第21話:首都・長安の都市計画――「このインフラ投資は、100年分割の減価償却で計算します」
「正気か、蕭何! 我が社の今の手元資金を、全部ぶち込んでも足りねえような、自社ビル建設プランだぞ! 誰が承認するか!」
ガシャン、と。
豪華な青銅の杯が、床を転がった。
洛陽の臨時オフィス。
怒鳴っているのは、漢王朝のCEO・劉邦だった。
いつもなら、
「蕭何、お前に全部丸投げだ」
そう言って、側室の面接へ逃げる男である。
だが今回は違った。
彼は目を見開き、蕭何が広げた巨大な「長安都市計画図」を凝視していた。
背後には、樊噲や灌嬰たち。
脳筋役員たちも並んでいる。
図面に書かれた、異常な資材量。
狂気じみた人員数。
それを見た彼らの顔は、戦場とは別種の恐怖で凍っていた。
「相国。さすがにこれはやりすぎだぜ」
樊噲が腕を組む。
「国家破産レベルの赤字案件じゃねえか。せっかく天下を取ったのに、なんで今さら、こんな巨大な壁や宮殿をゼロから作る必要がある?」
彼らの言い分は正しかった。
楚漢戦争。
五年続いた超長期デスマーチ。
そのせいで、漢王朝は財務も人材もボロボロだった。
戸籍データはある。
税収の見込みもある。
だが、キャッシュは薄い。
にもかかわらず。
蕭何が提案したのは、咸陽南方の「長安」に、史上最大規模の要塞都市を建設するという、超巨大インフラ投資だった。
蕭何は、干からびた目を静かに瞬かせた。
そして眼鏡をかけ直す。
手には、自ら試算した膨大な財務予測の竹簡。
「CEO。役員の皆様。結論から申し上げます」
蕭何は冷静に告げた。
「この長安遷都プロジェクトは、漢王朝が今後百年以上、市場を支配し続けるための必須投資です」
「予算不足を理由に、規模を縮小することは認めません」
「寝言は寝て言え!」
劉邦が机を叩いた。
「今の国庫を見ろ! 兵士への報酬だけで赤字寸前なんだぞ! こんな城壁や未央宮を建てた瞬間、漢王朝は債務超過で終わりだ!」
「単年度予算だけで見ないでいただきたい」
蕭何は鼻で笑った。
そして一本の竹簡を、机中央へ突き立てる。
そこに刻まれていたのは。
現代会計なら誰でも知る、ある概念。
だが古代中国の人間には、宇宙語にしか見えない数式だった。
「この建設費用は、単年経費ではありません」
蕭何は図面に時間軸を書き込んだ。
「これは国家という長期存続組織における、有形固定資産です」
「よって耐用年数を百年と設定し、直線的減価償却として処理します」
「年間負担へ均せば、税収の三%未満。十分に許容範囲内です」
「げんか……しょうきゃく……?」
劉邦が呆然と呟く。
後ろの樊噲は、完全に思考停止していた。
「もっと分かりやすく言え!」
灌嬰が叫ぶ。
「今、金がないのに、どうやって資材と人を集めるんだ!」
蕭何はニヤリと笑った。
「それこそが『九章律』です」
彼は図面の物流ルートを指した。
「民から現金を搾り取る必要はありません」
「長安周辺を免税市場にする。商人には通行税免除を与える」
「さらに徴用労働は、納税義務との相殺処理にします」
曹参が目を見開いた。
「まさか……」
「そうです。現金を使わず、制度だけで人員と物資を集約する」
「紙の上の処理だけで、巨大都市を出現させます」
誰も言葉を失った。
法律。
帳簿。
物流。
それだけで、荒野を巨大都市へ変える。
それが蕭何の内政だった。
だが。
劉邦は、まだ納得していなかった。
彼は未央宮の設計図を叩く。
「この宮殿、豪華すぎるだろ」
「天下統一したばかりだぞ。こんなの建てたら、『調子に乗った成金国家』って批判されるに決まってる」
武将たちも頷く。
だが。
蕭何は即座に否定した。
