第11話:楚漢戦争の火蓋――「前線がどれだけ焦げ付こうが、本社の資金繰りだけは回してみせる」
ゴゴゴゴゴ……。
数万の足音が、秦の旧き大地を激しく揺らしていた。
数百年前。
大秦帝国の統一以前に捨てられた絶壁の廃道――「陳倉の古道」。
崖崩れと原生林に埋もれたその道を。
大将軍・韓信率いる劉邦軍の精鋭が、巨大な毒蛇のように駆け抜けていた。
「急げ」
軍馬の上で、韓信が淡々と言う。
「章邯の防衛網が、我々の奇襲に気づく前に、関中の喉元を完全にロックする」
そこに熱はない。
激情もない。
ただ。
自分の組み上げた数理アルゴリズムが、予定通りに作動していることを確認しているだけだった。
その頃。
数里離れた正面街道では――。
「オラァ! もっと派手に土を盛れ!」
樊噲が鉄器を振り回しながら怒鳴っていた。
「項羽の密偵どもに、俺たちが本気で道路工事してるって思わせるんだよ!」
韓信の戦略。
「明修陳倉、暗渡陳倉」。
正面では愚直な道路修復を演出。
敵の視線を釘付けにする。
その裏で、本隊は廃道から関中へ滑り落ちる。
章邯は、完全に引っかかっていた。
正面防衛を固め切り。
裏口のセキュリティホールを放置した。
戦略としては完璧。
だが。
その「前線勝利」の報告が届くたび。
漢中の本社で算盤を弾く蕭何の胃は、文字通り焼き切れそうになっていた。
「……クソ、韓信め」
竹簡を叩きながら、蕭何が呻く。
「『コストは通常の四・五倍』だと? 甘い。甘すぎる」
「現場の兵糧消耗が、想定カーブを完全に突破している!」
臨時本社。
そこでは、竹簡の山と格闘する蕭何の姿があった。
韓信の戦術は美しい。
だが、兵站視点では最悪だった。
完全な「バックオフィス殺し」のデス・プロジェクト。
「蕭何様!」
役人が飛び込んでくる。
「前線より追加調達要請です! 軍靴三千足! 馬の飼料も予定の二倍で消費しています!」
「……却下したいところだが」
蕭何は奥歯を噛み締めた。
「ここで止めれば、前線が全滅する」
「曹参!」
「いるぞ」
「予備倉庫から新型一輪車を五百台追加投入しろ。山岳輸送専用だ」
「人員は?」
「未登録の若者を緊急徴用。報酬は、関中奪還後の土地で現物支給だ」
曹参が顔をしかめた。
「蕭何。漢中の金庫、もう空になるぞ」
「前線が勝つのが先か」
「本社が兵糧切れで死ぬのが先か」
「完全にチキンレースだ」
蕭何は算盤を弾いた。
「間に合わせる」
その声だけは、異様なほど静かだった。
「前線がどれだけ焦げ付こうが、本社の資金繰りだけは、私が回してみせる」
金がないなら未来の税収を担保にする。
人が足りないなら輸送効率を限界まで削る。
韓信が剣で敵を殺すなら。
蕭何は数字で「倒産」を殺していた。
そして――。
奇跡が起きる。
廃道から現れた韓信軍は、章邯軍を背後から急襲。
防衛網は一瞬で崩壊した。
「章邯、敗走!」
「我が軍、関中を完全奪還!」
その報告が届いた瞬間。
本社は歓声に包まれた。
だが。
蕭何だけは静かに算盤を弾いた。
パチリ。
「……第一段階の資金ショートは回避したか」
「だが、休む暇はない」
「次は、拡大した市場を維持する番だ」
関中奪還。
それは、軍の規模が十倍に膨れ上がったことを意味していた。
急成長ベンチャー。
だが、中身が追いついていない。
蕭何は櫟陽に残り。
戸籍。
税制。
物流。
法令。
すべてを再構築していく。
その結果。
劉邦軍の補給網は、異常な安定性を見せ始めた。
「おいおい……」
前線の劉邦が笑う。
「後ろから無限に兵糧と兵士が湧いてくるぞ」
その瞬間だった。
劉邦は、完全に「勝った」と思い込んだ。
周辺諸侯を次々と吸収。
総兵力、五十六万。
史上最大級の巨大連合。
そして。
項羽不在の本拠地「彭城」を電撃占領した。
だが。
櫟陽で進軍ログを確認していた蕭何だけは、凍りついていた。
「……おかしい」
竹簡を叩く。
「この数字は異常だ」
曹参が首を傾げる。
「何がだ?」
「指揮系統だ」
蕭何の顔から血の気が消えていた。
「各諸侯が、勝手に動いている」
「統制がない」
「これは軍じゃない」
「外見だけ膨らんだ、巨大バブルだ」
「中身が空っぽのクソ株だぞ」
曹参が苦笑する。
「だが、現場は大勝利だ」
「彭城も落ちた」
「今ごろ大宴会だろうさ」
その瞬間。
蕭何が机を叩いた。
「それが一番危険なんだ!」
前世。
急拡大した企業が、統制崩壊で破滅していった光景。
それが完全に重なっていた。
「項羽は、システムで動く男じゃない」
「暴力そのものだ」
「本拠地を奪われて、黙っているわけがない」
蕭何は、即座に警告文を書き始めた。
『至急、防衛ラインを再構築してください』
『現在の五十六万は、統制の壊れた脆弱システムです』
『項羽の電撃戦を受ければ、一瞬で崩壊します』
だが。
その警告が届く前に。
本社テントへ、密偵が転がり込んできた。
全身、血まみれだった。
「蕭何様ァッ!」
「最悪のデス・アラートです!」
「何があった!」
「劉邦CEO、彭城で大祝賀会を強行!」
「全軍、泥酔状態!」
蕭何の顔が歪む。
「あのバカ社長が……!」
だが。
報告は終わらなかった。
密偵は震えながら続ける。
「項羽です!」
「斉にいたはずの項羽が、本隊を置き去りにして――」
「わずか三万の精鋭騎兵だけを率い、超高速で彭城へUターン中!!」
空気が凍った。
曹参が呟く。
「三万で……五十六万に突っ込むのか?」
「違う」
蕭何の声は震えていた。
「項羽の三万は、“完成された破壊プログラム”だ」
「対する我々は、泥酔したジャンクデータに過ぎない」
「ぶつかった瞬間、全部吹き飛ぶ」
密偵が叫ぶ。
「敵先鋒、すでに彭城目前!」
「夜明けと同時に衝突します!」
蕭何は、東の空を見た。
夜明けが近づいていた。
それは。
劉邦軍というベンチャー企業が。
積み上げた全資産を一瞬で溶かす、「史上最大の暴落」の始まりだった。
「本社スタッフ全員に告ぐ!」
蕭何が絶叫する。
「これより我が社は、歴史上最悪の破綻フェーズへ入る!」
「戸籍データを退避!」
「固定資産を地下倉庫へ!」
「そして――」
蕭何は、血走った目で叫んだ。
「前線壊滅時に備え、劉邦CEOを回収する緊急救済チームを編成しろ!!」
東の空から、夜明けの光が差し込む。
それは。
五十六万の命が蒸発する。
史上最悪の「彭城クラッシュ」の幕開けだった。
第11話:了
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




