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エピローグ 27歳の春、私は

 私はいろいろな人を頼るようになった。


「すいません、ここまではわかったんですけどここからがわからなくて……」私よりベテランに恐る恐る聞いてみたり。

「抜け、漏れ、ないか、最後にもう一度確認してね」いまや部下を持つ私、ミスがないか教育させる毎日。そうは言っても、まだ私のグループなんて小さいものだけど。


「有森さん、()()になったんだね」


 食堂での昼食中、水野は笑顔を浮かべながら意味深に呟いた。


「……うん、そうだね」


 私は、変わったんだな。

 いい方向かどうかはわからない。

 だけど、前より窮屈な感じは無くなった気がする。

 私はいい方向に変わっていると思うことにする。

 私が納得する生き方ができている。

 それだけで十分だ。


「そういえばさ、私の名前の由来、最近思い出したんだ」

「夏菜、の由来?」

「そう、あれ、トマトなんだって」

「……トマト?」

 ……この反応は当然だよな。

「私もびっくりしたよ。私の母親はトマトが好きだったみたいで、それで私は生まれた時すごいツヤがあって赤かったんだって」

「あー、それでそうなったんだ、笑える」

「うん、それでトマトについて調べたら、春に植えて夏に採るらしいの」

「そう思うと、なんか味わいがあるかもね」

「味わいって、私を食べないでよ」

「何言ってんの。ただ、僕はいい願いが込められてると思っただけでさ」

「ふーん?」

「有森さんは春に生まれたんでしょ? だとしたら母が大好きな野菜に見立てて、すくすくと、元気いっぱいに瑞々しく育って欲しかったんじゃないかなって、その話聞いてると思うけど」

「そうかもね……あんまり私の母がそんなに考えていたようには思えないけど、たまにそういうの重なって奇跡みたいなの起きるし」

「深読みかもしれないけどね」

「でも、その深読みが私は好き」

 その方が、私が生まれた春にも意味を見出せるから。


「じゃ採用で! やっぱり優秀だな僕は。これで僕は……クソ(ちんぽ)野郎じゃないってことだね」水野がいたずら心か知らないけど、急に顔を近づけて囁いてきた。

「ねえちょっと水野、マジで恥ずかしいからやめて」

 もうそうやって呼ぶのはやめたんだって。思い出させないでよ。詩乃にもその言葉うつってほしくない。

「なんかその他人のトラウマおちょくってる感じうざいんだけど?」

「え? おちょくってないよ。良き理解者だよ?」

「もーそういうところだよ!」

「おぉい君たち! そろそろ仕事の時間! 内輪揉めするならお家で、ね!」

 相変わらずだる絡みな部長が例によって最悪なタイミングで絡んできた。あたりはすでに席がガラガラで、もう仕事に向かっていたようだった。

 私は上司だろうがなりふり構わず睨む。

 偶然にも同じタイミングで水野も部長を睨んでいた。

 というより、やや蔑みの目だ……。

 こういうところは気が合うな。

「な、なんだね。そんな2人して」部長は困惑していた。

「なんでこういう風に見られてるか、わかってください、本当に」水野はまだ状況を理解できていない部長に対して説教していた。

 私も完全同意。

 というか部下に怒られているこの状況は何なんだ。

「怒ってる? えぇ……」

 強気になれば怯む。撃退法がわかってしまった。

 でも、別に嫌いじゃない。

 癖がわかってきたからかもしれないけど、ちょっとジェネレーションギャップがあるだけのずれたおじさんだというのを理解できるようになったからだ。

 この部長は、少し考えが凝り固まっているけど、悪い人じゃない。

 この部長あってこその、私の職場。

「というか、部長も早く仕事しないとですよ。時間過ぎてます」

「はい……」


 *


 詩乃との関係は養子になることで世間体での問題は解決した。

 詩乃の実家にお邪魔し、実の母親と話し合いして決めた。詩乃の母親は6畳より少し大きいくらいの部屋で所狭しと置かれた1人用のソファに埋もれる中、虚ろな目をしながらタバコをふかしていた。

