感覚喪失
最初にわからなくなったのは食べ物の味だった。何を食べても何も感じることが出来なくなって、僕は味覚を失った。
だけど呑気だった僕はそれを一時的なものだと考えて深刻に考えなかった。
それどころか、今なら何でも食べることが出来ると考えた。
「せっかくだから食の限界に挑戦しよう」
我ながら前向き。愚かとも言う。自分でも呆れるけれど、その時はそう思ったんだから仕方ない。
かくして味覚を失った僕は、普段なら絶対に食べない、食べようとも思わないものを食べて過ごした。
そんなことに時間を使っていたせいなのか、わからないものはまた増えた。
次にわからなくなったのはにおいや香り。僕は嗅覚を失った。
「今ならあれもいけるか?」
だけど、食の限界に挑戦中の僕にとってそれは追い風でしかなかった。実際に吹いていたのは逆風だったのかもしれないけれど、食の常識に背を向け、新たな道を模索していた僕とっては追い風だったのだ。
というのも、匂いがあんまり強烈だと、食べる前に吐き気を覚えてしまう。でも嗅覚が失われているのならその心配はない。おかげで僕は人間の雑食性が底なしであること知ることが出来たのだった。
そして自分の食の限界がだいたい把握できたころ、わからないものがまた増えた。
次にわからなくなったのは物に触れている感覚、触覚だった。何を触っても手応えが全くなくなり、足元の地面の感触も感じなくなってしまった。
「これで針とか触ったらどうなるんだろう?」
と、実際に触ってみたら普通に痛くてびっくりした。触れている感覚はないのに痛みはわかる。なんだこれはと調べてみると、どうやら触覚と痛みを感じる感覚は別のものらしいということがわかった。
そう、この時の僕にはまだ自分の身体を使って実験を行えるくらいの余裕があった。好奇心に身を任せて目の前の疑問のことだけを考えて、自分の身のことなんて毛ほども心配していなかった。
そんな僕が危機感を覚えたのは、次の感覚が抜け落ちた時。
次にわからなくなったのは音、そして人の声。僕は聴覚を失った。
それまでの僕がこんなにも自分の身体の異変に無頓着だったのは、感覚が無くなろうと生きるのが楽しいと思えていたからだった。
出来ないことが増えても、それでまた新たにできるようになったことを探して楽しめばいいんだと前向きに考えることが出来ていたからだった。
けれど音のない世界を楽しむ方法を、音がないからこそできることを僕は思いつくことが出来なかった。
どうやってもこの事態を前向きに捉えることが出来なかった。
そこからの僕はより刺激的なことを求めるようになった。何かを感じていないとおかしくなりそうだった。痛みでもなんでもいいからとにかく何かを感じていたかった。
でもそれもすぐにできなくなった。
物を見る感覚、視覚を失ったからだ。
視覚が失われる。それは目を閉じて目の前が見えなくなるのと別物だった。上手く言葉では説明できないけれど、少なくとも視覚があるうちは色のない世界を想像することは出来ないのだと僕は知った。
――こうして僕は全ての五感の全てを失った。五感が消えてどれくらいの時間が経ったのか、それすら今の僕にはわからない。夢の中というには味気なく、眠っているというには落ち着かない。音も光もない世界に自分の意識だけが浮かんでいる。 初めはこんな状態に恐怖を覚えたけれど、段々とその恐怖さえも感じなくなってきている自分がいる。
きっと、僕は心のどこかで開き直ったんだと思う。 感覚を全て失って、自分が生きているかどうかもわからない。こんな状態を生きているとはとても呼べない。
こうして僕は意識を保ったまま、死を迎えたのだった。




