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6/28完結【悲報】転生先でも定時退社できない。――過労死会計士、劉邦のCFO・蕭何になる  作者: 筑紫隼人
第1章:沛県起業と棚卸し無双

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第4話:なし崩しの挙兵プロジェクト――役所を乗っ取った男の初仕事

深夜の沛県役所。


かつて県令が使っていた贅を尽くした執務室は、いまや公認会計士・岡田誠一の魂を持つ蕭何によって、臨時の「限界修羅場オフィス」へと変貌していた。


床にうずたかく積まれた竹簡の山。


その隙間で、部下の役人たちが疲れ果てて泥のように眠っている。


エアコンのない夜の執務室は蒸し暑く、油灯の芯がパチパチと爆ぜる音だけが、不気味に響いていた。


蕭何は、すっかり擦り切れた筆を握ったまま、木机の上に広げた「沛県周辺の兵站予測図」を睨みつけていた。


(……詰んでいる。完全に、キャッシュアウト(破産)だ)


頭の中で、前世で愛用していた12桁の電卓のキーを叩く音が幻聴となって聞こえる。


楚軍本部からの命令は、秦軍の要衝である「碭郡とうぐん」の攻略。


しかも、軍資金も食糧もすべて「自己負担(自己調達)」という、下請けいじめの極みのような条件だった。


現在の劉邦軍の財務諸表バランスシートを脳内で組み立てる。


資産アセットは、先ほど脅し取ったばかりの気性の荒い歩兵三百。


および、劉邦が街から集めてきた、武器の持ち方すら怪しいゴロツキや農民の志願兵、約千名。


負債ライアビリティは、彼らを一日食わせるだけで消費される膨大な兵糧。


そして、劉邦が地元の酒場に残してきた山のような「使途不明のツケ(未払金)」。


純資産(純キャッシュ)は──実質、ゼロ。


「戦う前に、全社員が餓死する決算書だな、これは」


蕭何は乾いた笑いを漏らし、痛むこめかみを押さえた。


前世の監査法人時代、放漫経営で倒産寸前になったベンチャー企業の監査を何度もやった。


だが、これほど見事な「資本金ゼロのデスマーチ」は見たことがない。


「おい、蕭何。まだカリカリやってんのか。冷えるぜ、これでも食え」


背後から、無造作に衣服の胸元をはだけた劉邦が歩み寄ってきた。


その手には、泥のついた焼き芋が握られている。


この男は、全軍の命がかかった危機だというのに、まるで明日の天気を心配するような気軽さでそこに立っていた。


「CEO。他人の徹夜中に、オフィスで食べ物の現物支給を行うのは控えてください。集中力が削がれます」


「冷たいこと言うなよ。ほら、樊噲の奴が『蕭何が死んだら俺たちの経費精算が永遠に通らなくなる』って泣きそうな顔で焼いてくれたんだ。食え」


劉邦は焼き芋を蕭何の机にドンと置くと、その横の竹簡を数枚、興味深そうに持ち上げた。


当然、数字が読めない彼は上下逆さまに持っている。


「で、どうなんだ? その竹の板を睨みつけたら、金や米が湧き出てくるのか?」


「湧き出ません。ですが、資本金がゼロの企業が市場で生き残るための『禁じ手』なら、私の脳内にいくつか登録されています」


蕭何は筆を置き、劉邦の底知れない瞳を真っ直ぐに見据えた。


「劉邦殿。軍資金がないなら、市場から『調達』するしかありません。それも、ただ借りるのではなく、相手の資産を担保にして、こちらの元手を一銭も使わずに巨大なキャッシュを動かす──前世の言葉で言えば、『LBOレバレッジド・バイアウト』を執行します」


「えるびーおー……? なんだその呪文は」


「簡単に言えば、地元の金持ち(豪族)たちの財布を、我々の人質にするということです」


蕭何は冷酷な笑みを浮かべ、一枚のリストを叩いた。


そこには、沛県で最も裕福とされる豪族──「りょ氏」をはじめとする、地元の有力者たちの名が並んでいた。


翌朝。


沛県役所の大広間に、街の富を牛耳る豪族や商人、約三十名が集められていた。


彼らの顔には、明らかな不快感と警戒心が浮かんでいた。


前県令が暗殺され、地元のゴロツキの親分だった劉邦が新しいトップに座ったのだ。


どうせ「軍資金を出せ」と脅し取られるのだろうと、誰もが財布の紐を固く締めている。


大広間の上座には、借りてきた猫のように大人しく座らされている劉邦。


そしてその横に、冷徹な事務官のローブを纏った蕭何が、大量の竹簡を抱えて立った。


「皆様、本日はお忙しい中、我が『劉邦軍・第1期事業説明会』にお集まりいただき、誠にありがとうございます」


蕭何の発した、乱世の中国には似合わない整然とした挨拶に、豪族たちがざわざわと色めき立つ。


「主吏掾・蕭何よ!」


最前列に座っていた、地域最大の資産家である初老の男が、机を叩いて立ち上がった。


「回りくどい挨拶は抜きだ! 我々を集めたのは、戦の資金を寄こせという要求だろう! だが断る! 我々が汗水垂らして蓄えた米や金を、どこの馬の骨ともわからぬ劉邦のごとき男の『無謀な挙兵』に溶かされてたまるか!」


