第13話:限界サプライチェーン管理――関中の戸籍データから「適正な徴兵・徴税」を弾き出せ
パチ、パチ、パチパチパチ――。
深夜の櫟陽本社。
地獄のような連打音が、薄暗いテントに響いていた。
蕭何が弾く算盤は、もはや人の目では追えない。
黒檀の珠は摩擦で熱を持ち、焦げた木の臭いが空気に混じっていた。
「……五万二千四百。いや、足りない」
「この数字では、来週の滎陽ラインで三日の供給不足が出る。再計算だ」
蕭何の目は、真っ赤に充血していた。
前世。
桜橋有限責任監査法人で三徹した時ですら、ここまで脳を酷使したことはない。
眼鏡の奥の視界には、関中の全てがデータとして浮かんでいた。
どの村に、何人いるか。
どの倉庫に、どれだけ米が残っているか。
どの街道が、あと何日で壊れるか。
滎陽の戦況は、一言で言えば地獄だった。
項羽軍は、毎日狂ったように突撃してくる。
その暴力を、韓信の数理陣形と、劉邦の泥臭い遅滞戦術で、辛うじて受け止めていた。
だが、防衛線は燃料を喰う怪物だった。
毎日、数千の兵。
毎日、数万石の兵糧。
ブラックホールのように消えていく。
「蕭何様!」
調達部門の若手役人が、涙目で飛び込んできた。
「前線の劉邦CEOから超特急の早馬です!」
「『項羽が重装騎兵を投入した! 明後日の朝までに新兵一万、矢三十万本を滎陽へ送れ! 間に合わなければ本陣が吹き飛ぶ!』とのことです!」
「一万……?」
曹参が書簡を叩きつけた。
「ふざけるな。関中の成人男子は八割がもう徴兵済みだ!」
「これ以上やれば、農村そのものが死ぬぞ!」
「秋の収穫が消える。民衆も暴発する!」
「わかっている」
蕭何は算盤を止めない。
「だが、供給を止めた瞬間に滎陽が落ちる」
「そうなれば、項羽が関中へ雪崩れ込む」
「我々も、民も、全員終わりだ」
テントの奥。
巨大な木箱が積まれていた。
秦帝国が残した戸籍台帳。
関中すべての人口データ。
蕭何は、それを静かに指差した。
「これより、秦のレガシーシステムを完全に使う」
「大雑把な徴兵は終わりだ」
「これからは、ミクロ単位で最適化する」
竹簡が次々に広げられる。
そこには、各村の人口構成。
年齢。
家族構成。
備蓄量。
全てが記録されていた。
「徴兵基準を変更する」
蕭何は冷たく線を引いた。
「下限を十五歳」
「上限を六十歳へ拡張しろ」
曹参が息を呑む。
「子供と老人を戦場へ出すのか!?」
「前線で戦わせる必要はない」
蕭何は眼鏡を押し上げた。
「韓信の防衛線で最も人を消耗しているのは、土木と輸送だ」
「そこへ少年兵と老兵を回す」
「前線で荷運びしている精鋭兵を、戦闘に専念させる」
さらに蕭何は竹簡をめくる。
「次は徴税だ」
「豪族どもが米を隠し始めている」
「彭城の敗北で、我々が滅ぶと思っているからだ」
蕭何は算盤を弾いた。
「秦の商鞅法を再起動する」
「隣組による相互監視だ」
「各村の過去三年の収穫平均から、最低備蓄量を逆算する」
「虚偽申告した豪族には即監査を入れろ」
「余剰米は国家防衛債券と強制交換する」
「ただし、一人一日三合」
「最低限の配給だけは絶対に守れ」
それは慈悲ではない。
民が死ねば、供給網が壊れる。
蕭何がやっているのは、人道ではなく、システム維持だった。
「曹参」
「この新法を、今すぐ関中全土へ出せ」
「一刻も遅らせるな」
曹参は何も言わず頷いた。
その夜から、関中は静かな総力戦へ入った。
「……父ちゃん、俺、滎陽へ行くよ」
「気にするな。俺も一緒だ」
「蕭何様の輸送マニュアル通りに動けば、生きて帰れるって村長が言ってた」
街道には、少年兵と老兵が整然と並んでいた。
暴力的な徴募ではない。
蕭何が提示したのは、細かな労務規約と、明確な報酬だった。
「戦後、秦の悪税を廃止する」
その約束を、民は信じていた。
「あの人の算盤は嘘をつかない」
関中の米。
矢。
人員。
全てが蕭何という巨大なCPUへ集まり、最適化され、滎陽へ流れていく。
ドオオオォォン!!
滎陽前線。
項羽軍の突撃で、漢軍の防衛線が崩れかけていた。
「矢がない!」
劉邦が絶叫する。
その時だった。
ガラガラガラガラ!!
背後から、一輪車部隊が現れた。
十五歳の少年が車輪を押す。
六十歳の老人が補給物資を運ぶ。
矢。
兵糧。
土嚢。
全てが完璧な順序で前線へ投入されていく。
「本社より追加補給!」
「新兵一万! 矢三十万本!」
「定刻通り、納品完了です!」
夏侯嬰が叫ぶ。
劉邦は目を見開いた。
「間に合わせやがった……!」
本陣。
韓信の口元がわずかに歪む。
「素晴らしい」
「この補給精度なら、防衛システムを再起動できる」
「項羽を止められる」
韓信の陣形が再び動き出す。
楚軍の突撃が止まる。
あと一歩で落ちるはずだった滎陽は、再び持ちこたえた。
東の空で、項羽が吠える。
「なぜだ!」
「なぜ劉邦は潰れない!!」
バックオフィスが前線を支える。
前線が、本社の時間を稼ぐ。
蕭何のサプライチェーンは、怪物・項羽すら止め始めていた。
櫟陽本社。
「……第三フェーズ、完了」
蕭何は、ようやく算盤を置いた。
三日三晩、寝ていない。
指先は血だらけだった。
だが、その顔には、巨大プロジェクトを制御し切った者の静かな達成感があった。
「やったな、蕭何!」
曹参が肩を叩く。
「お前の算盤が項羽を止めたぞ!」
「まだだ」
蕭何は次の竹簡へ手を伸ばす。
「防衛コストは高止まりしている。次の調達計画を――」
その瞬間。
バタバタッ!
極秘使者が転がり込んできた。
顔色が真っ青だった。
「蕭何様……滎陽で、劉邦CEOに物資受領の確認を取ったのですが……」
「不備でもあったか?」
「いえ……」
使者は周囲を確認し、耳元で囁いた。
「劉邦CEOは、物資には興味を示しませんでした」
「ただ、何度もこう聞いたのです」
『蕭何は毎日ちゃんと飯を食っているか?』
『民衆は蕭何をどう見ている?』
『どれほど感謝されている?』
「……それを、異様に冷たい目で」
「まるで、社内権力を監査するみたいに……」
ピシリ。
蕭何の手の中で、算盤の珠が鳴った。
前世で、何度も見た。
倒産寸前では、CFOは救世主になる。
だが、危機を越えた瞬間。
創業社長は、そのCFOの人気を恐れ始める。
そして、潰す。
今、関中の民が信じているのは、劉邦ではない。
蕭何だった。
前線で泥をすすっている劉邦は、その現実を理解してしまったのだ。
「……蕭何様」
使者の声が震える。
「劉邦CEOは、あなたを疑い始めています」
命を削り、組織を支えてきたCFO。
その首元へ。
今、最も近い場所から、静かな刃が伸び始めていた。
第13話:了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




