二章 学園闘争曲(14)
石仮面も本来なら人間相手に、しかも【魔術師】でも【守護者】でもない者にこの召還術を用いて相対する事は、己の生きていた長い年月の中でさえ無い事であった。
この術は、己の主たる【大いなるK】と肩を並べる存在である【名状しがたきもの】の代行者、【黄衣の王】との戦いにのみ使われており、彼の切り札であるといってもいい。
しかし、この目の前の刀使いは彼の肉体を損傷してのけた。
いったいどの様な秘技秘術を使いこの胸の傷を付けたのか、その疑問を確かめるように石仮面は冬峰を見返し、あることに気づいた。
この者は恐怖していない。
冬峰は五匹の【落とし子】を前に表情ひとつ変えず刀を構えている。
普通の人間なら、【大いなるK】の眷属から放たれる「気」を浴びるだけで精神障害を起こし、混乱、悪くすれば発狂死する事もある。
だがこの少年は違う。石仮面には冬峰が人の外見をした人形のような得体の知れない存在に思え、逆に恐怖を覚えた。
それを隠すかのように冬峰を指差し五匹の異形に指示を下す。
五匹の【落し子】が冬峰に迫るより早く、彼は中央にいる一匹の前に滑り寄った。
どの様な運足法を用いているのか、水飛沫はわずかにしか上がらず膝下まで水に使っているのに先程の間合いを詰めるスピードと変化は無く、あっさりと異形の懐に潜り込む。
その一匹は大きく口を開け、口の周囲に生えた蛸の触腕のようなものを伸ばし冬峰を捉えようとする。巻き込んで引き付けようとしたのだろうが、刀の一閃が振るわれまとめて切断された。
冬峰はその左脇を通り抜けざま水平に長脇差を振るって胴に斬り付け、更に振り返り右胴にも一閃する。
そのまま背中を向けた別の一匹に近寄り、バックハンドに振るわれた鍵爪を僅かに仰け反ってかわす。
肘から先を下から掬い上げる様に切り落とし、頭上で刀身を反転させ振り下ろした。
頭の中程まで割られた異形は生命力が強いのか、無事な左腕を横薙ぎに払うが、それも切り落とされ袈裟懸けに胴体を斬られ動きを止めた。
フェランにとって、それは始めて見る光景であった。銃や爆薬、また【名状しがたきもの】の僕であるロイガーの竜巻に引き裂かれても再生する【落し子】が唯一本の刀で倒されていく。ここまであっさり片付けられると、質の悪いコメディにしか思えなかった。
冬峰は四匹目の右腕を切り落としてから反転して五匹目と相対した。繰り出される触腕と鉤爪の攻撃を左足を後ろに引き半身になってかわし、縦横に斬り付ける。
冬峰は常に足を動かし、相手に攻撃する間を与えない様にして斬撃を繰り返す。
五匹目の動きが止まると同時に、四匹目が残った左手を振り下ろす。
冬峰は頭上に刃を寝かせて鉤爪を防ぐと、身体の向きを半回転させなが剣先を右肩口へ下げて受け流した。返す刃で四匹目の右肩から左脇まで切り下げ、跳ね上げた一撃で頭部を割る。
その動きは天然理心流の【霞剣】等の神道流系剣術に見られ、防御から一瞬にして相手の懐へ入り込み打ち取る刀法だ。
冬峰は振り返り青岸の構えを取って石仮面に向き直る。
その背後で【落し子】達が崩れ落ち、その質量で上がる水飛沫が石仮面の目から冬峰の姿を覆い隠す。
石仮面の足下まで達した跳ね上がりは、石仮面の眼前に水のカーテンを作り上げた。
カーテンの幕から刀の切っ先が覗く。
石仮面の視界に入ったのは己の左肩へ走る、飛沫すら両断するような縦一文字の漸光だ。
まさか、水飛沫で視界の閉ざされたその一瞬の間に冬峰が距離を詰め、驚き仰け反った己の左腕を切り落とすとは石仮面には予想すら出来なかった。
「ぐおああああ」
石仮面は切り落とされた左肩の傷口を押さえ背後へ跳び、冬峰を睨み付けた。
こんな筈では無かった。【落とし子】すら殺すどころか滅ぼしてしまう人間と、彼は初めて出会ったのだ。
こんな東洋の島国で【ソロモン機関】や【聖堂騎士団】以外の【K】に対抗する組織があるとは聞いた事が無く、この島国特有の呪法【呪禁道】や【仙道】とも相見えたことがあったが何れも彼に痛打を浴びせることは無かった。
【大いなるK】に力と知識を授かったこの身は、何者も滅ぼすことが出来なかったのだ。
