兄貴は遂行するもの
私には「聖属性」にこだわる理由がわからない。
意味も分からず神に祈る日々。かつて私達の先祖に聖女がいたという歴史からの行動……というか伝統だ。
しかし、私達には聖属性の片鱗さえもう伺えない。手が擦り切れ、震えが出るほど冷たい水に半身漬かっても、聖属性は私達を愛してくれない。
……本当に、灰色髪は聖属性に愛される人間の特徴なのだろうか。
「……」
今にも閉じたい目を隣の姉に向ける。
ひたすらに見たこともない神に祈り、世界の平和を純粋に祈っているキリ。本当に聖女かと見間違うほどに清らかな姿だ。
……こんなにも努力しているキリが報われない世界。理不尽だ。
「姫様、今日はもう終わりにいたしましょう。風邪を引いてしまわれます」
遺跡の泉のすぐそばで控えていた教会のマザーがタイムアップを宣告する。
もうこれで何度目か、数えるのも忘れた。
「お姉様。もう行きましょう」
「……ええ」
キリが悔しそうな顔を見せ、白い聖衣をぎゅっと握る。
姉は……キリはまだ自分に聖属性があると思っているのだろうか。どう考えても私達には才能というものがないのに、どうしてキリはそんな顔ができるのだろうか。
……理不尽極まりない。
神に恨みを向けたくなる。祈るのも愚かしい。
そんな現実に目を背け、本音なんて言えるはずもない私はいそいそと濡れた聖衣を脱ぎ捨て服を着る。
正直面倒だ。
「サリア、大丈夫ですか?」
「いえ、何も。そういうお姉様の方がつかれているように思えますが」
「……ううん、大丈夫です。世界のために私が頑張らないといけませんから!」
「……」
キリが私を安心させるためにめいいっぱいの笑顔を作る。
でも、私はそんな笑顔に騙されるほど浅はかではない。
私はキリの本気の笑顔というものを知っている。最近はまったく見ていないが、キリの笑顔は素敵だ。
しかし、グレイという男に指摘されていたのにもかかわらず、キリはその笑顔の仮面を脱ごうとしない。
実の妹に対しても、その仮面は必要なのだろうか。
「ささ、馬車を待たせてあります」
ランプを持ったマザーが私たちを促す。
「ええ、分かっています。サリア、早く帰りましょう」
「はい、お姉様」
キリが差し出した手を握り歩き出す。
……冷たい。
そのまま最小限の明かりしかない洞窟を抜け、外へ。
数時間ぶりの光が目の奥を軽く焦がす。
────ゴウッ。
「きゃあっ!」
不意に突風が吹き、私はキリにしがみつく。
目の前のが急に暗くなり、木のざわめきが私たちを包んだ。
「サリアっ!」
「だ、大丈夫です……」
キリが私を守るように強く抱きしめた。
速まる鼓動を顕著に感じる。ドクドクと。
私は恐る恐る上空を見上げ、息を飲んだ。
「ドラゴン……!?」
「姫様! お逃げください! 今すぐ近くの女性の騎士を呼び寄せ────」
『ギャアアシャアアアア!!』
マザーの声がドラゴンの咆哮にかき消され、何を言っているのかが聞こえない。
鼓膜が乱暴に叩かれ、泣きだしそうになる。
本では見たことがあっても、実際に見るのは初めて。
空をも切り裂きそうな爪、大地をも噛み砕きそうな牙、私たちに闇をおろす翼。
物語よりも何百倍も恐ろしい姿に、腰が抜けた。
「ああ……ああ…………」
ドラゴンの喉元が赤熱し、口の端から炎が漏れる。
『ガァアアア!!』
「サリア!」
キリが私を突き飛ばす。
火の粉が舞う世界で、私が見たのは
「お姉様ぁあああああ!!!」
大きく口を開けたドラゴンに背を向け、私に笑顔を向けるキリの姿だった。
手を伸ばすが、私の短い腕じゃ届くような距離じゃない。
どうしてっ……どうして私なんかを助けたのよッ!
こんな形で助けられても全然嬉しくないに決まってるじゃない!
