二章 学園闘争曲(7)
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昼食を終え憔悴しきった冬峰は、1―Cの自分の席に付くなり机の上に突っ伏した。
朝から半魚人に襲われた上、御門家系列の海産物卸売り業を営む親戚が半魚人を見るなり、「喰えるか、こんなもの!」と叫んで一悶着を起こした。
とりあえず死体は回収してもらったがその為に学校の午前の授業を丸々休む羽目になった。
おまけに空腹を抱えて食堂に行くと、半魚人よりも怖い幼馴染の女子高生がにこやかに微笑みながら手招きしている。
「まあ、自業自得だな」
ダウン状態の冬峰を見下ろしながら、もう一人の幼馴染が苦笑する。
「五月蝿い、A定食なんか注文しやがって。昼食に六百円以上掛けるのは犯罪だぞ」
罰として昼食をおごらされた冬峰は、今月の残り日数を数えて暗澹たる気持ちになった。暫くアルバイトの出来ない事が恨めしい。
おまけに遅い登校途中で昨夜見知った顔を幾つか見掛けた。
学校を包囲するように路地裏や門柱の蔭に隠れた彼等は、生徒達の下校時刻が迫ると、誘蛾灯に誘われた昆虫のごとく一斉に校門前に集まってくるに違いない。
朝から色々忙しいから今日のトラブルはここまでで、荒事を始めるつもりなら明日にして欲しいものだ。
「……面倒だよな」
とりあえず五、六時間目は寝て、放課後にどうするか決めようと冬峰は目を閉じた。
少なくとも授業中に何かを仕掛けてくるようなことはないだろう。問題は千秋が大人しく冴夏伯母さんの指示に従ってくれるかどうかだ。
彼女としては御門家と距離を置きたい為に一人暮らしを始めたのだから、御門家に原因があることで半ば無理やりに本家に下宿させられるのは面白くないだろう。
千秋が何故に其処まで御門家を嫌うのかは分からないが、このまま意地を張っても仕方がないことは気がついているはずだ。自分自身に身を守る術は無く、御門家に頼るしかないのだから。
千秋は朝から機嫌が悪かった。
今日の放課後、教室に冬峰が迎えに来ればそのまま御門本家の庇護下に入る。
せっかく御門家から離れてある程度の自由を手に入れたかと思ったのだが、とんだ災難に巻き込まれた、と彼女は苦々しく思った。
【K】は一体何をさせる為に私に目を付けたのか。何故、本家の者でなく私が狙われたのか。単に狙いやすかっただけなのか。昨夜の誘拐犯の言っていた御門家の目的を何故、外部の者が知っているのか。そんな考えが彼女の頭の中を何度も駆け巡っていた。
「で、其処のケーキが美味しいんだって。アルバイトも禁止されて放課後空いてるんでしょ。食べに行かない」
「え?」
彼女の対面で弁当を平らげた文野洋子が、先週開店した洋菓子屋のチラシを広げて千秋に見せ付けた。
そこにはケーキセット四百五十円と大きく載っており、アルバイトがら、ケーキには拘りのある千秋でも興味をそそられる組合せが幾つかあった。
「もう、さっきから生返事ばっかり。千秋ちゃん今日変よ」
文野は千秋より席順が一つ前であり、二学年に上がってから新たに出来た友達であった。
昼食はこうして一緒に取っているが、千秋はアルバイト、文野はテニス部ということもあり一緒に下校することは滅多に無い。
「ごめん、今日はちょっと用事があって」
千秋もこの長い髪をポニーテールに結わえた、御門という苗字にも物怖じしない友人を気に入っていたが、今日は日が悪すぎる。
冬峰が迎えに来た時、彼女にどう説明すれば良いのか。冬峰に説明をふっても、「ああ」とか「うん」しか言わない気がするのだ。
あそこまで他人に対して無愛想なのは人見知りするのでは無く、単に面倒臭いだけだろう。
「でもケーキセットは捨て難いよね。どうしようか」
冬峰には悪いが終了チャイムと同時にダッシュ。
ケーキを堪能した後、暗くならないうちに本家に顔を出す。
大勢の人の目の届く日中では【K】も手荒な真似は出来ないだろう、と千秋は都合の良い考えを思い浮かべた。