なら、この若造の持つ剣は【聖剣】の類か、もしくはこの者自体が聖霊を宿す【救世主】の一人かと思われたが、この者に付けられた傷は浄化による消滅では無く、むしろ生命という炎に氷塊をぶつけた様に、ごっそりと何かを持って行かれた様な脱力感を伴っていた。
そう、この少年自体が「死」そのものだという様に。
冬峰は次の一撃で終らす心算か両足をやや広めに開けて腰を落とし、長脇差の剣先を右脇下に下げた。構えは「右脇構え」や新陰流の「車の構え」に類似している。
石仮面は冬峰の構えに唸り声をあげた。
長脇差の刀身が、冬峰の身体に隠れて見えなくなったのだ。
石仮面にはどのような剣撃が少年から繰り出されるのか予想し難く、質の悪いことに不死たる己の身に傷を負わせることが出来る。
そんな石仮面の焦燥を読み取ったのか、冬峰は膝下まで水に浸かっているにもかかわらず構えを崩さずに石仮面との間合いを滑る様に詰めてきた。
冬峰にとって今の状況はそう珍しいことでもないと知れば、石仮面は驚嘆するであろうか。
冬峰は土曜日の晩にアルバイトから本家に帰ると、木刀を片手に中庭のため池に足を踏み入れて、庭石相手に打ち込みの練習をしている。
ため池の深さは膝程度だが、庭石に打ち込む際の踏み込みが水の抵抗を受けてバランスを崩しそうになるのだ。それに長時間の打ち込みを続けると、水温に熱を奪われ下半身の感覚が失われていく。
冬峰はそのような状態でも太刀筋を崩さないように、正確な打ち込みと足裁きを繰り返して鍛錬しているのだ。
冬峰は石仮面がひるんだ隙に先手を取り、一気に勝負を着ける心算だった。
相手が攻撃を開始する瞬間を捕らえ、右脇から胴を回すようにして最短距離で相手の左こめかみを斬る、兵法二天一流剣術太刀勢法【虎振】。
しかし冬峰が長脇差の間合いに達するより早く石仮面が残った右腕を突き出すと、その右腕が更に伸び冬峰の顔面を襲う。
二人の間隔は約三メートル離れており、その驚異的なリーチに驚きつつ冬峰はしゃがんでその一撃をかわす。しかしそれが空中で軌道を変え振り下ろされて来るのを、辛うじて背後へ跳んでかわした。
右腕が水面を叩き水飛沫を上げる。
いや、それはもう右腕とは呼べまい。石仮面のコートの右袖から冬峰の足下まで延び、水面をうねくり水飛沫を上げているのはどう見ても蛸か烏賊の触腕としか見えず、その触腕の表面には吸盤等という可愛い物ではなく、鋭い突起物が生えていた。
ガアッと掛け声と共に再び石仮面の右手が冬峰を襲う。
鞭の様に猛スピードで振られるそれは、空中で軌道を変えるなど変則的な動きをして冬峰を薙ぎ飛ばそうと迫ってくる。
冬峰が何とかかわしたその一撃が、廊下の壁を抉っていくのを目にしてフェランが驚きの声を上げた。
冬峰も石仮面の懐に潜り込み斬り付けようとするが、石仮面の右手は鞭というより旋廻するプロペラのように素早く肉眼では捉えにくかった。また一旦かわしても、自由自在に角度を変え切り返して来る。右に通り抜けた触腕が下から跳ね上がり、次の瞬間左から襲ってくるといったトリッキーな攻撃が休み無く繰り返されているのだ。
仮に長脇差で旋廻する触腕を捉えられたとしても、先程壁を削り取った威力から鑑みると斬るどころかへし折られるのが関の山だろう。
石仮面の攻撃を後退しつつかわし続けた冬峰は、己の左踵が硬いものにぶつかるのを感じて動きを止めた。壁際に追い詰められ手も足も出ない冬峰に対し、石仮面は勝者の余裕を示すが如く、右手を扇風機のように立てて回しながら一歩一歩ゆっくりと近付いて来る。
じわじわと挽肉にでもするつもりだろうか。
冬峰はしばらく近付いてくる死の使いを眺めていたが、ちらりと左手側、窓のある方向へ視線を走らせた。
屋外に出れば何か反撃の手段があるのではないか、そう考えたのか冬峰は手近な窓へ肩からぶつかるように助走も無しで跳躍した。
あと少しで窓に激突する。その刹那、冬峰の足下から廊下を満たしていた水が吹き上がり冬峰の身体を巻き込んでいった。それはどんな手品を使ったのか、冬峰は突然出現した透明な水槽のような水で出来た立方体に閉じ込められる。
口から、ごぽりと泡を吐いた。
吐かれた気泡はは上へ昇らず口元で潰れていく。