────ああ……私は無力だ。
そう全てを諦め、伸ばした手を下ろしかけた……その時だった。
「ピンチのところに一般通過ヘルプキィーック!!」
何者かがものすごいスピードで飛び蹴りをかまし、ドラゴンの頬を鱗を貫通して蹴り砕く。
何を言っているのかはよく分からなかったが、とてつもない威力なのは非力な私でもわかった。
巨体が宙に放り投げられ、地響きをたてる。
「怪我はないか二人!」
「え、ええ……でもお姉様が……」
「サリア! 速く逃げなさい! お姉ちゃんはどうなっていいから! 食べられても振り返らないで!」
「目をつぶりながら言っても説得力無いと思うんだが……」
男────グレイはわめくキリの醜態に残念な目を向ける。
……嘘でしょ?
目の前の光景に私は己を疑う。
それは、男子禁制の聖域に彼が侵入してきたことついてではない。
それよりも、私たちが代々守り通してきた伝統を軽々と破ったことよりも衝撃的だったのは
「聖……属性……」
グレイという男が、聖女様に匹敵するレベルの聖属性の魔力を纏っていたことだ。
私達が渇望してきたものを、なぜ血がつながっているかも分からない男が持っているのか。
「あ、あなたは何者なのですかッ! ここは男が入ってきてよい場所ではありません!」
「うるせぇババア! 緊急事態にそんなこと言ってられるか! 変な規則で守れる命があるか!? 言ってみろ!」
「なッ……!」
おおよそ聖属性を持っている者とは思えない暴言をマザーに吐きながら、グレイは自身が持つ魔力を剣に纏わせドラゴン相手に構える。
こんな男でも、聖属性を持つの? それとも私達が信じてきたことは……?
そんな疑念が私の中に生まれる。
「クソっ……炎が相手ならレヴィがいれば一発解決なんだけどな。しかも三人も守りながらってなるとめんどくせぇ」
『グルァア……』
「いいぜ、かかって来いよ。お前ごとき万雷鯨に比べればワンコロ同然だ」
両者がにらみ合う。その合間に割って入れる者はいない。
グレイが足止めしている間、私にできることは……
「お姉様! お姉様!」
「サリア……? ドラゴンは……?」
「グレイという男が相手してますよ! 私達はあの男がドラゴンの注意を引いている隙に逃げましょう! チャンスです!」
「お兄様が!? ダメよサリア! ようやく会えたというのにお兄様を見捨てたら、今度こそ本当に離ればなれになります! 助けないと!」
「そんなこと言っている場合ですかッ!」
キリが私の言うことを聞かずその場で踏みとどまろうとしている。
おそらく、正しくあろうという思いの表れ。お姉様の悪い癖だ。
そんな姉に────私は頭突きをかました。
「いたッ!」
ひるむキリの頬をはさみ、私は言う。
「いつまでたってもウダウダウダウダ屁理屈を吐いて甘ったていれるなら、そのままのたれ死ねばいい!」
「……サリア?」
「自分を守れないで誰がみんなを守れるですか! 自助もできずに何が公助ですか! 自分の力量もわからないで、どうやって他人の力になれるんですかぁ!?」
とめどなく吐かれる私の本音にキリが呆然と立ち尽くした。
「お姉様、自覚してください! 私たちは無力なんです! 今は特別な力なんてないんです! ただの人間なんですよ!」
「……」
「ああもうっ! 早く逃げますよ!」
姉を引きずりより遠くへと足を動かす。
キリはショックが大きすぎたのか、廃人のようについてくるだけだった。
まったく、これならグレイという男が兄と思った方が頼りがいがあるってものですよ。
ドラゴンと同じくらい強い、聖属性を持つ物語の英雄みたいな兄がいたら────……って、あんな男が兄なわけないでしょう。何をトチ狂っているのですか。
決して憧れているわけではありません。絶対。
……ふと後ろを見ると
「ああもうしゃらくせぇ! 今夜はドラゴン鍋で決定! 狩りの極致ってものを帽子男に見せてやる!」
グレイがそう叫ぶや否や、刀身が眩い光を放ち風を巻き起こす。
それを大きく振りかぶり、グレイは灰色の髪をたなびかせつつ一条の光を収束させた。
その姿はまさに頼れる者の姿。自分を守れ、他人を守れ、世界を守れそうなくらいの力を持つ者の勇ましい姿だ。
息を飲み、神々しさに見惚れ、本能が意識とは反対に思ってしまう。
────嗚呼、本当にこの男が私の兄だったのなら、どれほどいいだろうに。
「『セイントヴァーチェ』ェ!!」
一帯が光に包まれ、私たちは目をつぶった。




