「動き出す影、揺らめく闇」第二節
それから、十日の日にちが流れた。
「目覚めろ、弥生」
弥生がバイオ水槽の中で、再び目を覚ました。楓と同じ青灰色の瞳がゆるり、とアンドロイド研究所所長の森川大和を見る。研究員たちが弥生をバイオ水槽から出す。
最後の仕上げでもあった。
「マスター」
「私のことは大和と呼べ」
「かしこまりました。大和」
弥生は膝まずく。
その姿は洗礼されていた。かつての活発な少女の面影は、そこにはなかった。
「家族を覚えているか?」
「いいえ、全く。それがどうしましたか?」
弥生の癖のない髪をさらり、とすく。
話は十年後へと戻っていく。
「おい……サンプルが不足しているぞ」
「用意をしていますが足りません」
交わされる研究員たちと、毎日繰り返される実験の日々が続いていた。人間からアンドロイドへと変えていく実験は、止まらず進められている。
実験で次々と亡くなっていく、子どもたちの姿があった。実験に使われている子どもたちは、家にも学校にも居場所がない物が選ばれていた。
誰にも愛されない子たちである。弥生もそういった認識でいた。
「手ごたえがあるものだと思っていた。人間の命なんて脆いものね」
「弥生」
いつの間にか、大和が隣に立っていた。一見、穏やかそうに見える。使えない者は切り捨てていく性格だった。
周囲にも恐れられていた。
それが、弥生から見た大和の評価だった。
「大和自ら研究を見に来るとは珍しいですね。どうかしましたか? 実験の計画に変更でも?」
アンドロイド研究所設立は、大和の悲願だと聞いていた。説明すら全部聞いていない。弥生も聞き流していた。いちいち、聞いてなどいられない。
「実験自体に変更はない。弥生。お前が来て十年になるよな?」
「そうなりますね」
「私と一緒に戦うつもりはないか?」
「私が?」
「自信がないのか?」
「自信はあります」
そのために、厳しい訓練にも耐えてきた。耐え抜いてきた。戦いたい。戦って勝ちたい。アンドロイドとして生み出された者の本能だった。選抜として選ばれるのは名誉でもあった。人間を滅ぼし、アンドロイドが日本を支配する。
破滅するのは人間だ。
アンドロイドではない。
「お願いします」
「その貪欲さが弥生らしいな」
弥生も貪欲さの自覚はあった。湧き上がってくる要求を抑えられない。
――ふふ。
――人間たちの歪む顔が早く見たい。
――木っ端みじんにしてあげる。
――力でねじ伏せてあげるわ。
――私たちが正しいのだと教えてあげる。
妖艶な笑みを浮かべる。
誘うために甘い蜜を滴らせていた。密で相手を誘って、一突きで逝かせる。まさに、「悪女」と呼ぶにふさわしかった。
「それは、大和も同じでしょう?」
「私とお前は同類だな」
「悪女」の部分を含めて大和に一人前のアンドロイドとして、認められた。普通に会話をしているが、二人の間に絆はない。必要最低限の会話をするだけだった。
それだけで、十分である。
弥生の方は失敗すれば、いつ殺さるのか分からない。殺伐とした中で勝ち残ってきた。勝ち抜いてきた。お互いを探りながら、研究と実験を重ねてきたのである。
「私は負けません」
弥生には確信があった。
「その言葉を信じているからな」
「大和から信じるとの言葉が出てくるとは思っていませんでした」
「頼んだぞ」
「ええ。お任せください」
大和が出て行くのを横目で見ながら、放置していた資料に目を通す。
桐原楓
大手有名企業――桐原コーポレーションの養子となる。
現在はアンドロイド対策部隊・桐原藩の第二副隊長を務める。
資料には楓の名前が載っている。部隊の弱点も手に入れたかったが、警察のセキュリティも厳しい。簡単に詳しい情報は手に入らなかった。
部隊にもそれなりにパソコンに、特化した人間が在籍をしているのだろう。だが、邪魔になるなら殺すだけだった。邪魔者はこの手で、消し去るのみである。
――生きていられると思わないで。
瞳を細める。
持っていたワイングラスを握りしめた。紅い液体が滴り落ちていく。床に落ちていく液体は『血』を連想させた。
暗さを引き立たせる。
「勝つのは我々アンドロイドだわ。人間ごときに負けるわけがない」
呟いた言葉は部屋に広がっていく。復讐の幕が上がろうとしていた。




