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【悲報】転生先でも定時退社できない。――過労死会計士、劉邦のCFO・蕭何になる【完結済/シリーズもの/一気読み推奨】  作者: 筑紫隼人
第5章:セルフ粉飾決算と最後の退職届

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第37話:創業者の最期 そして残された者たち

 書斎の床に、赤い血が広がっていく。


 劉邦の身体は崩れ落ちたまま動かない。


「陛下!」


 蕭何は駆け寄った。


 肩を揺する。


 だが返事はない。


 喉の奥で浅い呼吸が鳴るだけだった。


 外が急に騒がしくなった。


 相国府の門が開かれる音。


 慌ただしい足音。


 ほどなくして侍医たちが部屋へなだれ込んできた。


 その先頭には審食其がいる。


「陛下をお連れしろ!」


 近衛兵たちが劉邦を抱え上げた。


 血に濡れた衣が揺れる。


 蕭何の袖にも、その血がべっとりと付着していた。


 誰もが慌ただしく去っていく。


 やがて書斎に静寂だけが残った。


 机の上には血の染みた竹簡。


 白かったはずの面が赤く染まっている。


 劉邦が最後に残した言葉が頭から離れなかった。


 呂后。


 法を手にした女。


 自分が築いた仕組み。


 それが今度は別の誰かの武器になる。


 蕭何は深く息を吐いた。


 ようやく終わるはずだった。


 泥棒と罵られた。


 民に石も投げられた。


 それでも生き残った。


 すべては静かな余生のためだった。


 だが、まだ終わっていない。


 帳簿には最後の一行が残されていた。


 国を誰に託すのか。


 それを見届けねばならない。


 蕭何は立ち上がった。


 血の付いた衣を脱ぐ。


 そして長楽宮へ向かった。


   ◇


 宮中は静まり返っていた。


 誰も大きな声を出さない。


 廊下を行き交う役人たちも足音を殺している。


 死の気配が漂っていた。


 寝殿の前に呂后が立っていた。


 その顔に涙はない。


「相国」


「陛下は」


「お呼びです」


 呂后は短く答えた。


「あなただけを」


 蕭何はうなずいた。


 扉が開かれる。


 濃い薬草の匂いが鼻を刺した。


 寝台の上で横たわる劉邦は、驚くほど小さく見えた。


 あれほど大きかった男。


 誰よりも騒がしく。


 誰よりも強引だった男。


 その面影は薄れていた。


「蕭何か……」


 かすれた声だった。


 蕭何は枕元に膝をつく。


「ここに」


「すまねえな」


 劉邦は弱く笑った。


「お前の部屋を汚しちまった」


「お気になさらず」


「そう言うと思った」


 劉邦は目を細める。


「お前は昔から変わらねえな」


 しばし沈黙が落ちた。


 やがて劉邦が口を開く。


「なあ、蕭何」


「は」


「俺が死んだら、誰を相国にする」


 蕭何は迷わなかった。


「曹参にございます」


「曹参か」


 劉邦はうなずいた。


「確かにあいつなら文句はねえ」


「よく国を治めるでしょう」


「そうだな」


 劉邦は少し笑った。


「曹参の次は」


「王陵がよろしいかと」


「頑固者だな」


「だからこそです」


 蕭何は答えた。


「陳平が補佐すれば十分に務まります」


「なるほどな」


 劉邦は満足そうだった。


 目を閉じる。


 呼吸がさらに細くなる。


「蕭何」


「はい」


「最後まで残れ」


 蕭何は黙っていた。


「俺の国を見ていてくれ」


 劉邦はそう言った。


 それが蕭何に向けた最後の言葉となった。


   ◇


 数日後。


 紀元前一九五年。


 夏。


 漢の皇帝、劉邦が崩御した。


 寝殿に泣き声が響く。


 役人たちが床に伏し、声を上げる。


 蕭何は静かに頭を下げた。


 涙は出なかった。


 泣いている暇などない。


 帝が崩御した今、国を止めないことこそが相国の役目だった。


 葬儀。


 即位。


 各地への通達。


 やるべきことは山ほどある。


(お疲れ様でした)


 蕭何は胸の内で呟いた。


(あとは、こちらが引き受けます)


 その時だった。


「相国」


 審食其が近づいてきた。


 顔色が悪い。


「太后様がお呼びです」


 蕭何は顔を上げた。


 呂后。


 劉邦亡き後、宮中で最も強い権力を持つ女。


「案内してくれ」


   ◇


 通されたのは奥の密室だった。


 呂后が一人座っている。


 その周囲には武装した兵たち。


 異様な空気だった。


 蕭何はすぐに気づく。


 宮門が閉じられている。


 劉邦崩御の知らせも外へ出ていない。


「太后様」


 蕭何は礼を取った。


「陛下の崩御はまだ伏せてあるようですな」


「ええ」


 呂后は淡々と答えた。


「まだ知らせておりません」


「なぜでしょう」


「その方が都合が良いからです」


 嫌な予感がした。


 呂后は一枚の竹簡を机に置く。


「ご覧なさい」


 そこには名前が並んでいた。


 周勃。


 灌嬰。


 そして沛県以来の古参たち。


 蕭何の顔から表情が消える。


「太后様」


「彼らは危険です」


 呂后が言った。


「先帝がいたから従っていた」


「……」


「だが今は違う」


 静かな声だった。


 だからこそ恐ろしい。


「若い皇帝を支えるつもりなどありません」


 呂后は続ける。


「いずれ反乱を起こします」


「証拠は」


「必要ありません」


 即答だった。


「起こしてからでは遅いのです」


 蕭何は沈黙した。


 呂后はさらに言う。


「宮中へ呼びます」


「まさか」


「ええ」


 呂后は微笑んだ。


「全員まとめて処分します」


 背筋が冷えた。


「崩御を知らせる名目なら疑わず来るでしょう」


 呂后の指が竹簡をなぞる。


「その召状に相国の印をいただきたいのです」


 蕭何は竹簡を見つめた。


 自分が作った法。


 自分が整えた仕組み。


 それが今、仲間たちを殺すために使われようとしている。


 相国の印があれば誰も逆らえない。


 拒めば逆賊。


 従えば処刑場行き。


 劉邦の言葉が脳裏によみがえる。


 呂后がそのまま乗っ取る。


 まさにその通りだった。


「相国」


 呂后が呼ぶ。


「漢を守るためです」


 近衛兵たちが剣の柄に手をかけた。


「印を」


 部屋の空気が張り詰める。


 断れば死ぬ。


 従えば友が死ぬ。


 蕭何は竹簡から目を離さなかった。


 長い沈黙。


 誰も口を開かない。


 やがて蕭何は懐へ手を入れた。


 ゆっくりと。


 本当にゆっくりと。


 相国の印章を取り出す。


 朱の色が灯火に照らされた。


 呂后の口元が、わずかに緩む。


 部屋の中から音が消えた。


 そして――


 第37話 了

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。


『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』

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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!


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