二章 学園闘争曲(4)
七時一〇分間近になると三姉妹は着替える為に自室に戻り、冬峰は食後の運動をするため庭へ足を運んだ。
庭は松や庭梅、庭石が置かれている小さいながらも立派な庭園であり、その中央には物干し台が立ててある。
冬峰は道場から持ち出した木刀を肩に担いでひときわ大きな庭石の前に立つ。それから空を見上げて大きく欠伸をした。空は晴れ渡り洗濯物がよく乾くだろう。
癖のある髪を軽くかき回した後、冬峰は背後を振り向き松の木の陰で身を隠した人影に声を掛けた。
「朝早くご苦労さん、時春」
松の陰から湧いた人影は悪びれた風も無く、三つ揃いの背広を隙無く着こなした上体を曲げ慇懃に挨拶した。
「お早う御座います冬峰様。朝早くからの主夫業は大変ですな」
「後は洗濯機を回すだけでね。俺の仕事じゃないよ」
流石に彼女らの下着を干すのは、冬峰はともかく彼女達が嫌がるだろう。
一度冬峰がたまたま早く帰ったときに夕立に遭遇して彼女達の洗濯物を片付けたのだが、それを二人の妹から聞いた春奈は顔を真っ赤にしてうろたえたのだった。
時春は肩に掛けたボストンバックを地面に下ろした。ゴトンとボストンバッグの中身が重い音を立てる。
「齢を取ると、どうも重い荷物を持てなくていけませんな」
時春が腰に手をあてて「あたた」と呟くのを無視して、冬峰はボストンバッグを肩に担いだ。ずしりと重い。
「頼まれましたものはひと通り用意出来ました。しかしこれらが必要な事態にならなければ良いのですが」
「さてね」
韜晦しているのかのんびりと冬峰が答えて、また一つ欠伸をした。
「あら、時春様、お早う御座います」
これから大学へ向かうのか、白いブラウスと同色のロングスカートに着替えた春奈が、両腿の前に手を重ね一礼した。その清楚な仕種から朝のだらしなさを想像するのは不可能だろう。
「これは春奈様。いつもお美しい」
「ですって、冬峰さん」
照れたのか頬に手を当てて、平手で冬峰の頭をぺしぺしと叩く。
「早く行かないと遅刻するよ」
「はいはい、じゃあ行って来ます」
二人に一礼して春奈は踵を返した。翻った黒髪と白いスカートが残像として冬峰の目に焼きつく。
「ふむ、ビデオを持ってくるべきでしたな」
冬峰はそんな色ボケ爺を呆れたように見つめて溜息をついた。
「今日から千秋を泊めるけど、学校以外の守りは任せるよ」
「お任せ下さい。朱羅木は春奈様に、青桐は紅葉様と夏憐様に同行出来る様、どちらも学校側に話しを通しております。多少の寄付金が必要となりましたが、本家を守る為なら大した額ではありません」
どうやって校内までガードするのだろうかと冬峰はぼんやり考えたが、何も思い浮かばなかった。大学はともかく小学校は警護に困ると思うのだが。
「帰宅後はそのまま本家を警護することになります。【K】がどのような相手かは分りませんが、朱羅木と青桐ではそう遅れを取りますまい」
「だといいけどね」
冬峰は昨晩出くわした仮面男を思い出した。逃げる間際、散弾をいくつか撃ち込まれていたが、冬峰はそれでカタが付いたとは思えなかった。
「で、千秋の警護の報酬っていくらなのかな?」
冬峰の問い掛けに時春は「はて」と呟き首をかしげた。ワザとらしく驚いたように目を見開きポンと手を打ち、「いや、しまった」と漏らす。
「冬峰様、申し訳ありませんが奥様をお送りする時間が来てしまいました。申し訳ありませんが本日のところは冬峰様だけで千秋様を守って下さいませんか。なに、装備も揃っておりますし、冬峰様なら大丈夫で御座いましょう」
「一寸待て、アルバイトも休んで警護するんだ、貧乏学生の懐具合も考慮してくれ。朱羅木と青桐には冴子伯母さんから給料が出てるんだろ」
そそくさと門前に停めたスバル360に乗り込む時春の背へ冬峰は声をぶつけたが、見事に無視をされ走り去られてしまった。どうやらロハで働かせる心算らしい。
「どうしたのフユお兄ちゃん?」
洗濯物を抱えた夏憐と紅葉が通りかかり冬峰の様子に首を傾げたが、冬峰もこの二人に理由を話せるわけも無く、ただ苦笑を浮かべるしかなかった。
紅葉と夏憐を学校に送り出す際、冬峰は昨晩、胡散臭いジャーナリストから受け取ったお守りの石を紅葉に持たせた。
「何これ?」
「お守り。登下校の時は必ず身に付けておいて」
半信半疑で夏憐の手を引いて登校する紅葉を見送った後、屋敷の戸締りを終えた冬峰は重いボストンバッグを左肩に掛け学校迄の徒歩約二十五分の道程を歩き始めた。
約二十五分の距離というのも微妙で徒歩三十分ならバス通学の踏ん切りもつくのだが、結局冬峰はバスを待つのが面倒臭く、また自分の懐事情の為、徒歩通学を日課としている。
十五分ほど歩き雑木林沿いの通りに出ると、冬峰の前を見慣れた男女一組が横切った。
男は背丈が百八十センチ以上ある短髪で挑戦的な目つきをした男子学生であり、女性は一見美少年と間違えそうなショートカットに目鼻立ちの整った顔に悪戯っ子の様な笑みを浮かべて、きびきびと歩く動作も様になっている女生徒だった。
「アッラー、アクバル」
「普通に挨拶しろよ」
目敏く冬峰を見つけた女学生、阿見志保理の挨拶に横から根神が突っ込みを入れた。
「朝から元気だよな、コイツ等」と冬峰は思ったが、もう長い付き合いで別に口に出して言うことでもないので黙っておく。
「冬峰、昨日は呼び出してすまなかったな。何も起こらなかったか?」
根神は冬峰に片手で拝むようにして昨晩の出来事について訊ねてきた。表面上は平然としているが、顔を合わせて直ぐ訊ねてくるあたり、昨夜から気になっていたに違いない。
冬峰は「別に」と短く答えて「そっちは?」と訊ねた。
「俺の方も別に何も無かったさ。いつもと違って静かだったからつい警戒してしまってな。それもこれも、お前が変な忠告をするからだぜ」
別に感情を害した様子も無く苦笑を浮かべてぼやく根神へ、冬峰も苦笑を返した。
「どうやら思い過ごしのようだね。悪かったよ」
実際にはかなり危なかったのだが、冬峰はおくびも出さず答えた。
それこそこの二人の幼馴染に昨晩のことを話せば、二人ともひとしきり信じられないと笑った後、何も言わずに助けに来る。
冬峰はそう確信している。




