二章 学園闘争曲(15)
また冬峰は手足をばたつかせ泳ぐような素振りを見せているが水槽の中央から移動出来ず、手足を動かすと少しの間空間が出来上がることから、この水槽の中の水はゼリー状に変化しており、その質量で冬峰を押さえつけ身体の自由を奪っているのだろう。
口と鼻も塞がれて呼吸出来なくなったのか、どんどん動きが鈍くなる冬峰を石仮面はその触腕を振るうでもなくじっと観察していた。
続け様に低く太い銃声が廊下に響き、その水槽の表面に三個の穴が開けられたが、弾頭は一センチ程食い込んだ状態で停止する。
フェランはさらに石仮面の背中に向け、右手のコルト四十五口径を弾切れになるまで撃ち込んだ。
一九八〇年代まで米軍に採用されいまだに愛用者の多い軍用自動拳銃だが、散弾銃と比較すると威力不足なのは否定しようが無く、石仮面はわずかに身体を振るわせただけでフェランへ見向きもしなかった。
水槽の中の冬峰はどうやら呼吸出来なくなったらしく、微動だにしなくなり長脇差も手から離れ冬峰の眼前の浮かんでいる。
石仮面はうつむいて見えない冬峰の表情を確かめる心算か、水槽の縁まで歩み寄り宙に浮いた状態の冬峰の顔を覗き込んだ。既に冬峰が水槽の中に閉じ込められてから五分程度経過しており、普通なら窒息している。
石仮面の泣き笑いの仮面が、邪悪な笑みを浮かべている。フェランにはそう見えた。
実際、石仮面は仮面の奥で勝利の笑みを浮かべていたのだ。
本来なら水の立方体に閉じ込められた瞬間に、深海同様の水圧がかかり口から内臓を吐き出して圧死しているはずだが、冬峰は呼吸困難による溺死となった。
その結果に石仮面の脳裏にはわずかな疑念が浮かんだが、この水の牢獄の中で邪魔者が果てることに変わりはなかったと思い直した。
だから、有り得なかったのだ。
冬峰の両目が開かれ、その両手が刀の柄を掴むとは。
打ち下ろしの一閃。水槽は結合力を失ったかのように弾け廊下に飛び散った。
石仮面がその右手を振り上げるのはほぼ同時。しかし振り下ろした場所に冬峰の姿は無く、石仮面は上を向いた。
冬峰はいかなる体術を駆使したのか、背筋を空中でのけ反らせてから海老が跳躍するように前屈させる。
彼の身体は反動で背後の壁へ飛び、更に三角跳びのようにそこから天井に蹴り上がった。
冬峰が低く宣告する。
「その首、もらうよ」
石仮面は天井を蹴って逆しまに落ちてくる冬峰を見てどう思ったのか、触腕を振り上げようとしたとき落下の勢いを付けた一撃が銀光となり石仮面の首筋を通り抜けた。
濡れた雑巾を勢い良く叩きつける音がする。
冬峰は斬り付けた体勢のまま濡れた廊下を滑り込み、張り出した廊下の柱にぶつかって低く呻いた。直ぐ片膝をついて起き上がり、切先を石仮面に向ける。
石仮面はしばらく立ち尽くしていたが、ぐるりと不意に背後を向いた。首から上のみが百八十度真後ろへ向いたのである。
石仮面が一歩後ずさると同時に、いやこの場合前進すると表現すべきか、破れたビニールホースから水が噴き出すような音を立てて首の全周から血が噴出し緑色の襟巻きを形作った。そのまま足を滑らしバランスを崩して倒れ込む。
倒れながら胴体から離れた首は冬峰の足下まで転がり、足首にぶつかると頭と仮面に分かれた。その顔は鱗に覆われ左目は銀色の瞳をしており、唇は左側のみが耳まで裂けた異相をしている。
「滅ぼせた、のか」
フェランが確かめるように訊いたのは、その首が魚の腐ったような匂いをたてながら、緑色の粘液と半ば化してからだった。胴体も同様に溶解しているらしく、黒いコートの膨らみが低くなってきている。
冬峰はフェランの質問に答える風も無く、左手で胸を押さえて荒い息を吐いていた。
「お、おい、大丈夫か?」
傍らに駆け寄ったフェランの顔を見上げた冬峰は、不思議そうにフェランの顔を見つめてから、頭を振って、「ああ、おっさんか、そうだった」とつぶやいてよいしょっと億劫そうに立ち上がる。
冬峰は廊下の端に落ちた長脇差の鞘を拾い上げて刀身を収めると、ん~と腰を伸ばす。
「帰ろうか」
「あ、ああ」
今しがた死闘を繰り広げてきた様子も無く飄々とした冬峰の雰囲気に、フェランは頷きながらも戦慄を覚えざるを得なかった。
不死と呼ばれる、またそうであり続けてきた代行者を殺せる人間。
この者は味方であり続けるのか。
なぜ彼は不死者を殺せるのか。
そんな考えが頭の中を駆け巡るのだ。
そして、こう思った。
この少年は殺し馴れている、と。
冬峰は携帯を取り出し校舎の四階で待つ千秋を呼び出し一言二言話した後、身を屈めて主を失った石仮面を拾い上げた。
「この石仮面、いくらで売れるかな?」
「いや、持っていると呪われそうな気がする」
「そう? まあ持って帰って冴夏叔母さんに調べてもらおう」




