六章 その手を(9)
冬峰はそれに答えず、右手に持った刀の切先を上げてナイに突きつけた。
「千秋はどこだ。案内して貰おう」
その脅しを気にした風も無く、ナイは葉巻を指で挟んで煙を吐いた。
「まあ、待ちたまえ。ビッグキャストの登場までまだ間がある。その間に私の相手をしてほしいのさ。君は……」
ナイの言葉が終わらぬうちに、肉迫した冬峰の横薙ぎの一閃が宙を裂く。
「おおっと」
大きく跳び下がったナイは、ぱくりと切り裂かれた背広の前襟を憮然と見つめた。
「ふむ、修復出来んか」
それから額に手を当てて眉を寄せ、宙を仰ぐ。
「これは困った。アナベルに叱られるではないか。今回の準備にかまけて本業の万事屋は休業しているからな。我が事務所は素寒貧なのだぞ」
「……」
何とも情けない神様の告白にも、冬峰は顔色一つ変えずに右脇に刀を構えて身を低くする。
「やれやれ」
ナイが葉巻を一振りするとそれは影のような黒い槍と変化して、手首の動きだけで冬峰に向かって投擲された。
不意を突かれたのか冬峰は避ける様子も無く飛来した槍を額に受け、槍は次の瞬間、破裂したように砕けて跡形も無く消失する。
「やはり、な」
その結果にナイは満足した様な笑みを浮かべた。
「君の胸に開いた孔はあちら側、表現が正しいか解らないが君達にとっての【死後の世界】と呼ばれるところに繋がっている。そこは原初の海のようなもので、全てのものの材料はあるがそれしかない。また我々を含めた全てのものは幾星霜を経て、ここに辿り着き分解され保管される」
「長口上はやめてくれないか。こちらには時間が無いんだ」
「君と千秋君に関する事だ。聞いても損は無い」
千秋の事を口にされると冬峰も黙るしかなかったが、構えを解かないのは不意打ちを警戒しているのかもしれない。
「恐らく千秋君ともう一人の能力者は、本来開いているはずの無いあちら側から材料を組み立て引き出すことが出来るんだろうな。それにはその組み立てて引き出すものの設計を想像する為の媒介物が必要なのだろうが、彼女達の場合、それが自分自身に流れる血や肉体を構成する細胞のひとつひとつなのだろう。だから彼女達は歴代の能力者達の能力を呼び出し使用できる。ここまではいいかね」
「ああ、何となくな」
「彼女達や、我らが盟王はそれが出来るが、それ以外の者はこの世界を構成するエーテル体や大地のマナを説得、または情報を誤認識させて本来あるはずの無い現象を構成させなければならない。それが詠唱や呪文、私の様に意識のするだけで構成出来るのもある。それによりこの世界の構成を一時的に書き換えて現象を発生させる」
ナイは何らかのスイッチが入ったのか、教壇に立つ教授の様に右人差し指を立てて前後に振りながら、後ろ腰に手を当てて説明に熱中しているようだ。
冬峰は不謹慎にも、今、ここで斬りつければバッサリといけるのでは、と思った。
「そして私の本体や【大いなるK】、【魔界の皇太子】と呼ばれる我々は、別の宇宙にて我等が盟王に創造された存在で、ちょっとした出来事でこの宇宙に放逐されたのだ。それゆえこの宇宙では先ほど述べた呪文の様な、本来存在しない異物なのだよ」
ナイは古典演劇の舞台俳優のように、冬峰へ己の存在を示すかのように向き直って両手を広げた。
「ああ、そういう事か」
冬峰はナイの言わんとすることが理解出来た。ナイが解を見つけた生徒に対するようにうなずく。
「そう、君の胸に開いた孔は、事故によってあちら側と繋がったままとなり、本来ならこの世界を構築する全ての物を吸収、解体しているはずだが、何者かの手によりこの世界の理と反する異物や派生させられた現象を、解体、吸収する機能のみに抑えられているのではないか。それゆえ君はまだこの世界に存在しており、我等の力や存在を打ち消す事、まあ正しく言えば、吸収してあちら側に送り込むことが出来る」
冬峰は己の心臓の上に左手を当てた。この心臓の中に目に見えない孔があるのは感覚で知っていたが、それほど危険な物とは考えもしていなかった。
心当たりはある。戦場では自分が傷つけた者は傷の治りが遅いと聞いたことがある。その孔の暴走を抑えている者が施した処置も完全ではないらしい。
「だが、それにも限度がある。君が人間ゆえにある限界だ。君は我が本体に手傷を負わせた後、君自身もダメージを受けたようだった。恐らく吸収する相手の容量が膨大で君自身の容量を上回った場合、君自身の存在も引きずり込まれて解体、吸収されるのではないか」
冬峰は沈黙する。直後の脱力感と思い出せない名前。
「だから、君自身の|容量を超える異形を相手にすると、君は自滅するのかもしれない。これを試してみたいのでね」
ナイはこれから始まるイベントを楽しみしていたかのように目を細めて笑みを浮かべる。
魅力的な微笑だが、これは人を惑わす悪魔の微笑だ。
ナイの足元から一本の触手が宙に伸びた。それはナイの身長を超えても更に伸び続け、林立する石柱の頂に達する。
触手は影のように黒く先端から根元に行くほど、どんどん太くなり成人が二抱えするぐらいまで広がった。
冬峰は何かの尻尾かと思ったが、それは間違いである事はすぐに判明して、冬峰の眼を険しくさせた。
触手の付け根に穴が生じると内側は鋭く尖った牙が生えており、二、三度開閉を繰り返してから島中にこれまで冬峰が聞いた地球上のどの生物とも異なる咆哮を放つ。
振動する空気が治まるより早く三本指の巨大な鉤爪を備えた腕が現われると地面に手をつけて、所々に伸縮する小さな触碗の生えた巨大な胴体が怪紳士の影から現れる。
冬峰は現れた異形をただ見上げるだけになっており、その表情はあっけにとられているようにも見えた。
巨大な怪獣の様な足で光沢を放つ床を踏みしめ、大地に姿を現した異形はさらにひとつ咆哮する。
首のある位置には長く太い触手が生えておりその根元には口が開き、この世のモノでない咆哮を常に放っており、それに呼応するように胴に生えた小さな触手が伸縮を繰り返す。
手の三本の指、足の前側二本、踵側に一本生えた指には鋭い鉤爪が備わっておりこの異形のモノを怪獣めいたものにしている。
そして地面を打ち据えるのは尻尾であり、その太くうねる様は大蛇が獲物を求めて鎌首をもたげているようにも見えた。
ナイ同様、ナイアルラトホテップの千を超える端末のひとつ、【闇に吼えるもの】。その巨獣が姿を現したのだ。
冬峰はしばらく召喚された巨獣を眺めていたが、ひと言「大人気無い」とつぶやくのがやっとのようだ。
それもそうだろう。身長百六十五センチの冬峰は、怪物の手に捉えられるだけで握りつぶされるだろうし、そうでなくともひと踏みでノシイカにされるだろう。
それに対して冬峰の攻撃が届くのはこの巨獣の踝までであり、古代のどこかの島にいた聖堂の巨人の様にアキレス腱の位置に栓でもない限り巨獣に痛打を与えるのは不可能だ。
「さあ、約束通り決着をつけようか、少年」
ぬけぬけと言い放つ黒衣の紳士に抗議めいた視線を向けた冬峰へ、巨獣が一歩踏み出した。




