第19話「独り言」
史の心も放課後になる頃には自分から勝也をF組の教室まで迎えに行こうというところまで落ち着いていた。ただB組からF組までの道すがら、今朝の気まずさを一変する最初の一言が未だに見つからない。
”おい、帰りどうすんだよ?近藤。チャリンコ取り返してこいよ。お前のせいでこんなことになったんだ。責任とれよ”
こんな感じはどうだろう?…でもこれじゃまた言い合いになる…もうちょっと歩み寄ったほうがいいかな…こんな感じは?
”まあ考えたら俺にも少し責任あるしよ、一緒について行ってやるから川上んとこ行って自転車返して貰おうぜ”
うーん…返して貰おうなんて言ったら”今日の今日で返してもらえるわけねー”っていうかもな…
こんなセリフの準備と、そして”少し気まずくなっただけでまだ関係は修復できる”そう自分に言い聞かせながら史はF組の教室に入っていった。が、当の勝也の姿はいつも突っ伏している机にも、教室内にもどこにも見えない。
「なんだよ。先帰ったのかよ…」
いないと認識した瞬間にいつの間にか入っていた力は抜け、気持ちが思わず独り言となって溢れてしまった。独り言は数人の生徒たちの視線を集め、その瞬間史の中で恥ずかしさが一気押し寄せ、逃げるように足早にF組を後にした。
「チャリンコがねー俺には用もねーってか!ったく没収されたのはテメーのせいなんだからよ!テメーがなんとかしろってんだよ!」
注目を集めた恥ずかしさも相まって校舎脇で一人になったとたんにやり場のない気持ちが独り言になって爆発した。もちろんこんな状況でこんな独り言いってるヤツだって恥ずかしい。それはわかってる。けれど人に独り言を聞かれ”独り言を言うヤツ”とそう思われたと思うとそれはもっと恥ずかしく、この感情はさすがに吐き出さずにはいられない。
史が校舎脇の職員用の駐輪場に来たのは”没収された自転車はここに集められる”そんな話しを聞いたからであった。ここに止められている自転車は通勤している教師の私物や学校周辺のパトロール用で使用する自転車だ。
(ちゃんと鍵かけてんだろーな…俺の自転車にも)
どの自転車にもしっかりと鍵がかけられている。教師の私物や職員用の自転車といえ、ここの生徒たちは容赦なく盗んでしまうのだ。ここに来たのは自転車を取り返しに来たわけではなく、自分の自転車に川上がしっかり鍵をかけているかどうかを確かめたかったから。おそらく自転車自体は自転車通学の禁止が解ければ帰ってくる。しかしそれまでに自転車が盗まれてしまってはたまらない。自転車に鍵がかけられていることが確認できれば安心できる、そう思ったのだ。
ここに止められている自転車の台数は全部で20台ほど。その数で自分の自転車を見逃すことなど考えられない。でもなんども見回しても自分の自転車はない。
「は?まさか取られたんじゃねーだろーな!?鍵…しっかりかけたのかよ!?」
そしてまた独り言が出てしまう。
職員用の駐輪場を諦め、生徒用の駐輪場を見回るがやっぱりない。
(んだよ…くそ…校舎の中のどっかに隠してるとかか?)
校内を探し回っても自転車は見当たらず、というかどこを探せばいいのか見当もつかず、とりあえず史は自転車を一旦諦めて隆則との約束もあるので中のジムへ向かった。
ジムへの道すがらでは色々なことを考える必要があった。
”自分一人がジムに行ったところで植草の何が変えられるのか、そしてなんと言葉をかければいいのか”
それから
”自分にそんなことを言う筋合いがはたしてあるのかどうか”
自転車のこともまだ気になっていたが、中のこと、そして勝也のことも頭の片隅で考えた。でも中のことも勝也のことも一人では答えが出そうになかった。
(植草とは会って話してみるしかねえよな…あいつは…近藤は誘っても絶対来ねーだろうし…)
自分一人では答えも出せないし、行動を起こしても何かを変えられる確証もない。そう考えると急に虚しくなってくる。
(でもなんでこんなことやってんだろ俺…別にジムなんていかなくったってもいいし、近藤ともこれっきりだっていいし…なんでこんなこと…)
そんな考えに支配されそうになった時、史は今朝クラスメイトの長浜から聞いた話を思い出していた。
「なんやねん!!いったいなにモンやねん!松本くんは!」
今朝の隆則や丈一とのやりとりを見ていたらしい長浜は、史が隆則と丈一と別れ、教室に戻るなり飛びついてきた。
「あの二人とどういう関係なん!?なあなあ!どういうことやねん!」
「あの二人?…ああ…どういうって、とくになんでもねえけど。さ…サカガミ?って人は昨日会ったばっかだし、もう一人の…そういえばあの人なんてんだ?名前言ってたかな?」
「丈一さんや!!」
長浜のボリュームにクラス中が反応する。
「あかん…!呼び捨てにしてもうた…殺される…」
「ハハッなんだそれっ」
「なにわろとんねん!笑い事ちゃうぞ!」
「ご…ごめん」
「ええか…?」
そういうと長浜は周りを気にしながら
「まず、あの丈一さんって人は顔はめちゃめちゃ不細工やけど喧嘩はめちゃくちゃ強いねん。龍さんや新さんなんか眼やない…隆則さんに次いでこの学校で喧嘩が強い人や。隆則さんには一年の頃から何度も挑戦してきたらしいけど一度も勝ったことがないらしいわ。でも間違いなく強い。顔はめちゃめちゃ不細工やけどな…」
