「刻む時間、希望の鐘」第四節
楓は病院の屋上にいた。吹き抜けていく風が髪を揺らしていく。夕日を浴びながら、背伸びをする。よし、と気合を入れた。
首にかけているネックレスを手に取る。今なら終わったよ、と報告ができそうだった。素直な思いを届けられそうだった。久しぶりに開いた家族写真は色あせてしまっている。
写真には「桐原」姓ではなく「沢田」を名乗っている自分がいる。他の人には見せない笑顔で写っている。幼いながらにももう、その名前で呼んでもらえないと理解していて苦しかった。辛くて挫けそうだった。何度も絶望の闇に飲み込まれそうにもなった。
辛さを乗り越えられたのは、蓮と葵がいてくれたからだった。脆さを受け止めて支えてくれた。どこにでもいる子供と同じで、時には厳しく叱ってくれた。
本気で向き合ってくれた。
それに、二人がいなければ居場所をなくすところだった。
思い出を全て失いかねなかった。
この先に未来も危うかった。
楓の頬を涙がつたっていく。
やっと、気持ちの整理ができる。
分かっている。
分かっているから。
子どもみたいになきじゃくるのは最後にする。絶対に強くなる。
強くなってみせる。
弱い自分に別れを告げて、迷いを断ち切ってみせる。
――だから、お願い。
――今だけは愛しい人たちのためだけに泣かせてください。
――立ち直るための時間をください。
思いっきり泣かせてほしいと思った。
「まだ、退院が決まったわけじゃない。体を冷やすなよ」
涙を拭って立ち上がる。
「解散式のことで話があります」
「何だ?」
「僕も解散式に出席をします」
「大丈夫なの?」
二人が心配げに見てきた。
葵と蓮と視線を合わせる。
「僕なりのけじめをつけたいからです」
楓なりに出した結論である。考えた結果、辿り着いた結論だった。
「無理だけはするなよ。それよりも、今日はいい話がある」
「いい話ですか?」
数回、瞳を瞬かせた。
興味はありそうである。
反応としては悪くはなかった。
「楓。アメリカの高校に行くつもりないの?」
「アメリカの高校ですか?」
戦後処理で忙しくなる時期に何を言っているのだろうか。
何を考えているのだろうか。
葵や蓮に反発をしている部隊もある。そこは、桐原班のメンバーが説得をしているらしい。
「僕だけが休むなんてできません。しかも、アメリカの高校だなんて」
「今まで頑張った分のご褒美として思ってくれ」
「私たちに甘えてくれた方が嬉しいわ。それに、楓は縛られているよりも、自由が似合うと思うの」
「葵さんと蓮さんは?」
「俺たちも落ち着き次第向かう。一人にさせるつもりはない」
生活は? と首を傾げる。
何か新たな仕事でもあるのだろうか。
「大丈夫よ。あちらの警察からセキュリティ・ポリスにならないかと誘われているの」
「誘いを受けるつもりで?」
「そのつもりだ」
「結局、警察の仕事からは逃げられない、か」
「まぁ、俺たちの宿命でもあるのだろう」
楓の頭に手をおくと、情報カードを手渡した。
『K.Kirihara』
名前が書かれた情報カードを指でなぞった。ここから、本格的に次の人生が始まるのだと実感をした。
「遅くはないだろう? 自分のやりたいことが見つかる可能性だってある」
「楽しめると思うわよ」
日本の復興はアメリカから見ることになる。アメリカにいてもできる支援はある。ビデオ電話を使って戦争で傷ついた人たちの心のケアを、微力ながらにやっていきたかった。
寄り添っていきたかった。
一人ではないと気付いてほしかった。もちろん、途中で話すことはしない。少しは考えられる余裕ができたのか、と楓は小さく笑った。今みたいな気持ちになったのも心に余裕ができたからである。
落ち着いてきた証拠でもあった。蝕まれた闇は纏わりついてくる時がある。でも、最初みたいに重いものではなかった。徐々に薄くなっていって消滅していくだろう。
「やっと、笑ってくれたわね」
「自然に笑えるには、まだ時間がかかるかもしれません」
「俺たちは待つよ」
「ありがとうございます」
心からまでとはいえないが、終戦後――少しだけ穏やかに笑えた気がした。