他の豪族たちも一斉に同調し、怒号が大広間に満ちる。


上座の劉邦が「うわ、めっちゃ怒ってるじゃん」という顔で蕭何を横目で見た。


だが、蕭何は全く動じない。


むしろ、その怒号を待っていた。


「……皆様、大きな誤解をされているようです」


蕭何はパチンと手を叩いた。


その鋭い音が大広間の空気を引き締める。


「私は皆様に、『寄付』や『税』を求めているのではありません。本日は、皆様の資産を十倍、百倍にするための『最良の投資案件』をご提案しに来たのです」


「投資……だと?」


豪族たちの動きが止まる。


「ええ。皆様は現在の状況を『劉邦による無謀な反乱』と見ておられる。しかし、それは極めて視野の狭い『短期的なリスク評価』です。マクロな視点で市場(天下)を見てください。現在、秦王朝の国力は完全に失墜し、各地で諸侯が乱立しています。遠からず、秦は確実に滅びる(市場から退場する)。……ここまでは同意いただけますね?」


豪族たちは顔を見合わせた。


確かに、それは誰もが肌で感じている歴史の必然だった。


「では、秦が滅びた後、この沛県はどうなるか。どこか別の強力な諸侯に侵略され、皆様の資産はすべて強奪されるでしょう。つまり、皆様の現在の総資産は、数年以内に『価値ゼロ』になることが確定している、ハイリスクな不良債権なのです」


蕭何は竹簡を一枚掲げ、豪族たちを指差した。


「ですが、もし今、この沛県に『自前の軍隊セキュリティ』を持ち、その軍が次の時代の覇権を握る大企業へと成長したらどうなりますか? 今、劉邦軍というスタートアップに投資しておけば、将来、その国が天下を取った時、皆様は『建国の功臣』として、現在の百倍の領地と利権リソースを手に入れることができる。これは、人生最大のレバレッジ(てこの原理)を効かせた、ハイリターンな投資コミットメントなのです!」


「ふ、ふざけるな!」


別の商人が叫んだ。


「言うのは簡単だが、劉邦の軍など、軍資金すら満足にない零細ではないか! 勝てるエビデンス(証拠)がどこにある!」


「エビデンスなら、いま皆様の前にご提示しましょう」


蕭何は冷徹な声で言い放った。


「我々はこれより、秦の要衝である『碭郡』を攻撃します。碭郡の倉庫には、秦が周辺から吸い上げた数万石の兵糧と、莫大な金銀財宝が眠っている。……つまり、我が社の『最初の買収対象ターゲット』です。皆様には、この碭郡の資産を担保にして、今ここで兵糧と武器を『前借り(現物出資)』していただきたい」


「馬鹿な! もし戦に負けたら、貸した米は返ってこないではないか!」


「負けません」


蕭何は一歩進み、大広間全体を威圧するように声を張った。


「もし劉邦軍が敗北すれば、碭郡の秦軍はそのままこの沛県に押し寄せ、皆様を『反逆者の協力者』として一族もろとも皆殺しにするでしょう。なぜなら、先ほど皆様がこの役所に入られた瞬間、我がバックオフィス(役人たち)が、『地元の有力者全員が劉邦の挙兵に賛同し、軍資金の出資を契約した』という偽の連名帳簿を作成し、すでに外部へ向けて発信したからです」


「な、何だとぉぉぉーーー!?」


豪族たちの顔が、一瞬で土気色に変わった。


上座の劉邦すら「おい、蕭何、お前マジで容赦ねえな……」と引いている。


「皆様は、すでに我が劉邦軍と運命を共にする『連帯保証人』なのです。我々が勝てば莫大な利益。我々が負ければ全員死亡。……さあ、投資コミットメントの契約書に判を押しなさい。拒否する者は、今この場で『リスク管理条項』に基づき、秦軍への内通者として財産を没収します」