 私の交渉を聞いて終始どこか不満げであったが、自分じゃどうすることもできないと察していたのか、無闇に止めてこなかった。

 別れ際、母親は詩乃を呼び止めて何かを伝えていた。

 苦しみながら産んだ母と、歓迎されて産まれ落ちたであろう娘。私にはその間柄についてとやかく言える立場にない。だけど、その2人だけが共有できるものがあるのだろうと、どこか慈しみを感じさせる母親から感じた。私は下手に詮索せず、二人の近くを離れ玄関で話が終わるのを待った。

 詩乃が私の元にくると、今度は私も一緒にお呼ばれしたようで、再び詩乃の母親の近くに行った。

 一言だけ、母親は言った。

「大切にして」と。

 そして、母親は邪魔者をどかすように手の甲をふりかざして、「さっさと行ってしまいな」といわんばかりの仕草をした。その時、部屋に舞うたばこの煙が巻き上がり、彼女の母親も煙と共に揺らめいでいった、気がした。



 *



 私の誕生日になった。

 27歳だ。

 それは、人生においていつも嫌悪感を抱く春を今年も迎えたということ。

 でも、今は、何とも感情が芽生えない。

 楽しいとか、悲しいとかじゃない。

 なんとなく虚無に近い、空っぽな感覚だった。

 そのせいか、やりたいことも特に思いつかなかった。すると、詩乃から、晴れてるし散歩をしたいとの提案があった。とりあえず、私たちは外に出て、近くの小川に沿った土手に向かうことにした。

 やはり晴天はいつでも気持ちいい。

 空っぽな気持ちに、清々しい成分が満タンに注がれているようだった。


「わたし、おとな、なったかも」

 詩乃は澄んだ目で空を見上げながらつぶやいた。詩乃は何を思って大人になったとつぶやいたんだろう。いろいろあったから、いろいろ経験をしてそう思っているのだろうか。たしかに壮絶な経験だった。だけど、無事にここにいられるのは本当によかったと思う。


 私も、"大人"について思い浮かべる。

「大人、ね」

 そう言いながら、この社会に住む私を振り返った。

 いろいろなことがあるんだよ、大人は。

 辛いことだってある。不快なことだって言われる。ほんとにクソだって思ったりもする。

 だけどね、すごいいいこともあるんだ。クソなことがわかって、ようやくかけがえのない大切なことを知る。これだ、と確信した答えはない。ちょっと曖昧だけど輪郭は知っている。そんな大切なこと。

 詩乃はクソなことを経験してきた。それでも私と出会った後、大人になったと言ってくれたのなら、私の選択は間違いではなかったんだって思える。


「大人になってるかも、ね!」

「うん!」


 詩乃はテンションが上がり、スキップをしながら踊るように前に進む。車の通らない土手だから許される派手な動きだった。


「あそこ! いってみよ!」


 気分の上がった詩乃が指さした方向は、私たちが初めて出会った大通りの橋、の終わりを曲がった並木道だった。

 私は今まであそこが苦手でいけなかったが……今は、心から行ってみたい、そう思えた。


「うん、行こう!」私は決心し、ついに並木道へと向かう。

 しかし、あの積極的に誘ってくる感じが()()()()に似てきているような……?


 久々に彼女に会いたくなった。

 莉里元気かな。いろいろ喋りたいな……。


 チャットアプリを開いて莉里の名前を探す。

 見つかると、私はすぐに送る文章を考える。

 いや、正確にはいつも文は決まっている。

 莉里を誘うときは何も気兼ねはしない。

 唯一無二の親友だから、特別なことはしなくていい。

 望むのは日常。

 ただ普通の、何気ない日常に思いを込めて。


 〈そろそろまた食べに行こ〉


『―――夏菜先輩――ッ!』


「えっ――?」莉里?

