第14話「STARS」
中が兄の修一と別れジムに向かった朝、史の家では母親の階段の上り下りが例の如く行われていた。この日も史は起きてこない。しかしこの日の理由は以前のような”藤森たちにいじめられ、そしてそれを見て見ぬ降りする連中たちと顔を合わせるのが憂鬱であるから”というものではなく、純粋に昨日の怪我で起き上がるのが辛かっただけであった。それと大きな理由がもう一つある。こんな腫れ上がった顔で登校しようものなら一時間目の授業さえも受ける事が出来ずに、校門で生徒指導の川上あたりに捕まり、生徒指導室行きになるのは間違いないと思ったからだ。
「そろそろ起きなくていいの…?」
機嫌を損ねないように問いかける母に史が「わかってるよ」そう返事をしようとしたその時、一階で呼び鈴が鳴った。
母は二階の史の部屋の前から「はーい」と玄関先の来客に聞こえないであろう返事を律儀にしながら玄関へと向かっていく。母親の階段を降りる音を聞きながら、布団から顔を少しだけ出している史に「もしかして…」の考えがその時ふとよぎった。ベッドから飛び降り、玄関先がちょうど見える部屋のカーテンを開けると、そこにはそう、やはり勝也が立っていたのだ。
(やっぱり…)しかし勝也はそんな史の予想を上回ってきている。私服なのである。
応対すべく玄関先に出てきた母親は、勝也のその真っ赤でド派手なジャージ姿に目を丸くしながらも再び家の中に戻ってくる。一方、玄関先で一人になった勝也は二階からの史の視線に気づくと自分の服を大きく指差しながら(し・ふ・く!着て来いおまえも!)と指のジェスチャーに合わせて口も大きく動かして二階の史に合図を送った。サイズの少し大きいそのジャージは袖をまくし上げないと邪魔になるようで、大きくジェースチャーを送ったことでずれ落ちてきたその袖を勝也はせわしくまくし上げている。だが勝也本人は、ずれ落ちてくる袖のうっとおしさなどみじんも感じていないようで、その表情はむしろ”はやくいこう!”と喜び勇んでいる。
(はっ!?なんで!?)大きく疑問と困惑の表情を勝也に返すと、母親が部屋の扉の前から「フミー、友達迎えに来てくれたわよー…」と投げかけていきた。母のその言葉には、先ほどの”息子の機嫌を損ねないように”という慎重なニュアンスよりは、史と同じく疑問や困惑が込められているように感じる。部屋から出た途端に「あの子どうして私服なの?学校にいくのよね?」などと矢継ぎ早に質問を投げてきそうだ。
「わ、わかったって…!」史の返事を聞いた母親は階段を降りて一階へと戻ってゆく。史は(し・ふ・く!)とサインを送り続ける勝也に(ちょっと・まってろ…!)と両手の平を広げて”待て”のサインを返し、窓から離れて勝也の視界から外れた。
(どうしよう。私服で家を出て行くのはさすがにちょっと…。大分怪しまれてるし…)ベッドやクローゼットを行き来しあれこれ考えているが、先ほどまで寝ていた脳では考えが中々まとまらない。
(とりあえず出て行かないと…)
一階では二階の史の物音に母親が聞き耳を立てている。洗い物をしながら、リビングの机の上を整理しながら…なんとか何も気にしていない装いを演じているとやっと史が降りてきた。着ているのは…制服だ。階段から降りそのまま足早に玄関へと向かう。珍しく小さな声だったが玄関から出て行く際に「行ってきます」もあった。母親は思い出したかのように「…いってらっしゃい!」を返すが、その時にはもう息子は玄関先で「なんでそんな格好なんだよ!」「お前こそなんで制服なんだよ!」「いいからいくぞ!」などと迎えに来た少年とやりとりをしている。
自転車で二人して出て行く息子とその赤いジャージの少年の姿を見送る母親は、息子とその少年の関係について不安感を抱くことを忘れ、家では見せた事がないようなその息子の表情にしばらく見とれていた。
「つーか、また俺が前かよ!」
後ろで涼しげな勝也に、運転手である史が何度も振り返るこの二人乗りの自転車進みが悪い。
「うるせーな!自転車乗れねーんだよおれは。」
「うそつけ!」
「てか私服着て来いっつったろ?なんで制服なんだよ!」
自転車の運転席から振り返り、史は勝也にしたり顔を向けると、自転車を片手で支えつつ器用に上着を脱いだ。その瞬間、後部座席の勝也の目の前には鮮やかなブルーが広がる。高くなっているそのブルーのジャージの襟部分は制服の詰襟から出ないように、折りたたんであった。ジャージの襟元を直し、ファスナーを首元まであげながら史は「こんなカッコで家から出れるかよ」と少し照れくさそうに勝也に言った。
「ケッ…!」かっこつけんなと勝也は明後日の方角を見て顔を歪ませる。そして憎らしくもう一言。
「つか、ダセーぞ。その上ジャージで下学ランって」