沈黙が、重く大広間にのしかかった。


誰もが、目の前の「若きエリート事務官」の皮を被った悪魔のロジックに、完全に退路を断たれたことを理解した。


暴力ではなく、システムによって財布を人質に取られたのだ。


「……わ、分かった。米五百石を、出資する……」


一人が震える手で署名すると、堰を切ったように、全員が契約書に血判を押し始めた。


「毎度あり。皆様の投資は、適正な会計基準で運用することをお約束します」


蕭何は完璧なビジネススマイルで、竹簡を回収していった。


元手ゼロ。資本金ゼロ。


そこから、沛県の全豪族の資産を担保レバレッジにした、総勢三千の武装兵と、三ヶ月分の兵糧という「莫大な初期キャッシュ」の調達が、ここに完了した。


数日後。


潤沢な資金と兵糧、そして豪族たちから提供された一級品の武器を装備した劉邦軍は、破竹の勢いで碭郡とうぐんへと進撃した。


戦場の指揮は、劉邦の「野生の勘」と、体育会系営業部長こと樊噲の「猪突猛進」が凄まじいシナジーを発揮した。


もともと物資の不足に喘いでいた秦の守備軍に対し、蕭何によって完璧に構築された「前線サプライチェーン(兵糧の定時補給)」によって、常に腹一杯の飯を食っている劉邦軍の士気は異常なほど高かった。


「ウオオオオーーーッ! 経費精算のために、この城を落とすぞーーー!!」


樊噲が、もはや何の予算の話か分からない怒号を上げながら、城門を巨大な斧で叩き割る。


「ガハハ! 押せ押せ! 蕭何が後ろで金の計算してくれてんだ、何も恐れることはねえ!!」


劉邦の圧倒的なカリスマ性が兵たちを鼓舞し、戦況はわずか一日で決した。


秦の要衝・碭郡、陥落。


戦果は凄まじかった。


城内の倉庫からは、蕭何の試算通り、沛県の全財産を遥かに凌駕する数万石の糧米と、大量の鉄製武器が鹵獲された。


「や、やったぞ蕭何様! 最初の新規プロジェクト(碭郡攻略)、大成功です! 投資家(豪族)たちへの配当リターンを支払っても、莫大な黒字(内部留保)が残ります!」


部下の役人たちが、歓喜の声を上げて抱き合っている。


しかし、鹵獲された物資の「資産目録」を作成していた蕭何だけは、一人、城の冷たい石畳の上に座り込み、厳しい表情で竹簡を見つめていた。


(……おかしい。計算が、合わない)


蕭何は、碭郡の司令官室から見つかった「秦王朝の極秘通達」の竹簡を指でなぞった。


「蕭何? どうしたんだよ、最高の黒字決算だろ? なんでそんな、また過労死しそうな顔してんだ?」


返り血を浴びた劉邦が、不思議そうに覗き込んでくる。


「……CEO。大変な事実が判明しました。我々が倒したこの碭郡の守備軍は、秦の『主力』ではありませんでした。ただの、地方の派遣社員(急造の防衛隊)に過ぎなかったのです」


「あ? どういうことだ?」


蕭何は、青白い油灯の光の中で、極秘通達の内容を読み上げた。


その声は、恐怖でわずかに震えていた。


「秦の真の国力、その中枢である首都『咸陽かんよう』には……我々の想像を絶する規模の、数百万の人口データと、天下すべての富が集約された、巨大な『国家アーカイブ(固定資産)』が存在します。そして──」


蕭何は、通達の最後に書かれた、ある「競合他社」の動きを示す記述を指差した。


「我々が下請け入りした楚軍の本隊……とりわけ、あの『項羽』の軍勢が、その咸陽の全財産を『強奪(強制解体)』するために、今まさに凄まじい速度で西へ向かって進軍を開始しました。もし、項羽が咸陽に入れば、彼はそのすべての国家資産(帳簿や地図、戸籍)を、目障りな秦の歴史ごと『物理的に焼却処分(全額損金処理)』するつもりです」


「……何だって?」


劉邦の顔から、初めて余裕の笑みが消えた。


公認会計士・蕭何にとって、国家のデータ(戸籍と地図)が燃やされることは、この世界の「ロジック」が完全に崩壊することを意味していた。


それだけは、数字を愛する人間として、断固として許容できない最大のリスク(不祥事)だった。


「劉邦CEO。次のプロジェクトを変更します」


蕭何は立ち上がり、懐から、先ほど手に入れた碭郡の完全な地図を広げた。


「楚軍の本隊よりも早く、項羽という破壊神よりも早く──我々が、秦の首都・咸陽に一番乗りします。そして、天下のすべてのデータが集まる国家文書庫を、我が劉邦軍の手で『単独差し押さえ(M&A的接収)』するのです!」


「咸陽に……一番乗り? 俺たちがか?」


劉邦が息を呑む。


「ええ。これより、全軍のスピードを極限まで高めます。遅れれば、我々は項羽に市場(天下)ごと焼き殺される。これからは定時退社どころか……睡眠時間ゼロの、歴史上最大の『咸陽デューデリジェンス(資産精査)レース』の始まりです!」


その瞬間、地平線の向こう、咸陽へと続く果てしない夜道の先から、まるで見えない巨大な怪物が咆哮を上げたかのような、不穏な風が執務室の窓を吹き抜けた。


歴史の歯車が、最悪の加速を始める。


第4話:了

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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また、歴史ものである本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。


『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』

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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!


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