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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
六章 その手を
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六章 その手を(8)

                      3


「着替え終わったかね?」

 薄闇の中、ナイは背後を振り返った。

 石室の中央やや盛り上がった石段にたたずむ少女は意を決したようにうなずく。

 紅無(いろなし)狩衣(かりきぬ)小豆色(あずきいろ)(はかま)姿の千秋(ちあき)黒天鵞絨(くろびろーど)の布に置かれた増女(ぞうおんな)の面を両手でうやうやしく持ち上げ、それにしばらく見入った。

 千秋と冴夏(さえか)はこの衣装を身につけ、この面を被り冬峰に手力(てぢから)を下ろそうとするも失敗、冬峰に消えない傷を刻み込み地獄に送り込まれる原因を作ったのだ。

「ねえ、ナイ」

「何かね」

「この衣装は御門(みかど)家に伝わるものだけど、どうしてここにあるの」

 本当は訊かなくても答えは解っている。これは単に確認するだけだ。

 ナイはつまらない事を訊かれたでもいうように嘆息して腰の後ろに手を当てた。

「ああ、それは何処(どこ)かの野望に燃えた老人が頼まれもしていないのに寄こしてきたのだ。これが有るのと無いのとでは儀式の成功率が大幅に変わると」

「ふうん」

 ナイはそれから思い出し笑いを(こら)えるかのように口元を(ほころ)ばせ、拳でそれを隠すように前に持っていった。

「しかもあの老人、石仮面も同時に返却してきて、もし儀式が成功したあかつきには、【大いなるK】の代行者にしてほしいと頼み込んで来たのだよ。それほど不死が欲しいのかね?」

「さあ、私にはどうでもいいけど」

 千秋は増女の面を己の顔に被せた。己の顔に浮かんだ嘲笑を誰にも見られたくなかったからだ。

 愚かな老人だ、と。私の不死の代行者に選ばれると本当に思っているのなら、目出度(めでた)い頭としか言いようがない。

 千秋の両脇五メートルほど離れた場所に不意に人影が浮かんだ。片膝をついて(こうべ)を垂れている。

 一人は紺色のスーツとスカート姿の銀髪を襟首でまとめた女性、アナベル。

 もう一人はアナベル同様に紺色のベスト姿の癖のある銀髪の男性、エドガー。

 同じ顔をした二人の従者が千秋の左右に控えていた。

「さあ、始めようか」

 ナイの指が鳴らされ、アナベルとエドガーが右手に持った笛の様な楽器を口に咥える。

 この笛は、異世界の狂える創造主を慰める為にユゴスからの使者が作り上げたモノである。あちらの側の世界では永遠にも近い時間を笛を吹き続けていたエドガーとアナベルの二人も、この特殊な演奏は違和感があるらしく、吹き方を習得したのは千秋がルルイエに発つ直前であった。

 鈴の音がそれに合わされる。

 千秋が両手に持った鈴を鳴らしながら手を左右に開き、肩の高さまで上げてゆっくりと身体を回す。

 子気味良い叩くような音は千秋がリズミカルに石室の床を踏みしめる音だ。それはどんどん音の間隔が短くなってくる。

 一際大きく音が響いた後、それが途絶え鈴がひとつ鳴った。

「千引きの岩を置き引きて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の戸となさん」

 千秋の澄んだ声が石室内に木霊する。

 エドガーとアナベルの笛の音が、それに応える様にひときわ高く鳴り響く。

 千秋は再び身体を廻しながら足踏みを続ける。床を打つ感覚は短くなり、千秋のえんやーと繰り返す掛け声も間隔が短く切迫したものへと変わる。

「誓約の禊、手力となる」

 石室が掛け声に応えるように震えた。

「ほう」

 ナイが頭上を見上げて感心したように声を漏らす。

 ルルイエの中心にある巨大な尖塔(せんとう)の中腹にこの石室は存在するのだが、その尖塔の上空に巨大な穴が開いた事を、彼の感覚が感知したのだ。

「こうも容易(たやす)く封印を突破するとは。この世にはとんでもない力があるモノだな」

 感心したようにつぶやいてから、どこから取り出したのか野球のボール大の緑色の光を放つ黒い結晶体を頭上に(かか)げた。

 石室の内部がうっすらとその緑色の光に満たされる。

「頃合いだ。呪文を変えたまえ」

 千秋がうなずき、鈴を鳴らしながらこれまで唱えていた祝詞(のりと)のようなものを止めて、全く意味の解らない呪文を唱え出す。

「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」

 その呪文と共に千秋に埋め込まれたある器官と、千秋の心臓の鼓動が同調、千秋は己の体温が急激な勢いで上昇すると共に、別の何かの意識が己の脳内に流れ込んでいくのを感じた。