後に彼女は彼らがそんな甘い相手では無いことを思い知るのだが、今の彼女にとって脅威とは【K】ではなく彼女の身を守るよう命令されたボディガードであった。
「御門」
六時間目、授業開始の出欠を取った数学教師は珍しく冬峰の姿が無い事に気が付いた。
いつもなら寝起きの面倒臭そうな返事か、返事は無く机に突っ伏して爆睡中かどちらかなのだが、今日は姿も見えず五時間目の現国以外出席していないらしい。
授業中に他人に迷惑を掛けるでもなく、今までは黙認していたがそろそろ担任に連絡してしかるべき処置を打ったほうが良いかもしれない。
神経質そうに出席簿を睨みつけ何かを記入する数学教師を見て根神一はやれやれと幼馴染の空いた机を振り返った。
普段なら冬峰は一、二時間目の早い時刻には睡魔に耐え切れず保健室まで足を延ばす事があったのだが、午後の授業で姿を晦ます事は無かった。
何かが起こっている。根神はそんな気がしているのだが、いったい何が起こっているのか彼はこの事件が終るまでついに気付くことは無かったのである。
六時間目が終わり千秋はいそいそと帰り支度を始め早足で教室から出ようとしたが、教室の前側のドアから冬峰が顔を覗かせ手を振ってきたので憮然とした面持ちになった。
「何? 心配しなくても本家には後で顔を出すわよ。それにアンタの教室からここまで少なくとも三分は掛かるはずよ」
不機嫌そうに細いレンズの眼鏡の奥の目を険しくして睨みつける従姉へ、冬峰は困ったなというように後頭部を掻いた。
「実は具合が悪くて保健室で寝ていたんだ」
「へえ、アンタが珍しいわね。風邪でも引いたの?」
嘘おっしゃいと挑戦するように千秋は笑みを浮かべた。目が全然笑っていないのがかなり怖い。
「いや、急に睡魔が襲ってきたんだ」
「……」
千秋は冬峰の冗談か本気か解らない返答を無視するかのように、競歩の選手のごとく背筋をのばして冬峰の脇を通り抜けた。
冬峰は暫くその後姿を眺めた後、しょうがないなと苦笑を浮かべて千秋を追いかける。
「何処へ行くのかな?」
千秋の横に並び問いかける冬峰へ、千秋はそちらを見ようともせず歩く速度を速めながら一言一言区切るように返答した。
「ケーキを食べに行くだけよ。心配しなくても暗くなるまでに本家には顔を出すわよ」
やや険のある言い回しにひるんだ様子も無く、冬峰は「それは無理だろね」とつぶやく。
千秋は急ブレーキを掛けた様に立ち止まり振り返って冬峰を睨みつけるが、冬峰は何処吹く風というように茫洋とした態度を崩さずのそのそと廊下の突き当たりにある窓際まで近付いた。
「どういうことよ。言いたいことがあるなら……」
「バス停横のコンビニの駐車場」
冬峰はそれだけ言って黙ってしまったので、千秋は仕方なく窓の外を覗き見た。
千秋達二年生は三階に教室があり、この廊下の突き当たりにある窓はある程度の見晴らしが良く、建物の隙間からコンビニの駐車場を覗き見ることが出来る。
千秋はコンビニから一番遠く離れた駐車スペースに昨日目にした黒いワゴン車が停まっているのを確認して息を呑んだ。
「反対側の通りには昨日見た顔が数人ぶらついていたけどな。奴等、下校途中に手を出してこないにしても、きっと本家までついて来るだろうね」
窓の外へ目を向けたまま彫像の様に固まっている千秋の背に、冬峰は他人事のようにのんびりと言葉を掛けた。
「じゃあ警察に連絡して」
「一時的に退くだけで、また集まってくるんじゃないかな。それになぁ……」
冬峰はうーんと腕組みをして宙を仰いだ。
今朝の半魚人を思い出したのだ。あれを警察が相手に出来るとは思えなかった。
「なによ」
「いや、大したことじゃないよ」
冬峰にしては珍しく、何かを言いよどんでいるようだったので千秋は眉をひそめたが、冬峰が何を言おうとして口をつぐんだかは想像できず大きく溜息を吐いて肩を竦めた。
「それで、どうするのよ」
「どうしよう」
千秋が眉を吊り上げて何か言おうと口を開く前に、冬峰は更に言葉を続けた。その意見は千秋にとって予想だにしなかったものだった。
すなわち、
「彼奴らが諦めるまで、学校に篭城するってのはどうかな?」




