音は?」
「今から出ると九時半のセールに間に合うんだ。お一人様三百グラム二パック限りが四パックになる。こんなお得を逃す手は無い」
千秋は呆れたように冬峰を見た。
確かに下宿生活を送っている千秋にとって格安牛四パックは確かに魅力的だが、ここ本家は確か「お金持ち」と呼ばれるに相応しい資産を持っているのではなかったのか。
商店街のその他の店のチラシを物色し始めた冬峰にそう訊ねると、冬峰はうーんと腕組みをして苦笑いを浮かべた。
「まあ、住まわせて貰っているから、食費だけは自分でまかなおうと思ってるんだ」
「へえ、殊勝な心がけで。母から生活費が渡されてるんでしょ、甘えればいいのに」
「甘えるのは苦手だよ。それに今日は千秋が泊まってくるんだから、何か特別に奮発したくてね」
「え」
千秋は意外な言葉を聞いたとでも言うように目を丸くして冬峰を見返した。この従弟殿は面倒臭がりで無愛想なのでこの様な言葉が口をつくとは、千秋には予想出来なかった。
本家に暮らし始めてから、冬峰は少しずつ年相応の反応を見せるようになっている。
千秋にはそれが良いことなのか、悪いことなのか良く分からなかったが、少なからず冬峰に影響を与えている春奈の存在に対し、何か割り切れないものを感じるのであった。
冬峰と千秋は御門本家から一番近い天門二丁目のバス停から駅前広場行のバスに乗り、約十分後商店街の中心に設けられた「天門商店街バス停」で下車する。
この商店街は駅前のデパートやショッピングモールほど店数は多くないが、昔からこの地域に根を下ろしている、いわゆる老舗が軒を連ねており、立ち並ぶ日本家屋は旅篭町のような錯覚を、始めてこの場所を訪れた者に与える。
冬峰達が足を運んだのは、入口に掛かった看板が達筆で【モーモーミート】と書かれた古めかしい日本家屋だった。
引き戸を開けてのれんを潜ると、入口近くのガラスケースに並べられた多種多様の肉と鉄板を中央に誂えた六人掛けのテーブルが六つ目に入った。ガラスケースの前には買い物途中の女性客が数人並んでいるだけでテーブルには誰も腰掛けていない。
この【モーモーミート】は購入した肉をその場で焼いて食べられる肉屋で、先に少量を購入し店内で味見をした後、必要な分量を買って帰るのがこの店の上手な利用法である。
また午後三時までだと特製のミートコロッケが販売されており、ガイドブックに載るほどの人気を誇っていた。
「あらまあ、フユ君と千秋ちゃんじゃない。朝早くから今日はどうしたの?」
ガラスケースの向こうからやや小太りの女性が顔を出し破顔した。
ひよこの大きく描かれた黄色いエプロンと髪を覆う同色の三角巾がトレードマークのこの女性は【モーモーミート】を切り盛りする女店主で、結婚し一度は家を出たものの脱サラした亭主と共に戻って来て年を取った両親を手伝っている。
何時も笑顔を絶やさず誰とでも話しかける屈託の無さから商店街の中でも一、二を争う人気店となっていた。
「今日は休校」
冬峰の返事に対して、本当? と千秋に尋ねる女主人に、千秋は本当です、とうなずいて保障した。どうやら冬峰はあまり信用されていないらしい。
「冬峰が特売目当てで誘ってきたんです。お一人様二パック限りが四パック買えるって」
そうそうと頷く冬峰へ肉屋の女主人はへえ、と意外そうに目を丸くした。
「珍しいじゃない。春名ちゃんのところ、あまり肉食わないじゃない」
「まあね、体重を気にする年頃の娘と小学生が二人だからね」
長女の春奈は近頃体重を気にしている。
冬峰はそれ程肉は好きではない為、量より質を優先する。
時々ハンバーグ等の肉料理を出すと春奈はじっと皿の上を眺め、「平均体重まであといくつ……」と呟き暗い表情をしているが、結局食べ過ぎてしまい風呂場前の洗面所から悲鳴とも溜息とも聞き取れる奇妙な声を上げるのであった。
「今日は特別でね。お客さんが来るからすき焼きパーティーでも開こうと思って」
「お客さんねぇ。本家は色々忙しいのかい。誰よ?」
女主人の問い掛けに冬峰は千秋の方を向いて「この子」とつぶやいた。
女主人と目が合い千秋は何故か顔を赤らめる。
「千秋ちゃん、やっぱり一人暮らしは大変?」
千秋は右掌を胸前で振って、女主人の心配を否定した。顔を赤らめ慌てて手を振る姿が学校でのどこか醒めた表情と異なり、年相応の少女に見せている。
「違います。母が最近街で物騒な事が多いから本家に下宿しなさいって。そこなら冬峰もいるから大丈夫と勧められたんです」
「あはは、頼りになるのフユ君?」
可笑しそうに笑って冬峰に肉のパックを入れたビニール袋を渡す女主人に、冬峰は面倒臭そうに「うーん、自信が無いなぁ」と洩らして千秋に睨まれてしまった。誰が見ても頼りになるとは思えない少年だった。
「?」
首を傾げ肉の入ったビニール袋の中身を覗き込む冬峰に、千秋は同じ様に袋の中を覗き込み「一パック多くないですか」と女主人に訊ねた。
女主人は二人を微笑ましそうに眺めて目を細める。
「今日は特別でしょ。だから四パック分の代金でいいわよ」
「ええ! 悪いですよ。ただでさえ安いのに」
千秋は一先ず遠慮をする。
「それはどうも」
こちらは冬峰。遠慮も何もしていない。
冬峰は四パック分の肉の代金を女主人に払い店を後にした。店先で肉の重さを測るかの様に、肉の入ったビニール袋を上下させる。
「もうけた」
さほど嬉しそうな素振りも見せずつぶやく冬峰を、千秋は呆れたように眺め「次はどこに行くの?」と訊ねた。
「八百屋。あそこの店主は春奈さんと買い物に行くと、よくサービスしてくれるんだ。ひょっとしたら千秋と会うのが久し振りだったら、たっぷりサービスしてくれるかも」
「そうそう都合よくいけばいいけど」




