24. 決着
詩乃が扉を開けたと同時に、部屋の中から銃声が鳴り響いた。
「ヒッ⁉︎」詩乃は驚いて声を上げる。扉は何かにぶつかり、反発して閉まる方向へとシフトしていた。
詩乃は愕然としていて開いた口を塞ぐことができずにいた。扉の老いゆえの軋みだけが静寂を埋める。そして、その音さえも無くなった。
怖くなった。
しかし、ここまできて、真相に触れずにいるのはあってはならないと思った。
再び軋む扉を開き、薄い光で部屋を照らす。
奥にはぶくぶくに太ったトラウマが情けなく仰向けに倒れていた。大男がいるのは予想はしていた。しかし彼は無力化されていた。だとしたら、銃声は……?
さらに開くと、華奢な女性が倒れていることに気づいた。彼女は詩乃が思う自分自身の姿によく似ていた。それはつまり、彼女が詩乃の身代わりになってしまったということ。そんな人は1人しかいなかった。
「夏菜おねえちゃ――」
「――はい、残念」予想外な赤黒いスーツを着た刺客に詩乃は体を掴まれてしまう。
「あなた、いえ、あなたたちには驚きましたよ。まさかあなたがここまで自意識を獲得するとはね。やはり逸材だ。あなたたちには実験台になってもら――」
「フンッ‼︎」詩乃は細い体で鋭利な肘打ちを赤黒スーツの腹に喰らわせた。
「うぐっ⁉︎」赤黒スーツはたじろぎ、詩乃はその隙に腕をはらい再び扉の方へと距離をとった。赤黒スーツはみぞおちに効いたのか悶えていたが、すぐさまかろうじて持っていた銃を詩乃に向けていた。
「この、小娘の分際で何ができる……のです⁉︎」赤黒スーツは咳き込みながら問いかける。偏った世間しか知らない詩乃であっても、銃は人を脅かすものだと知っていた。詩乃はわずかに膝が震えた。しかし、その脅しに彼女の覚悟は屈しなかった。
「……夏菜おねえちゃんをかえして」精一杯で、一生分の願いはこの言葉に込められていた。その誠意が伝わったとわかったのは、赤黒スーツに纏った何者かの眼が微かな哀しみを以て波打ち反響しているようにみえたからだ。詩乃はその者の眼をよく見ていた。
「正直あなたがくるのは予想外でした。そこに倒れてる無能な大男は本当にあなたが来ると思っていたんでしょうけどね……。
あなたは世間の何もかもを認知できなかったはず。友情も、愛情も、苦しみも、哀しみも、何もかも。なのにここにいるということは、あなたに変化があったとしか言いようがない。
だけどそれが何になるというのです?
あなたに何ができるのです?」
再び問いかけて、詩乃の心を揺るがそうとする。しかし詩乃には効かなかった。その脅しよりも、彼女はその者の眼が気になって仕方なかった。彼女はその、哀しみと無力感を纏った眼を知っていた。彼女が記憶を持ち始めてから何度も見た馴染みのある眼。その者からは、なぜか自身の母と同じ面影を感じ取っていた。
不思議な感覚の中、何かがのそりと起き上がっているのが詩乃の横目に入ってきた。それは、自分の仕事の時とほとんど同じ姿をした彼女だった――――。
*
気絶してたせいか足が少しもつれる中、私は忌まわしきホテルから脱出するために歩を進めていた。
「詩乃、大丈夫?」手を繋いでいた詩乃に確認する。
「うん! へいき」いつも通りの優しい笑顔だった。
「よかった」
それにしてもなんで詩乃はまたこのホテルにきてしまったのか。というか、なぜこのタイミングでここまでこれたんだ?
まあいい。今はこのホテルから抜けることだけを考えよう。出口扉を開け、階段の中段に出た。ここから出るのは簡単だし、覚えずとも単純に出口案内に従えばいい。
「もっと急がないと、あの人たちきちゃうよ」詩乃が率先して私の手を引っ張ってくれる。
「多分ここまできたら大丈夫。あいつらは追ってきたところで今や世間の目があるから大っぴらに捕まえられないしね」それに、私はまだ足が震えていて歩くのがやっとだけど、詩乃からは察せられないようにしたい。今は希望を持って2人で脱出したい。
おぼつかないながらも着実に階段を降り、出入り口をみつける。しかし、出口が開かない。
「あの……料金をいただいていません……ご利用カードを提示していただけますか」横の小さな窓口にいた、気だるげで、手入れ不十分なミディアムヘアをもったメガネ女の受付に止められる。吐息と共に微かにタバコの臭いが運ばれてくる。
しまった、出る時に確認が必要なシステムだったのか。リサーチ不足だった。どうしよう、ここで足止めを食らったらまずい。しかも、この女があいつらとグルだったら……。こんなに出口が近いのに……!
焦りで汗を滲ませているときに、詩乃が受付窓口の前に堂々と立った。詩乃が受付をじっと見ていると、しばらくして受付の女は何か驚いた様子で目を見開き、何かを操作した後、「……どうぞ」とすんなり開けてくれた。私たちはすぐさまそのホテルから出た。不思議に思った。なぜ態度を急変させたのか。詩乃と何か関係があったのか。後ろを振り返ると、先ほどの受付の女が顔を窓口から乗り出して、おそらく詩乃の視線に向けて合図を送るように頷いていた、ように見えた。そしてすぐにその顔は窓の中へと引っ込み、ホテルのエントランスは誰もいなくなった。
「夏菜! 早く!」横から唐突に声がした。
「はっ!」その声は、間違いなく水野だ。彼はホテルの横で路上駐車し、いつでもドアを開けられるよう車外で待機していた。待っていろといったのに、計画が色々とめちゃくちゃだ。
後その呼び方、なんか違和感ある……!
