「遠い未来、失った過去」第二節
「――雪だ」
病室から外を眺めていると雨が雪へと変わっていった。雪が激しくなって積もり始める。昼のニュースで初雪が降ると言っていた。
唇を噛みしめる。
思い出が蘇ってきた。
「楓!」
楓の体に白い雪玉があたった。振り返ると弥生が雪を持って笑っている。
「お姉ちゃん、やったな!」
負けないと雪玉を作って投げ返す。
「楓もやるじゃない」
くしゅん、とくしゃみをした。弥生に何時かと聞く。返ってきた時刻は午後十二時四十五分。体感としては三十分だった。実際の時間は一時間経過してしまっている。
体が冷えるはずだ。
「お姉ちゃん」
「なぁに?」
「また雪遊びをしようね!」
「うん。約束」
初雪にはしゃいでいる子どもたちを見ながら、ぼんやりと過去を回想していた。ぼやけていた視界の感覚を取り戻していく。白い天井と布団で病院のベッドの上だと思い出す。
看護師からも誘さわれたが、今はそんな気持ちにはなれない。窓のカーテンを閉めた。思い出せば今日は誕生日である。
『誕生日、おめでとう。楓の成長を見られて私は嬉しいわ』
『あの小さかった楓も小学校が入学近いのか。感慨不快な』
『楓はちゃんと私が送り迎えをするから大丈夫! 安心して!』
家族で盛り上がって幸せの絶頂だった。毎年、祝ってくれた家族はいない。
抱きしめてくれる腕もない。
笑顔は見られない。
二度と会えない。
声は聞けない。
――どうして?
――また雪遊びをしようと約束したじゃないか。
――成長を見るのが楽しみと言ってくれたじゃないか。
こんなに早く家族と別れるなんて思っていなかった。幸せな日々が崩れ落ちていくとは、考えもしなかった。この平穏が容易く壊されるとは予想もしていなかった。
暗闇と絶望の中で。
夢も希望もない中で。
どうやって、生きていけばいいのだろうか。
何を信じればいいのだろうか。
どこへ向かえばいいのだろうか。
――なぜ、僕だけをおいていなくなってしまったの?
――死んでしまったの?
――誰か教えて。
――答えてよ。
一人残された孤独感に襲われるぐらいなら、一緒に死にたかった。
今の楓に何の価値があるのだろうか。
何を見出せるのだろうか。
家族すら守れなかった自分に何ができる?
非力さに打ちのめされた。
心が壊れていく。
眠れない日々が続いた。
生きているだけで、十分だと言われた。涙は泣くだけ泣いて乾いてしまっていた。泣き方すら忘れてしまった自分がいる。
吐き気を感じてベッドから立ち上がった。トイレに駆け込む。
「かっ――はっ、ぅ」
胃液交じりの血を吐き出す。
怒りの力に体が負けてしまった。
怒りに負けたのは初めてだった。
満足に動けない。
苦しさしかない。
いつから、この体はこんなに弱くなってしまったのだろうか。
脆くなってしまったのだろうか。
鉛が入ったみたいに重い。自分の体が自分の物ではないと感じでいた。誰かに全身を操られているみたいである。ぱしゃり、と顔を水で洗う。タオルで顔を拭いていく。
吐き出したはずなのに、気持ち悪さは纏わりついてくる。絡みついてくる。荒れ狂う感情を押されられる解決方法は一つだけだった。
それならば――。
――己の手でアンドロイドを殺してやる。
――闇に葬ってやる。
己の手が汚れようとも、戦うしかないと青灰色の瞳には決意が浮かんでいた。
「入ってもいいかな?」
「どうぞ」
楓が返事をすると、蓮が入って来た。白い箱を持っている。ケーキで間違いはないだろ。
「雪が降り始めたな。寒くないか?」
「大丈夫です」
「今日、誕生日だろう?」
「覚えていてくれて嬉しいです」
にっこりと笑う。
「いい子」の楓を演じていた。
そうするのが、一番嬉しいのだと知っている。フォークを手に取った。おいしそうにケーキを食べる姿を演出する。
少しずつケーキを食べていく。
ゆっくりと飲み込んだ。
本来なら、吐き出してしまいたい。何も口にしたくなかった。砂を噛んでいる感触しかなかった。
「一緒に暮らすかもしれない子の誕生日を忘れるわけないよ」
「長谷さんは?」
「葵は先に仕事に行かせたよ。なぁ、楓君。俺たちは傍にいるからな」
――思っているのなら、僕と代わってほしい。
――言うだけは簡単だよね。
――心の痛みは桐原さんには分からない。
楓はそこまで出かかった言葉を堪えるしかなかった。
どれぐらい立ち尽くしていただろうか。
両肩に積もった雪の冷たさと感触で現実に引き戻された。周囲もうっすらと雪化粧をしている。この先、雪を好きになれなかった。楽しかった時間がかすんでしまう。
――それでも、自分が決めただろう?
アンドロイドを絶滅させるまで、後戻りはできない。戻れないところまできてしまっていた。
――仕事中に私情を持ち込むなんて失格だな。
口元に笑みが浮かぶ。
姿は人ごみに紛れて消えていった。
時は蓮たちと初めて出会った頃まで巻き戻る。
「今、時間いいか?」
「はい」
携帯端末で勉強をしていた手を読めた。勉強と読書をするためにしていた眼鏡を外す。青灰色の瞳が光の加減で不思議な色合いへと変化していく。
「名前について話がある」
「言われると思っていました」
「正式な手続きが終わった。今日から桐原楓だ。無理ばかりを言ってすまない」
「桐原さんが謝る必要はありません」
「俺たちに気遣う必要はないだろう」
「何だ?」
「部隊への入隊手続きをお願いします」
「何て言った?」
「部隊に入ると言いました。力がなければ何もできないでしょう?」
その場の空気が凍り付いた。楓の表情からは何も読みとれない。一言で言えば「無」に近い表情でもあった。
「武器を扱う重さを分かっているのか?」
「蓮さん」
楓が桐原さんではなく、蓮さんと呼んだのは初めてだった。冷静で落ち着いた声色をしている。抑制されている者の話し方でもあった。
数倍大人びていた。
「家族の仇をとりたいと思うのはいけないのでしょうか?」
「楓、お前」
「お願いします。僕も一緒に戦わせてください」
「分かった。手配をしておく」
「ありがとうございます」
楓は蓮に頭を下げた。