「うるせー!自転車漕いでんだから下は無理だろっ!」
運転手の史はフンッと鼻を鳴らし、宛てもなくいつまでも走り続けるのはごめんとばかりに勝也に質問する。
「てかどこ行くんだよ?」
「ゲーセン。どっかあんだろ?」
勝也はこの町に来たばかりだ。街の情報はない。対して、聞かれた史のほうも小学校から中学に上がったばかり。大した友達もいなかった小学生時代に、家から離れた街に出て遊んだ経験などなく対した情報などない。
「たしか商店街に…」
「たしかって、お前この街の人間だろ」
「しょうがねーだろ、そんなこと言ったって行ったことねえんだから!」
「わかったよ!…怒んなよ…じゃあその商店街まで!運転手さん!」
「だから誰が運転手さんだっ!…エラそーに!」
「あっ…」
「今度はなんだよ…!」
「センコーに見つかると面倒だから、裏道で頼むよ運転手さん」
「くそッ…わかってるよ!」
赤と青のジャージの少年たちの自転車は中学校を迂回し街へと入っていく。
街…はたしてここは街と言っていいだろうか…
目立つ建物と言ってもホームセンターやスーパーが1店舗ずつ。2階建ての屋上駐車場を持つデパートが一つあり、だだっ広い駐車場を持つコンビニが2つある程度だ。
そして車が無いと生活に不便で、住人たちは高齢者のみで構成された家庭意外のほぼ全ての家庭が一家に一台、少なくとも車を所有している。
二人が目指す商店街はそのホームセンターやデパートを抜けて、少し住宅地に入った場所に位置する。この商店街はいわゆるアーケード商店街で、店舗は道路を挟んで向かい合うように立ち並び、その中央の道路全面を屋根が覆っている。強い日差しを守る目的で分厚い天蓋で覆われているため、商店街全体が入り口と出口、交差点などの場所意外は昼でもやたらと暗いのだ。
商店街に入っていくと、史が乗る自転車のライトが暗さを感知して点灯する。
「なにここ?暗くね?買い物しねーだろ誰もこんなとこで?」
「しょーがねーだろ、ゲーセンっていったらここしか知らねえんだから」
商店街の店内には電気をつけて営業している店舗が何店舗が点在していた。
「てか、やって行けんのかね?こんなとこで商売して」
「お前に心配されちゃおしまいだよ」史のツッコミになんだよという顔の勝也だったが、少しの間、史が回す自転車の車輪をおとなしく聞いていた。商店街は人通りもほとんどなく、その音が際立つ。悪くない。
「なんともなかったのか?昨日の晩は?」
静かにしていた勝也が珍しく史に質問をしてきた。
「えっ?なにが?」
「だから帰って何も聞かれなかったのかって、親とかによ」
「あー別に…」
自転車の車輪を回す音は変わらず一定のリズムで聞こえている。すこしそっけなかった。史が補足する。
「興味なんかねーんだ。ほんとうのところでは。あの人たちは俺に対して」
「…あ、コロッケうまそー!くいてー!!」
「んだよ!聞いたんじゃねーのかよ!」
「…じゃあ、なんで制服の下にそれ、着てきたんだよ?別に気にしてねーならそのまま来ればいんじゃねーの?」
ペダルを漕ぐ足は一瞬止まったが、また一定の速度で回り始める。
「…別に、色々心配させるのが面倒なだけだよ」
勝也はそれ以上は聞かなかった。自分が知らない事情があるのはわかったがそれ以上は聞かなかった。いや、聞けなかった。それは自分も史に対して同じだったからだ。
そんなことを考えていると自転車は止まった。
「ここだよ」
それは雑居ビルの前。一階の店舗はシャッターが下りている。
「んだよ?どこにあんだよ?」
史が指差したのは2階の灯りがついた窓。取り付けられた看板には、黄色い電飾文字で“STARS”と書かれ、青い電飾でその文字を囲うように装飾がされてある。
「すたーあーす??」
「…スターズっていうらしいぜ」
「そんなことより、ここ本当にゲーセンか?スナックとかじゃねえの??」
「いやだって商店街にスターズっていうゲーセンがあるって聞いたぜ…同じ名前の店なんてこんな小さい商店街でねえだろ」
「松本お前、それ誰情報?」
「いや、藤森たちが話してるのを前ちょっと聞いて…そういえばって」
「小耳に挟んだ程度かよ!どうすんだよ、スナックで変なババアとかが出てきたら!」
あちゃーと顔に手を当てる勝也を史はいたって冷めた目で見て
「とりあえず行ってみりゃわかるだろ?せっかくここまで来たんだし、いこーぜ早く」
「おいおい、なんかよくわかんねえとこで肝据わってんなお前…」
自転車を止め、そそくさと階段を上がっていく史に、「ちょ、ちょっとまてよ」と続く勝也。
薄暗い少し急な階段の先にぼんやりとオレンジ色に光る電飾。その下にあるドアをギィっと引いて二人は中に入って行った。