 馴染みのある声が耳元に入ってきた気がした。辺りを見渡しても莉里の姿はいない。

『――どうしたんですか?』

「莉里ッ――⁉︎」

 振り返ったけど、莉里じゃなかった。

「どうしたの?」

 きょとんとしながらつぶらな目で私を見つめる詩乃がいた。

「はは、なんでもない。友達の声がした気がして」

 ここはたしかに自然の音や車の音などの雑音でいっぱいだけど、こんなに声として聞こえてしまったのは、初めてかもしれない。スピリチュアルな体験だ。私は気のせいか、気が狂ったのか、最初の声は、橋の下の、川から聞こえてきたように思えた。川の方、どこから流れてきたかわからない合流水、何かの音が幻聴になって聞こえてきたのか? いや、そんなわけないか。

 莉里を探すのはやめた。またすぐ会えるだろうし。

 今の頭のおかしい体験も話したいな。


 スマホに目を戻し、チャットの送信ができているのを確認しようとした時、画面に桜の花びらが一つひらひらと落ちてきた。

 季節の訪れを知らせた主はどこか、と私は見上げる。

 私たちの向こうには、華やかな薄紅色で染められた壮大な景色が広がっていた。

 そうだ、この通りは、桜並木の道として有名だったんだ。

 春を体現したこの美しい眺めは私の心の網目にかかることはもうなく、緩やかに染み入り純粋な感動を誘い込んだ。


「ね、シャシンとろーよ! 桜と夏菜おねえちゃんとる!」

「ありがと。でもせっかくだし詩乃も入ろうよ」

「やった! あれ、だれかスマホやらないと……?」

「タイマー使おう。自動でシャッター切ってくれる」

「すご! やろやろ!」詩乃はピョンと跳びはねた。


 10秒タイマーを設置し、近くに置かれた長椅子に詩乃のスマホを置いた。


「ほら撮るよ! 急いで詩乃!」

「わああ!」


 私たちは駆け寄って桜の木の前に立った。私は詩乃の身長に合わせてほんの少しだけ屈んだ。前に詩乃が履いていたヒールの長さ分だけ。今度私たちの身長差が無くなるときは、裏社会に引きずり込まれるときじゃなくて、望んでオシャレするときであってほしい。


「はい、チーズ」

「ちーーーーーーーーー」口をイの形にして笑顔な詩乃。こんな長いチーズは初めてだ。

 純粋な詩乃をこれからも見守っていきたい。楽しそうな詩乃の艶やかな横顔を見てそう思った。

 詩乃の息が限界に近づき、しびれを切らして「ズッ!!」と言ったタイミングと同時にシャッターが切られた。


「ごめん、言うのちょっと早すぎた」

「ええ! もういっかい!」

「ちょっと待って、まず見よ! 今撮れたやつ」

「うん!」


 画像を見ると、口をすぼめたなんとも可愛い詩乃が映っていた。


「はは! なにこれ、すごい可愛い……!」

「ねえ! わらわないでよ~」

「あまりにも可愛くてつい」

「もう……」詩乃は恥ずかしさからやや赤面になっている。「でも、夏菜おねえちゃんも可愛い」

「……え?」


 私は少しびっくりした。自身の顔には一切注目してなかった。どうせろくな顔をしてない、そう決めつけていたから。


「ほら、すごいわらってる!」


 詩乃の生き生きとした目がさらに私を説得する。私はおそるおそる画面に顔を近づけた。

 すると、そこには体の芯から出たような、嘘偽り無い微笑みをしていた自分がいた。そこには春を嫌うなんて様子は微塵も見られず、心の底から楽しんでいるように見えた。私は、こんな顔ができたんだ。こんな、楽しめたんだ。私は、"春"を、しっかり楽しめていた。


「……泣いてるの?」詩乃は鼻を少し啜る私を心配した。

「ううん、なんか、溢れてきちゃっただけ」


 私は、いつしかこんなにも潤っていたんだ。

 私は、詩乃を救ったと同時に、詩乃に救われていたんだ。


「綺麗だね、桜」

「うん! すっごいきれい……!」


 27歳の誕生日、詩乃は私に素敵な春をくれた。


 私は、私の顔ができる最大限の笑みで、春を快く受け取った。



 27歳の春、私は、初めて春に心を寄せた。



 ―完―

ここまでご高覧いただきありがとうございました!

評価や感想いただけると励みになります!

すごい時間かかってしまったけど完結することができて嬉しいです。

また作品作れるといいなと思いながら、今は完結の余韻に浸ることにします。

重ねてですが、ここまでご高覧いただきありがとうございました。

また次回作まで……。

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