一章 侵略神(10)
二人に飛び掛ろうと低くしゃがみ込んだ男が、「ぎゃっ」と声を立てて右目を押さえて地面に倒れた。
冬峰は残り三本に減った手元の武器、【ラ・ベルラ】から一掴み取ってきたケーキ用フォークを手に紺背広を睨みつける。
冬峰は内心、予想した人数より多いことに舌打ちして、フォークを紺背広に向かって狙いを付けるように突き出した。
先程の茶背広が千秋の両肩を押さえつけていた手を放した原因が、フォークに両手首を射貫かれた為であり、疾走する自転車から精確に目標を射貫く冬峰の技量は驚嘆すべきものといえよう。
「動くと次は、あんたの目を眼鏡ごと打ち抜くぜ」
そう宣言して、じりじりと路地の入口まで千秋を庇いながら後退する冬峰と、その後を追う誘拐犯達の間の緊張が高まり、ついに紺背広が一斉に飛び掛るよう号令を出そうと手を上げかける。
不意に襲撃者等の背後に停められたワゴン車のスライドドアが大きく開き、大きな人影がゆっくりと地面に降り立った。
ざんばらな大きく脈打つような腰までかかる灰色の髪に、黒いマントコートを着た二メートル近い背丈の人物は、ゆっくりと首を回し冬峰と千秋に目を向ける。
銀光が人影の額に向けて走り、硬い音を立てて跳ね返った。
それは冬峰が人影と目が合った瞬間、反射的に投げたフォークが人影の顔に被せられた仮面に当たった為であった。
その仮面は鈍い光沢を放つ石のようなもので出来ており、吊り上がった両目と左右に切れ上がった口の形は仮面が凶悪な笑みを浮かべる鬼のような印象を冬峰に与える。
冬峰が仮面の大男に気を取られた隙に、彼の背後に庇われた千秋の両側からTシャツにジーンズ姿の若者と、ぶかぶかのオーバーサイズのズボンを穿いたラッパー姿の禿頭が飛び掛った。
それに気付いた千秋は身を硬くして逃げることもかなわなかったが、不意に冬峰の背中が現れると半回転しながら左手のフォークでラッパーの喉を、右手の逆手に握ったフォークでTシャツの額を突く。
喉を貫かれたラッパーは「ぐええ」と白目を剥いて倒れ込んだが、Tシャツは少々タフだったらしくよろめいただけで持ちこたえた。
追い打ちを掛けるように更に冬峰は回転し、左の肘をTシャツのこめかみに叩き込み横転させる。
「冬峰!」
千秋の悲鳴に彼女の視線の方向をみるとワゴン車から現れた仮面が冬峰へ向かって跳躍している姿が目に入った。仮面の後方引かれた右手が、着地間際に冬峰へ向かって放たれる。
背後へ跳び退いた冬峰の元いた場所が、仮面の右手の一撃でアスファルトがめくれ上がり地面に穴を穿った。
「化け物か!」
いつもの面倒臭そうに話す従弟とは程遠い口調と切迫した表情で叫ぶ冬峰へ、更に仮面の回し蹴りが襲い掛かった。技もテクニックも無い力任せの一撃を、しゃがみ込んで辛うじてかわした冬峰の頭髪が風圧で逆立つ。
哀れにも回し蹴りの軌跡の延長にいた者が、身体をくの字に曲げた状態で学校の白い塀に激突し、大きな赤い花を咲かせた。
フォーク二本じゃ分が悪い。千秋に向かって走り出そうとした冬峰の前に、仮面は信じがたいスピードで間に割って入り千秋に向かって手を伸ばす。
「逃げろ!」
冬峰は叫んだが千秋は蛇に睨まれた蛙の様に動けず、冬峰の投付けた二本のフォークも仮面の左手が閃き叩き落される。
「千秋!」
突然響いた闇を揺るがす轟音に、仮面が地面に片膝を着いた。
ゆっくりと路地の入口に顔を向けるが、更に鳴り響いた轟音に仮面の胸に多数の弾痕が穿たれ、衝撃で仰向けに倒れる。
「早くこっちに来い」
路地の入口に軽乗用車のライトを背にして立つコート姿の男は、散弾銃を肩づけしたまま銃身の下の遊底を前後させ次弾を発射出来る状態とした。
冬峰は千秋の右手を掴んで、ぐいっつと引っ張りあげると手を繫いだまま車に向かって走り出す。
「待て、逃がすな!」
紺背広の他、数人の男達が二人に追いすがろうとしていたが、足下に向かって火を吹いたM870レミントンショットガンに牽制されたたらを踏んだ。
冬峰と千秋が後部座席に乗り込んだことを目の隅に捉えた男は、紺背広達に銃口を向けたまま後ずさりして車の横まで下がるや否や、身を翻し運転席に飛び込み軽乗用車を急発進させた。
紺背広と二、三人の男達は懐から小型のピストルを抜き、男の運転するダイハツ・ミラへ銃弾を叩き込んだ。
何発かがドアにめり込むものの貫通するまでの力は無いらしく、ドアの内側を膨らませるだけに留まった。
けたたましい音を立てて去っていく軽乗用車へ苦々しい視線を向けていた紺背広は、背後で何か大きな質量が動いたことを感じて振り返る。
散弾で撃たれたはずの己の主たる仮面が、ゆっくりと眠りから醒めるように起き上がる光景を目にした。
仮面の胸から散弾が、硬い音を立ててアスファルトの上にこぼれ落ちた。
「申し訳ありません。【門】を開く女を逃してしまいました」
深々と仮面に向けて頭を下げる紺背広には目もくれず、仮面は地面に昏倒している茶背広へ近付き己の仮面を外した。
それを目にした紺背広以外の男達が顔を背けた。彼等の殆どが次に何かが起こる事を知っているのだ。
何か硬いものが砕ける音が響きいた後、鼻から上の部分を失った茶背広が地面に倒れ込み噴水のように顔の断面から血を噴出させる。
暫く何かを咀嚼するように顎を動かしていたが、それを飲み込んだ後に再び仮面をかぶった男は、何も言わず長身を屈めてワゴン車の後部座席に身をもたれさせた。
「出せ」
紺背広が運転手に命じると静かにワゴン車が走り出し、残った男達は頭を垂れて見送る。
どうやら仮面の男は特別な地位にいるらしく、ワゴン車の窓は黒いカーテンを閉め切った上、床には同じく黒いカーペットが敷かれ車内を静謐な空間へと変貌させていた。
仮面の男はじっと何かを考え込んでいる様子だったが、不意に面を上げ指先でコツコツと仮面の額を叩く。
「また彼奴が邪魔するか。もう嗅ぎつけて来るとは、流石我等と長きに渡る戦いを繰り広げてきただけのことはある」
仮面は先程のショットガンを構えた男の姿を脳裏に浮かべた。
「だが此処迄だ。今迄は後一歩のところで逃してきたが、今回は【邪悪の皇太子】も静観する事を宣言している。バイアクヘーすら無い貴様等がどう抗うのか、見せてもらうぞフェラン」