 それは猛烈な飢えと破壊衝動を備えた何か。その存在は意識したものを喰らい、破壊して、その恐怖を味わう事を目的とする存在であった。否、それしかない何かだった。

 出来るのか私に。

 彼女はその流れ込んでくるものに耐えて呪文を唱え続ける。

 両脇で笛を吹くアナベルとエドガーの影が人間の形から、不定形に形を変える細長い棒を持ったうごめくものに変化した。

「千秋、奴の意識のいくつかは私達でバックアップします」

「君は扉を開ける事に専念して」

 アナベルとエドガーの声が千秋の脳内に木霊(こだま)して、そのおかげでわずかだが意識が明確となった。

 ナイはそれらを満足げに眺めて葉巻に火を点ける。

「さて、私もそろそろ舞台に上がるか。この物語はロミオとジュリエットか、それともラプンツェルか、はたまたウンディーネか。君次第だぞ、少年」

 黒衣の紳士はそうつぶやくと黒い霧のように拡散して姿を消した。


 尖塔(せんとう)の上空に出現した穴の周辺の雲は渦を巻き、風がそこに吸い込まれていくようだ。

 その光景は石柱群から抜け出した冬峰(ふゆみね)の眼にも入った。

「く、そっ。始まった」

 冬峰はその穴の発生する一瞬に、急に意識が遠くなり足を止めた。 

 眼の前の広場には先程抜け出した石柱群のものより太くて高い石柱がまばらに立っている。それを抜けると一際高く奇妙な紋様(もんよう)と巨大な鉄扉(てっぴ)を備えた尖塔がそびえ建つ。

 その上空、渦巻く暗雲の中央に開いた孔からは稲妻が何度も発生しており、いかにも何か起こりそうな様相であった。

「千秋はあそこにいるのか?」

 問題はどうやってあの内部に入るかだが、冬峰は腕を組んでうーんとうなり首を(ひね)る。

「ひらけごま、で開くわけないよな。とりあえずあの扉の前で、おじゃましますって言えばいいのか?」

 それで開かなければあの塔をよじ登るしかないんだろな。

 そう胸中でつぶやいた冬峰は癖のある髪を掻いてから一歩踏み出し、表情を引き締めた。

 前後左右の石柱の影から黒い帯のようなものが数本湧き出し、冬峰を取り囲んだ。

 冬峰は知らないが、このネイランド・コラムの胴体を両断したこの恐るべき凶器が、これだけの数でいっせいに冬峰に襲い掛かれば一瞬にして細かい肉片と化すことは間違いないであろう。

 帯が餌に群がるようにいっせいに冬峰に襲いかかる。

 冬峰は背後から迫る数本を振り向きもせずに一太刀で切り落としてから背後に跳躍した。空中で追いすがる黒帯を銀光が走り抜ける。

 切断され空中で消滅する黒帯が全て無くなるまで二秒と掛かってはおらず、冬峰は着地と同時に平青眼に構えて周囲をうかがう。

 広場に乾いた拍手が木霊(こだま)する。

 冬峰が振り向くと石柱の影から黒の三つ揃いを身につけた長髪の紳士が、葉巻の煙を(くゆ)らせながら姿を現す。

「やれやれ、君は本当に規格外なんだね。本来、あれは切れるはずの無いものなのだが」

 ナイ神父、彼の正体を知る者はこう呼ぶ。

 ナイアルラトホテップ、無貌の神。

「君の胸に開いた(あな)の調子はどうかね。油断をしていると君まで引き込まれてしまうぞ。なにしろ……」

 ナイは皮手袋に包まれた人差し指をひょいっと一本立てて、尖塔の真上に開いた巨大な黒い穴を指差した。

「あれと同等の(あな)が口を開けているんだ。君はいつ死んでもおかしくないんだよ」

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