「なんでこんなところに!」
「なんでって! 詩乃ちゃんが乗っていたんだ!
全く気づかなくて、それで車から出ちゃうから、必死に追いかけてたんだよ! もうほんとによくわからなくてパニックだよ」
なるほど。あのタイミングでの詩乃の登場はそれしかないよな。
「とりあえずここから逃げよう」
「そうだね、早く乗って!」水野はドアを開け、私と詩乃を入れさせた。そしてすぐさま運転席へと回り、エンジンを吹かせた。
「詩乃ちゃん心配したんだよ⁉︎ 勝手な行動しちゃダメだからね、ここは危険なんだよ」水野は珍しく少し怒っている。無理もない。元々は詩乃を守るためだったのだから、本末転倒になることさえあり得た。
「ごめんなさい……もうしない」
「でも、詩乃がいなかったら、私は今頃帰れなかったかもしれない。詩乃、私を救ってくれてありがとう」
これは本当にその通りだった。詩乃は私を色んな面で救ってくれた。私が救おうと躍起になっていたのに、いつの間にか詩乃に救われていたんだ。だいぶリスキーにはなってしまったけど、これであいつらと決着がついたと思う。
私は後部座席で隣にいる詩乃と肩を寄せ、一息つく。
ホテルから脱出した時は焦りで全く気づかなかったけど、辺りは雪が降りしきっていた。そういえば、今は冬だったと実感する。日織区周辺は雪は基本的に降らない。私の地元も雪が降る地域じゃなかったから、普段は雪を見ると子どものようにはしゃいでいた。だけど、今は儚く消えゆく結晶に哀しみを覚えてしまった。
――そんな思い出も、存在も、いずれ私の前からいなくなるんです
疲労感で朧げになっていく中、やけに脳裏に焼きついた赤黒スーツとの最後の会話を思い返す。
*
「やられてしまいましたね……ここまでですか」膝をついた赤黒スーツは負けを認めて肩の荷が降りたのか、語気が弱まり、意志が虚ろになっていく。復活して立ち尽くす私は自ずとそいつを見下していた。
「お前みたいな悪者には渡さない。
もう、詩乃を裏社会には渡さない。
これ以上、無垢を汚すな、クズ男野郎」
私の背中のそばにいた詩乃を守るように、腕を彼女の目の前に添えて赤黒スーツがこれ以上詩乃にふれないよう心がけた。そのとき詩乃がスンと落ち着いてるように見せかけていて、緊張で微かな震えがあったのを感じた。
詩乃、ごめん。私が守ると誓ったのに、こんなところにまた連れてきてしまった。
でも、ありがとう。
だからこそ、もう過去のやつらには一切触れさせないんだ。
赤黒スーツはもう息が切れかかっていた。私に向けて撃ったはずの毒針がようやく効いてきて、活動を停止しようとしていた。正当防衛ながらも、私は人を殺してしまうのかもしれない。その事実に、少し恐ろしく感じた。私は一線を超えてしまうのか。
「これは、麻酔銃ですよ……?
私は死にません」赤黒スーツはしたり顔をしながらこちらに目を向けている。それじゃ、私のことは?
「なにも、殺すなんてことはしませんよ……。そんなこと、私はしたくはない……」瞼が閉じかかっているものの、赤黒スーツの心にある炎はまだ消えない。
「不思議ですけどね……いつのまにか、私の主な目的は有森夏菜にシフトしてしまっていたようです」
私? なぜ私が狙われるの?
詩乃じゃないの?
「決して意図的じゃなかった。いつもの仕事のはずだった。でもあなたを見ていたら、私はあなたに知って欲しくなった。私が経験した地獄のようなこと……あの場所からどれほど逃げ出したかったかを……。綺麗事並べるあなたが、どれほど無力なのかを……。私がいた社会に連れていけば、あなたは思い知ることになるはずだった……」
赤黒スーツの狙いは今まで何も知らなかった。デブ男と関係があるのを知ったのは最近だったし、関わる意味がよくわからなかった。だが、やはり、第一印象の通り、先生のように、何か高尚な目的を持った人物だったようだ。だから、この人の言っていることを、真っ向から否定する気にはなれなかった。
「あなたのような人を見ると……私は思い出すんです。私の近くにいてくれた友人を……」そいつはもう重くなった瞼を開けるのを諦めていた。その代わりに、何か懐かしむように、やけに妖美な顔を天井に向けながら、笑みを浮かべていた。
「そんな思い出も、存在も、いずれ私の前からいなくなるんです。光を失った星のように…………――――」
そして赤黒スーツから言葉が止み、静かに床に倒れた。また一つ生命活動が終わったように見えて、より一層今いる部屋が暗く感じた。
「……いこう」私は詩乃を忌まわしき部屋から遠ざけようと促す。
「うん……」詩乃は応答し、赤黒スーツの様子を伺いながら、その部屋から遠ざかっていく。
私も、詩乃に続いて部屋から離れようとする。私が扉の前からずれると、薄い光が部屋の外から当たり、赤黒スーツの顔が弱く照らされた。その瞼の下には、光が反射する水が滴っているように見えた。私には、その人が、過去の私と同じように、制服を着ているくらいにまだ幼く、か弱い存在に思えた。
でもそれは一瞬の景色だったから、錯覚だったかもしれない。
ただ、その時はそのようにみえただけだ。




