第5話:中途採用(張良)の罠――「こいつ、競合他社からのスパイでは?」
碭郡を落とした劉邦軍は、休む間もなく、西へ進軍していた。
目指すは、秦の首都・咸陽。
破壊神・項羽が、すべてを焼き払う前に。
天下のデータが集まる国家文書庫を、差し押さえなければならない。
だが。
急激な組織拡大は、バックオフィスを崩壊寸前まで追い込んでいた。
「蕭何様! 前線から兵糧の追加要請です! 馬が足りません!」
「蕭何様! 新しく編入した元秦兵たちが、給与体系に不満を出しています!」
行軍中の馬車。
揺れる竹簡に筆を走らせながら、蕭何は頭を抱えた。
(……ダメだ)
(サプライチェーンが限界だ)
前世でも見てきた。
急成長した会社が、内部体制の未整備で自滅する瞬間を。
今の劉邦軍は、まさにそれだった。
マニュアルなし。
責任分担なし。
トラブルは全部、CFOである蕭何に飛んでくる。
「おい、蕭何。外に面白い奴が来てるぞ」
馬車の帳が乱暴に開いた。
劉邦だった。
その顔は、また厄介事を拾ってきた時の顔だ。
「CEO。現在、全社的な物流再編中です。要件は一行で」
「なんか凄い企画書を持った、美人みてえな兄ちゃんがさ。『面接してくれ』って来てる」
劉邦の後ろから、一人の青年が現れた。
細い髪。
女と見間違うほど整った顔。
だが、その目だけは違った。
底なしの知性。
人を値踏みする、冷たい光。
青年は静かに一礼した。
「初めまして。韓相国の末裔、張良と申します」
そう言って、一枚の布を差し出す。
「秦の防衛線・嶢関。その無血開城計画を持参しました」
蕭何は布を奪うように受け取り、目を走らせた。
そして。
息を呑んだ。
(……完璧だ)
そこには。
嶢関を守る秦将の財務状況。
隠し資産。
賄賂の流れ。
家族構成。
弱み。
すべてが記されていた。
完全なデューデリジェンス。
張良は。
秦将に対し、
「降伏した方が得だ」
という合理的な提案を行い。
戦わずに城を奪う計画を立てていた。
「信じられない……」
蕭何の額を汗が流れる。
「こんな情報網を、個人で構築したのか……?」
「採用だ!」
劉邦が即答した。
「こんな有能な奴、秒で採用だろ!」
豪快に笑いながら、張良の肩を叩く。
「今日からお前は最高戦略責任者だ! 蕭何、雇用契約書作っとけ!」
だが。
蕭何の脳内で。
警報が鳴っていた。
数字を扱う人間の直感。
それが、張良に強烈な違和感を覚えていた。
蕭何は。
布の最下部を指差した。
「……張良殿。この情報を得るには、秦の軍政中枢への接触が必要です」
張良の眉が、わずかに動く。
「滅亡した韓の名族が、単独で入手できる情報量ではない」
空気が変わった。
「さらに言えば」
蕭何は続ける。
「あなたの計画は、我々を最短距離で咸陽へ向かわせる一方……楚軍を秦軍と正面衝突させ、消耗させる構造になっている」
張良は黙っていた。
「つまり、項羽軍の内部事情に詳しすぎる」
蕭何は立ち上がる。
一歩。
張良へ近づいた。
「張良殿」
静かな声。
だが、刃物のように鋭い。
「あなたの本当のクライアントは誰ですか?」
誰も動かない。
劉邦の笑顔が消えた。
樊噲が剣の柄に手を置く。
「……まさか」
蕭何は言った。
「項羽陣営から送り込まれた、産業スパイでは?」
沈黙。
張良は。
ゆっくり笑った。
その瞬間。
空気が変わる。
先ほどまでの美青年ではない。
乱世の裏側を生き抜いてきた、本物の策士の目。
「……さすがですね、蕭何殿」
張良は懐から、黒い竹簡を取り出した。
血がついていた。
「では。こちらが本当の契約書です」
蕭何の背筋が凍る。
張良は続けた。
「これを見ても、私を処刑できますか?」
竹簡を開いた瞬間。
蕭何の心臓が止まりかけた。
そこには。
楚軍最高権力者からの命令が記されていた。
劉邦宛ての。
絶対不可避の、死刑宣告。
「な、何だこれは……?」
劉邦が竹簡を奪い取る。
張良は静かに言った。
「咸陽を狙っているのは、あなた方だけではありません」
「すでに秦内部では、大規模なクーデターが始まっています」
「そして項羽は」
張良の目が細くなる。
「あなた方が咸陽へ近づいた瞬間、首を刎ねるための刺客を、すでに軍内部へ潜り込ませています」
空気が凍る。
馬車の外。
兵たちの足音が、不気味に響いていた。
「……私の採用を拒否すれば」
張良は微笑んだ。
「あなた方は、次の城へ着く前に、身内に殺されますよ」
背後からの暗殺。
内部崩壊。
創業メンバーの中に、敵の刺客がいる。
信じられるのは。
無能だが妙に人を惹きつけるCEOと。
自分の叩く数字だけ。
「……CEO」
蕭何は筆を握り直した。
「採用面接のやり直しです」
漆黒の竹簡を睨みつける。
裏切り。
謀略。
そして監査。
本当の地獄が、ここから始まる。
第5話:了
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また、歴史ものである本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