「それは、経営トップとしての視点が欠けています」
空気が張り詰めた。
「天子とは、市場全体を家とする存在です」
蕭何は未央宮の巨大門を掲げた。
「新興国家である漢が、最も恐れるべきは何か」
「地方軍閥や旧王族から、“ただの成金ベンチャー”だと舐められることです」
彼の声が響く。
「この宮殿の巨大さは浪費ではない」
「これは“ブランド投資”です」
「諸侯たちが、この宮殿を見て絶望する」
「“漢には逆立ちしても勝てない”と理解する」
「それにより、未来の内戦コストを消滅させる」
「これ以上、費用対効果の高い安全保障があるでしょうか?」
沈黙。
完全な沈黙だった。
やがて。
劉邦が吹き出した。
「ハハハハハ!」
彼は腹を抱えて笑う。
「聞いたかお前ら!」
「この算盤野郎、自社ビルを建てたいんじゃねえ!」
「“漢王朝”って看板で、敵をビビらせたいだけなんだとよ!」
劉邦は設計図を巻き取った。
そして蕭何の胸へ押し付ける。
「承認だ!」
「蕭何! 長安プロジェクトを今すぐ始めろ!」
「世界一ナメられねえ本社ビルを作れ!」
「御意」
蕭何は深く頭を下げた。
こうして。
国家そのものを書き換える、人類史上最大のインフラ開発が始まった。
数ヶ月後。
長安は、完全な巨大工事現場になっていた。
中国全土から馬車が集まる。
木材。
石材。
鉄。
数十万人の労働者。
すべてが、『九章律』によって制御されていた。
「相国! 北壁で地盤沈下です!」
「第十四工区を投入しろ。三日以内に遅延を吸収する」
「木材調達で不正発覚!」
「取引停止。即監査だ」
蕭何は、仮設テントに泊まり込んだ。
二十四時間体制。
毎日、数千件の進捗報告を処理する。
その結果。
荒野だった長安は、異常な速度で都市へ変貌していった。
巨大城壁。
広大な道路。
そして。
中央にそびえる未央宮。
夕陽を背負ったその骨組みは、まるで新時代そのものだった。
視察に来た武将たちは、誰も文句を言わない。
彼らは見てしまったのだ。
蕭何の帳簿だけで、世界最大都市が生まれる瞬間を。
ある夜。
未央宮のテラス。
蕭何は完成間近の長安を見下ろしていた。
「……ここまでは、ロードマップ通りだ」
資金ショートなし。
暴動なし。
建設も順調。
これが終われば。
ようやく隠居できる。
曹参へ引き継ぎも始められる。
そう思った。
だが。
蕭何は忘れていた。
どれほど完璧なシステムでも。
最後に組織を壊すのは、いつだって人間だということを。
翌朝。
曹参が、絶望した顔で飛び込んできた。
「蕭何様! 大変です!」
「どうした」
「長安の中身が壊れています!」
彼は大量の苦情報告を机へ叩きつけた。
「功臣の息子たちが飲酒暴走です!」
「旧王族が宮殿ロビーで乱闘!」
「役人は賄賂まみれ!」
「長安が、オープン初日から無法地帯になっています!」
蕭何の目が、怒りで見開かれた。
法律は完璧だった。
だが。
使う側のモラルがゼロだった。
「このままでは、長安は世界一豪華なゴロツキの巣になります!」
曹参が叫ぶ。
「どうしますか!?」
蕭何は、ペンをメキリと握り潰した。
「ならば教育するまでです」
彼は一枚の提案書を引き抜く。
そこに書かれていた名。
――叔孫通。
「曹参。魯から彼を呼べ」
「全役員対象の、コンプライアンス研修を始める」
だが。
この時の蕭何は、まだ知らなかった。
その“外部コンサル”が。
お辞儀の角度。
歩幅。
座り方。
発言順。
すべてをマニュアル化する、最悪の儀礼モンスターだということを。
長安は次なる地獄へ向かう。
静かに。
確実に。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