間近で見るお前の顔も負けてない。そしてそんなこと丈一って人に聞かれたら呼び捨てどころではなく、それこそ無事では済まされないのでは?史はそう言いたかったが気持ちよさそうに喋っている長浜を見て今は止めておいてやった。
「そんで隆則さんや。サカガミやないで坂本や。あの人は入学当初から凄かったらしい…一年生やで?今の俺らと同じ一年の時に当時の三年生みんなイワしてこの学校シメてもうたんや。一年と三年言うたら体格も全然違う。それを一人でやで…それからはもう隆則さんの一人天下で、挑戦するのは校内じゃ丈一さんぐらいやったらしい。不細工な丈一さんは顔でも喧嘩でも隆則さんに勝たれへん勝ったらしいけど…
それからや、隆則さんが二年になっていよいよ龍さんと新さんが入学してきた。同じ小学校やったあの二人は入学早々一年の目立つやつを協力してシメてまわって配下につけていったんや。それで作ったんが龍新會、今の二年軍団やな。そして人数まとめ上げた龍さんと新さんはいよいよ隆則さんへ挑戦した。龍新會のメンツは他の中学に行った同学年のツレも集めて100人近くを集めたらしい…100対1やで?当時の隆則さんは強かったけど周りに誰もおらんでな…さすがに勝たれへんやろと思うやろ?でもな、勝ったんは隆則さんやってん。勝因ちゅーか理由は丈一さんや。丈一さんがそん時隆則さん側に周ったことで100対2の戦争に勝利したっちゅう話や…それでも100対2なんやけどな…どや?しびれるやろ?すごい二人やろ?」
「なんで丈一って人はそんな不利な状況に手を貸したんだ?」
「それは……しらん…」
「…」
「とにかくや!あの二人はものすごい人たちやねん!…それがなんで!?なんで松本くんみたいなもんがあの伝説の二人と…!?」
「みたいなもんで悪かったな…伝えてやろうか?さっきの不細工のくだり」
「あかん!それだけは勘弁して!」
そう言ったがそんなことは出来なかった。まだ一度も言葉を交わしたこともない相手にそんなこと言える筈がない。それに勝也に詰め寄るあの表情、丈一という人のあの迫力を前にはまともな会話だって出来そうにない。こんなこと、少し考えればこんなこと分かるだろうが長浜にとっても丈一という男はそれだけ恐怖の存在なのだろう。
「あ、それから…もう一人」
「もう一人って隆則さんや丈一さん側にもう一人いるってこと?」
「うーん繋がりがあるとは言い切れんのやけど、もう一人キーマンがおんねん、この学校には。今はその人少年院におるらしいんやけどね」
「少年院って…中学生だろ?」
「そ、中学生。小学校の時から色々やらかしてたらしいねんけど、実際に院に送られたのは中学になってかららしい…ま、そんな物騒な人がもう一人おんねんこの学校には…ほんま、通う学校間違えたわ。転校しよかな…」
(そういえば俺が龍新會に捕まっちまった時、近藤もあの丈一って人が隆則さんとこに駆けつけたみたいに不利な状況でも俺んとこ駆けつけてくれたよな…それって普通のことなのか…俺だったら…)
そんなことを思い出しているうちに史はいつの間にかジムの前に到着していた。
「え?…これ俺のチャリンコじゃん!?あ、え?鍵!!」
そこにあった史の自転車の姿は、鍵は無残に壊されていておまけに悪あがきした後の様にタイヤのスポークも何本か切ろうとした形跡もある。
「くそッ…だれがこんなこと…!」
ハッとジム内の何かに勘付くと、史は目の色を変えジムに入って行った。そして入るなり荒げた声はリング上で準備する一人の男に向けられる。
「近藤ー!オメーなー!」
「おーきてくれたか!お前もこっちこいよ!」
史の声に反応したのはリング上で勝也にバンテージを巻いてやっている隆則だった。こっちをみて声を上げている。
「こ、コンチワ」
軽く頭を下げてから勝也に詰め寄ると、こちらを見ようともしない勝也に史はまた豹変した。
「テメーだろ近藤!俺の自転車あんなにしやがったの!?鍵までぶっ壊しやがって…どうしてくれんだよ!」
「うるせーなギャーギャーと…さっきのこいつんときの態度と全然違うじゃねーか」
勝也は史の目も見ずにそう応えると、隆則に早く巻いてくれよと小さな声で言った。
「ギャーギャー騒いであたりめーだろうが!オメーは自転車ぶっ壊してんだぞ!オメーのじゃねえ!おれのだ!」
「悪かったよ、あとでしっかり謝るからよ、ちょっとだけ待ってろよ」
「…んだよ…」
珍しく言い返してくることもなく素直に謝る勝也にさっきまで押し寄せて来ていた感情の波は嘘のように遠くに引いてしまい、もうその音は聞こえない。
勝也がつけてもらった右左のグローブどうしを二、三度合わせて手に馴染ませると、リング上の静かな海面にゴングの鐘が波紋を作った。そして史の目にやっと対角コーナーの中が映る。
「おいおい…まさかまたスパーリングやんのかよ!昨日あんなに完膚なきまでにやられたんじゃねーのかよ!」
史の心配をよそに勝也は中の元へとダッシュする。
中はこれを脚を使ってかわす。打ち合うことはしない。
「左!左!そうだそれでいい!そいつを中心にして回れ!」中側のセコンドには会長がついているようだ。
しかし中のジャブに昨日ほどの重みはない。勝也の拳を受け止めたその左手は、伸ばす、畳んで顔の近くまで戻す動きを繰り返すだけで実は精一杯だったのだ。
「自分は俺や植草とは違うんじゃなかったのかよ」
リング上で中のフットワークに必死に食らいついていく勝也を見上げながら史はそう独り言いった。




